不当解雇撤回に向け、職場から怒りの声を!
尼崎事故の職場規律へのすり替え―見せしめ解雇を許すな
解雇された組合員を守らないとしたら、それはもはやいかなる意味でも労働組合ではない!解雇はその労働者にとって死刑に等しいものだ。千葉運転区での不当解雇を絶対に許すな!こんな懲戒解雇を許したら、職場は監獄と同じになる。労働者は虫けら同然の存在になってしまう。
見せしめ解雇!
尼崎事故が起きていなかったら、今回のようなやり方での不当解雇は絶対に無かったことだ。会社は、尼崎事故を一人ひとりの労働者への締め付けにすり替えようとしているのだ。これまでに増して、徹底した職場の強権的支配が横行しようとしている。
これは、事故が起きるたびに、自らの経営責任を明らかにすることなく、当該の労働者一人に責任をなすりつけて処理してきたJR東日本の理不尽な経営姿勢が行き着いた究極の姿だ。
107名もの生命が奪われた現実を前にしても、彼らは自らを顧みて反省することすらないのだ。
この卑劣なやり方
乗務中の携帯電話使用を理由として乗務を下ろされ、日勤勤務をさせられていたA君は、6月7日、いつもどおり出勤すると、庁舎4階の区長室によばれ、突然、懲戒解雇を言い渡されたという。しかも、解雇を告げるなり「あなたはもうJRの社員ではない」と、5階にあるロッカーの私物を取りにいくことも許されず、そのまま職場から放りだしたという。これが尼崎事故以降のJR東日本のやり方だ。こんな血も涙もないやり方で労働者の首を切る奴らを許すことはできない。
苦情処理すらせず
絶対に許すことができないのは東労組だ。自らの組合員がこんな形で解雇されたというのに、「仕方ない」というのだ。「苦情処理」の紙一枚だそうとしなかった。すでに期限は切れている。
東労組役員は解雇を事前に知っていた。にも係わらず、会社の言うがまま、何ひとつしようとしなかった。解雇通知一枚で労働者を職場から放り出すようなやり方を、平然と許していた。そして、「千葉支社は裁判を起こしたり、騒いだりしなければ、しばらくして関連会社への再就職を世話すると言っている」などとウソぶいているのだ。
逆に返せば、再就職の世話ができるというなら、解雇する必要など何ひとつなかったということだ。
腐りきっている。東労組が会社の手先でしかないことは誰ひとり知らない者はいないが、ここまで腐りきっているとは!会社とグルになって一人の労働者の人生を奪おうというのだ。
方針修正のペテン
だが、職場から怒りの声が吹き上がるなかで、これでは余りにまずいと思ったのか、今になって「方針修正」が始まっている。「処分の軽減」だとか、「見せしめ的処分を許さない」「裁判闘争も辞さず」と言い始めている。
これはペテンだ。現場の怒りの声を逸らすだけが目的で、黙っていたらろくなことをやらないのは目に見えている。「苦情処理」すらかけず、会社との関係では解雇を認めているのだ。
職場の怒りの声を
これは本気でやったら勝てる闘いだ。携帯電話で一発解雇など法律的にも通用しないものだ。解雇撤回に向けて職場から怒りの声をあげよう。この不当解雇を撤回させるただひとつの道は、解雇されたA君を守りぬき、職場から解雇撤回闘争を組織することだ。その怒りの声で東労組の腐り切った幹部たちに引導をわたすことだ。
動労千葉も、国鉄時代に同じような見せしめ的解雇攻撃を受けたことがある。当時の動労千葉地方本部執行部は、当局と癒着した御用幹部たちが握っており、解雇撤回闘争を闘おうとはしなかった。しかし、闘いは職場から組織され、「滝口君を守る会」を結成、組合員のほとんどの加入をかちとり、裁判闘争に勝利して職場復帰をかちとったのである。そして、その闘いの過程で、この解雇をきっかけとして吹き荒れた激しい組合破壊攻撃、強権的な職場支配をはね返し、動労千葉地本は闘う労働組合に生まれ変わった。
首切りの手先!
今こそ、東労組の本質を見すえよう。
そもそも東労組は、国鉄分割・民営化のときに、20万人にも及ぶ国鉄職員の首切りの手先になることで、JRに取り入り、その飼い犬になった組合だ。JRが発足したのは1987年だが、それに至るわずか6年間に20万人もの国鉄職員が職場を追われた。その手先になったのが今の東労組だ。
JRが発足して以降のことは、誰もが職場で経験しているとおりだ。合理化は丸呑み、ベアゼロも丸呑み、今度の祝日手当て等の廃止も丸呑み、組合の役員を握る革マルの組織維持だけが目的なのだ。今こそこんな連中を倒そう。動労千葉に結集しともに闘おう。
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