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中村書記長の急逝をのりこえて!
長田敏之書記長代行体制を確立
5月31日第6回支部代表者会議

 中村書記長の急逝という「非常事態」をうけ、本部は長田敏之組織部長を「書記長代行」に選出することを決定し、5月31日に開催された第6回支部代表者会議において、新執行体制を確認した。
 本部執行委員会は、悲しみをのりこえて自らの飛躍をかけて総決起する決意である。志なかばにして倒れた書記長の無念の想いを引き継いで、さらなる団結強化と新たな前進を開始することこそが、彼の供養となるただひとつの道である。長田新書記長代行体制のもとに、改めて全組合員の総決起を心から訴える。

動労千葉の団結、ただその一点のために
支部代での長田新書記長代行の決意

 書記長代行に選出をされました長田です。私もこういうことになりましたが、まだ頭のなかは真っ白な状態です。
 まず経過から述べさせていただきますが、中村書記長が15日に急逝されて、16〜17日と通夜・告別式と葬儀が行われる中で、私もその場にいましたが、涙が出ませんでした。葬儀の際、木更津支部の佐野君が俺の体を抱きしめて、おいおい泣いていました。でも、私はそのとき泣けませんでした。それは、栄一が亡くなったということはわかっていても、俺の心はまだそれを受け止めることができていなかったからです。
 その後、私も物販のオルグのスケジュールが入っていまして群馬に飛びました。さきほど委員長からもありましたように、そのなかで19日の緊急執行委員会で私の名前が挙がったわけですけれど、21日の物販の帰りに、急きょ委員長と会いました。その前に、物販オルグで行った先に委員長から連絡があって、21日の帰りに会いたいとの連絡をもらったときに、私もこういう時期ですので、正直申しまして、何の話しかあらかた予想はつきました。何を言ってくるのか想像もつきました。その間2日間、私もいろいろ考えました。
 人間というのは非情なもので、そのときになって初めて、私は泣きました。
 私は何回も自問自答しました。委員長が言ってきたらどう受け答えしようか、やっぱりいろいろ考えました。
 実際、委員長から書記長代行を引き受けてくれと言われたときも、「それはとても簡単には受けられません」と言いました。動労千葉の書記長なんです。たいした闘いもしないようなその辺の組合とは違う、動労千葉の書記長を私が務まるのか、何回も自問自答しました。今でもそれをいえば、答えはNOです。俺が栄一の代わりなんかできるわけがない、彼の男気に俺がかなうわけがない、結論はそうでした。
 でも、最終的には、栄一がこれだけ築いてきた動労千葉の団結を崩したくない、ここでジタバタして組合のみんなに動揺を与えて、せっかくここまできた動労千葉の団結を崩したくない、これだけの思いで引き受けることを決断しました。
 動労千葉結成25周年記念レセプションもやりましたが、今まで動労千葉は団結して闘ってきて、そのなかで解雇者も抱え、あらゆる面で差別を受けながら、組合員は動労千葉の旗の下に団結してがんばってくれました。この2月の段階で初めて、ほんの小さな穴だけども、闘いのなかで初めて風穴があきました。
 それは、栄一があらゆるところで、「この闘いに勝負をかけるんだ」と真剣に組合員に訴えて、そういうなかで初めて、小さな穴ですけれど、あきました。やっと、そういう関係ができた矢先に亡くなってしまった。栄一にとっては、非常に無念で無念で仕方がないと思います。その想いをやっぱり残ったわれわれが受け止めていきたい、というふうに決断しました。
 私はもう泣きません。今日を最後にして、新たな闘いに飛躍していきたい。そのことをこの場で決意します。 

大失業と戦争の時代に通用する新しい世代の動労千葉を創りあげよう!
 
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