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全組合員の力で実現した春闘ストの地平(上)

我慢のできない現実に、

この団結で立ち向かう!


 われわれは困難な状況に真正面からたち向かい、大きな地平をきりひらいた。3月28〜31日の4日間に及ぶストライキは、組織の総力を結集して敢然と闘いぬかれた。スト参加人員は延べ546名。運休列車本数は627本。
 本部闘争委員会は、4日間のストライキ、2月20日からの長期に及ぶ非協力闘争、そして何よりもスト期間中の総行動に一糸乱れず総決起された組合員の奮闘に心から感謝するものである。また30日には、動労水戸・高崎・西日本の仲間たちも総連合統一ストライキに起ちあがった。

動労千葉の底力!全国に大きな波紋
 われわれは、動労千葉の底力、その比類なき団結力を如何なく発揮し、JR−JR総連・革マル一体となったスト圧殺攻撃をはね返し、「第二の分割・民営化」を企む資本の攻撃の前に真正面からたちはだかった。
 またこの闘いは、資本と国家が生き残るために労働者が虫けらのように犠牲にされ、有事立法=戦時法制までもが国会に上程されようという現在の社会あり方そのものを問う闘いであり、何よりも労働運動の否定すべき現状を問う闘いであった。困難な状況をつき破って決然と決起したわれわれの闘いは、全国の苦闘する仲間たちを激励し、大きな波紋をひろげている。動労千葉−動労総連合は、この闘いによって、改めて情勢決定要因としてその前面に躍りでたのである。
 国鉄分割・民営化から丸15年。われわれは決して負けていない。たちはだかる攻撃にたち向かい続け、団結を守りぬいた動労千葉の闘いの歴史は、労働者の団結した力は社会を変える力をもっているということを身をもって示している。
 名ばかりの、もはや労働組合の名にあたいしない労働組合、経営者と同じような口をきいて資本の手先となり、労働者がおかれた現実にたち向おうとしない労働組合が跋扈する状況のなかで、ストライキに起ちあがったその力こそ、われわれの誇りである。
 本部闘争委員会は、今次闘争を実現した組合員の奮闘、そのすばらしい団結力、そしてそれを支えた家族の皆さんに心から敬意を表しつつ、直ちに新たな闘争体制を確立し、その先頭にたって闘いぬく決意である。

3ヵ月間決戦はかく闘われた!

検修非協力闘争で闘いの火蓋きる!
 1月12日の団結旗開きにおいて闘争宣言を発した「02春闘3ヵ月間決戦」は、2月20日からの検修3区における非協力闘争で闘いの戦端を切って落とした。この非協力闘争は昨年末の幕張支部に対する露骨極まりない不当配転−組織破壊攻撃、検修職場丸ごとの外注化攻撃の切迫という事態に抗して、職場支配権を労働者の手にとり戻す闘いであった。
 列車を検査し動かしているのは労働者だ。会社がいかに躍起になっても労働者の協力ぬきには何ひとつ職場は動かない。1ヵ月以上にわたって闘いぬかれた非協力闘争は、この原点を自ら再確認して団結を固め、当局に改めて思い知らせる闘いとなった。
 千葉支社はこの闘いに追いつめられ、3月13日、未だ団体交渉すら行なわれていない新保全体系合理化に関する教育の実施を突如前日に通告し、強行しようとした。現場では激しい怒りの声が噴出し、自らの非を認めながらあくまでも強行するとした千葉支社に対し、われわれは直ちに指名ストライキの通告を行い、闘いの火蓋は全面的に切って落とされた。

春闘情勢の急転!
 また同日には、JRグループ=金属大手の新賃金回答が行なわれたが、史上空前の利益をあげるトヨタがベアゼロ回答を強行し、また電機等では「定昇は維持する」と回答した直後に、会社側が「新たな提案」と称して賃下げを提起するという、まさにだまし打つやり方で賃下げが強行された。
 02春闘で何が問われているのかはまさに一点の曇りもなく明らかになったのである。3月末の決戦段階の闘いは、検修職場を中心とした激しい闘いと、これまでにない衝撃的な情勢のなかで準備されていた。
 一方JR東日本はスト圧殺の画策を強めていった。われわれが会社にスト通知をする前から、スト立ち上がりの場面でも午前零時まで一切職場への入構を拒否する、と通告してきたのである。31日は非番(泊アケ)の者までがスト対象で、日勤行路からの立ち上がりが予定されていた。最も早い出勤は午前3時台の「前泊行路」である。つまり、スト立ち上がりの乗務員に前夜の睡眠時間もとらせないという「スト対策」を強制することによって、ストライキをおし潰そうとしたのである。だがこの策動は後に延べるとおり次々と矛盾を生み、完全な失敗に終わった。
 さらにはJR総連・革マルと一体となって、一週間以上も前からスト破りの休日呼び出しを開始し、職場は国労組合員の組合員も含めた抗議の声で騒然とした状況になった。

JRベアゼロ回答JR総連の裏切り
 ストの10日〜1週間前に事態は一変した。3月18日には東労組が、新保全体系合理化の支社提案を裏切り妥結し、さらにはJR東日本がベアゼロ回答を強行しようとしていることが明らかになった。東労組・革マルは緊急の全国代表者会議を召集してこれを受け入れるとの意志統一し、職場でも会社の回答前から、「全体がこういう状況だから仕方がない」などと、資本の手先となってベアゼロの露払いをすようなオルグを始めたのだ。
 こうした状況の中、25日にJR貨物会社が3年連続となるベアゼロ回答を強行。日貨労は即妥結。27日には東日本がベアゼロ回答を強行。そして東労組は何ひとつ抗議することもなくその場で裏切り妥結するという事態となった。

闘いへの突入−総決起総・行動の実現
 28日からのストライキは、こうした状況のなかで労働組合の存在価値をかけた闘いとなった。またスト決行中の4日間は、動労千葉の飛躍をかけた総決起・総行動が闘いぬかれた。
 3月28日には、スト突入後直ちに、12名の仲間たちのJR採用差別事件の労働委員会命令をめぐる行政訴訟の地裁判決公判に80名の組合員が結集。
 翌29日には各拠点での総決起集会開催後、350名の組合員をはじめ、支援にかけつけてくれた仲間たちを含め400名の結集でスト貫徹動労千葉総決起集会を開催し、千葉支社に対する怒りの抗議デモを叩きつけた。
 さらに30日には東京にのり込んで闘いが展開された。11時から300名の結集でJR貨物本社抗議行動を闘い、闘う労働運動の再生、春闘の再生に向けて午後からの02春闘総行動中央総決起集会を関西生コン、港合同の仲間たちと開催。1250名の結集で、新宿・東日本本社抗議デモを闘いぬいた。
 この間、スト前段(3月18日)の千葉支社抗議行動、31日の三里塚現地集会への結集を含め、延べ840名に及ぶ総行動が実現された。各拠点での闘いを含めれば優に1000名をこす仲間たちが連日の行動に起ちあがったのだ。この連続行動は、動労千葉の底力、団結力をまさに如何なく発揮する闘いとなった。

スト圧殺策動との攻防戦
 一方JR東日本との間では、最後までスト圧殺攻撃との攻防がつづいた。
 千葉支社は本社からの指令のもとに、前述のとおり、スト立ち上がりの場面まで、30日の午前零時が過ぎるまで動労千葉の組合員は一切職場に入構させないというこれまでにない「スト対策」のエスカレートを通告したが、実はこの方針によって会社自体が自己矛盾に陥っていた。スト終了後31日早朝から立ち上がる運転士に睡眠もとらせないとう「方針」ゆえに、動労千葉は31日も間違いなくストを拡大という呪縛から離れられなくなり、何とスト前段の各線区の運行率の発表で「久留里線は31日運行率ゼロ」と記者発表したのである。
 さらにスト突入後の29日に至って、今度は「31日午前8時以前出勤の者は全員不価値労働とする」と言い始めた。スト終了後の就労を認めない。ロック アウトするということだ。理由はすでに代務の運転士を用意したからだというのである。勝手に代務を用意したからスト終了後まで就労を認めないなどというやり方は断じて通用しようがないものだ。怒りの抗議の前に結局はこの策動も破産した。
 しかし今度は、就労は認めるが代務を用意してしまったので予備勤務を指定すると言い始めたのである。だがこんな勤務指定も到底できるものではない。われわれは3月26日のスト通知の時点で、31日もストが継続するアケ勤務の代務に充当されないように、「31日予備勤務の者は指名ストライキとする」と通知してあるのだ。
 つまり会社は、あらかじめストを通知している所に勤務指定したことになる。これも事実上のロックアウトに他ならない。動労千葉は再び強く抗議し、結局会社は所定の勤務指定に戻し、休勤呼び出し等で代務として動員した者を宙に浮かさざるを得なかった。

スト破壊策動を粉砕
 この31日、代務として動員されたのは全てJR東労組の組合員であった。
 東労組千葉地本は、「対策に借り出された東労組組合員に疲弊感のみを残した」と思わず本音を吐露せざるを得なかった。だが、闘いを圧殺するために会社と一体となって組合員をかり出したのは東労組・革マル自身だ。東労組は、スト終了後まで組合員をスト破壊に動員し、どんな手段を使おうがわれわれの闘いをキズつけようと画策していたのである。しかし動労千葉の固い団結力は、こうした一切の策動をすべてはね返た。ストライキは整然と最後まで貫徹されたのである。

 
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