運転士を対象としたライフサイクル絶対反対・下
【6369号より続く】
乗務員の諸手当も削減?
「ライフサイクル」提案は、運転士を駅に回すということだけでなく、賃金のあり方まで変えてしまおうという内容を含むものだ。「賃金の取扱いについては成案ができ次第、別途提案する」というのだ。
具体的な中身はまだだされていないが、この間、運転士以外の特殊勤務手当の削減が一斉に強行された経緯を考えれば、キロ額、時間額等、乗務員関係の諸手当(特勤手当)の削減・切り捨てが考えられる。
JR東日本は、運転業務の責任の重さや苛酷さ、特殊性を全て無視し、否定しようという動きにある。だからこそ、「運転士から駅に下ろし、また運転士に戻す」「乗務員関係の諸手当など無くしてしまえ」というとんでもない発想が生まれてくるのだ。
運転業務をナメている!
運転業務は、全責任が運転士一人の肩にのしかかる仕事だ。ひとつ間違えば重大事故につながりかねない緊張が強いられるなかで、些細なミスや事故が全て処分の対象とされる。業務は不規則で多くが早朝・深夜にわたる。猛烈なスピードアップと長時間勤務が強制され、休憩や仮眠もろくにとることができないなかで、必死で安全を守ってハンドルを握っている。
しかし、JR東日本は、そうしたことを一切否定し、運転士のプライドも打ち砕こうとしているのだ。それが「ライフサイクル」提案であり、賃金のあり方まで変えようということだ。駅業務と同等に扱うのだから、運転士関係の諸手当など削減してしまえというのである。こんなことをしていたら安全はさらに崩壊する。それどころか、運転士のなり手すら居なくなるだろう。
団結破壊攻撃だ
さらに「ライフサイクル」提案は、労働者の団結を破壊し、会社の意のままになるロボットのような社員をつくろうという労務政策でもある。
国鉄分割・民営化攻撃以来、会社の労務政策の焦点は、運転士を意のままにすることに据えられてきた。運転士さえ支配しておけば安心だという構えであった。だから革マルと手を結び、強制配転や「血の入換え」、士職登用差別で、動労千葉や国労の組合員を運転士から排除することに全力を尽くしてきたのである。
今回の「ライフサイクル」は、絶対に会社に逆らわせない体制をつくることをも意図していることは明らかだ。今こそ、職場から反乱を起こさなければならない。
運転士の高齢者対策は?
運転士の「ライフサイクル」を問題にするなら、本来真っ先に考えなければいけないことは高齢者対策だ。現在の乗務行路で、神経をすり減らしながら60歳まで本線を乗り続けるなど無理なことだ。年金支給年令の引き上げによって、65歳まで少なくとも何らかの形で雇用の継続が法的にも義務づけられ、「定年延長」という問題が待ったなしの課題として突きつけられている。こうした状況のなかで、最大の課題となるのが、士職の高齢者対策だ。
ところが、今回の提案は、「ライフサイクル」と言いながら、何よりも考えなければいけないはずの核心問題にはひと言も触れていない。一旦駅に行き、運転士に戻ってからは退職するまで本線を運転しろ、という内容だ。こんな酷い話はない。
国鉄時代には、高齢者対策で、40台半ばにはほとんどが、外勤(構内)や内勤、指導員に降りていた。だが、今はそうした職場も、高齢者対策としての位置ははぎ取られ、あるいは外注化の対象とされて、運転士の行き場が無くなっている。
東労組の裏切りを許すな
東労組は、この提案について「趣旨は理解できる」と会社に答えたという。一体、どこが理解できるというのか。理解できる部分など何もない。現場では怒りが渦巻いている。「理解できる」というなら、それを現場に説明する責任があるはずだ。しかし、東労組の役員たちは、何ひとつ説明もしようとしないで、自らの身の安全と利権、会社との癒着体制を維持するために、職場を売り渡そうとしている。
これは、これまでの裏切りの集大成とも言うべきものだ。乗務員制度の改悪も、業務外注化も、東北地方からの広域異動も、特殊勤務手当の削減も、あらゆる合理化を全て認めてきた結果行き着いたのが、運転士を対象とした「ライフサイクル」だ。東労組の裏切りを許すな。労働組合は何のためにあるのか。こうした卑劣な攻撃を許さないためにこそあるのではないか。団結し、職場から怒りの声をあげよう。
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