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年月 日 No. |
羽越線列車転覆事故を弾劾する・下
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実験は103系をモデルとした車両模型を使って行なわれており、鋼板制の重い車両である。羽越線での事故車両も485系で、40t以上ある重い車両であった。これが、重量が7割程度しかない現在のステンレス製軽量車両だったら、さらにずっと弱い風速で転覆するということだ。
羽越線事故も、車両が仮に軽量化車両だったとしたら、もっと深刻な大惨事となっていたことはほぼ確実である。
ここに示されているのは、スピードアップや車両の軽量化が、運転保安上いかに危険なことなのか、ということである。
改めて尼崎事故で全く厚みがなくなるまでペシャンコに圧し潰された車体の姿を脳裏に焼きつけなければならない |
われわれは改めて、尼崎事故で全く厚みがなくなるまでペシャンコに圧し潰された車体の姿、その中で107名もの乗客。乗員が生命を失ったことを脳裏に焼きつけなければならない。従来の車体と比べ、剛性が半分しかないペラペラな車体は、いつ強風に吹き飛ばされてもおかしくない車両でもあるのだ。
しかも、極めて不安定な構造をもつボルスタレス台車が、横風に対してどのような特性をもつのか、という問題が検討された形跡は全くない。
千葉支社管内でも、北浦橋梁、波太川橋梁、湊川橋梁、京葉線沿線など、ひんぱんに強風が吹く箇所が存在する。直ちに抜本的な安全対策が必要だ。
気象異常時の規制に関しては、強風だけでなく、降雨量に対する規制なども、国鉄時代と比べ、抜本的な規制の緩和が行なわれている。
そうした状況のなか、一例だが、千葉では、04年9月4日に、80q/hで走行していた下り1475M列車が、気が付いてブレーキをかけたときにはすでに間に合わず、集中豪雨によって完全に冠水していた成田線・酒々井駅に突っ込むという事態が発生している。
状況は、腰まで水につかる状態で、制御器やモーターなど、列車の床下機器類は完全に水につかっていた。
当該の運転士は、何度もこの状況を無線で指令に報告した。ところが指令員は、何と「35q/hで運転せよ」と指令したのである。このような状態のなかで起動したらたちまち激しいショートを起こす状況であった。しかし指令はあくまでも運転継続にこだわった。結局起きたことは、起動したとたんにOCR(過電流継電器)が動作し、続いて架線停電となり、遮断機などの溶損によりこの列車は自力運転不能となったのである。
この区間は、国鉄時代には、速度規制の基準だけでなく、1時間の降雨量が40o以上、又は連続降雨量が180o以上となった場合は、運転中止という定めがあったが、現在は運転中止の規制は全く無く、あるのは、25q/h又は35q/hという速度規制だけになっている。だから、指令員はどんな状況であるかなど関係なく、とにかく列車を走らせろと運転士に迫ったのである。
ここに示されているもうひとつの問題点は、現場からの声など一切無視し、あるいは、まともな判断力も失って、ただひたすらマニュアルどおりに走らせることしかできなくなった現在のJRの姿である。
さらにその背景には、駅の無人化や保線業務の全面的な外注化等の大合理化攻撃があることは言うまでもない。
これは、前号で述べた羽越線事故の背景にあるものと全く同じである。
昨年12月27日付の毎日新聞の社説は、
「設置場所が限られた風速計に頼っているだけでは、危険を察知できはしない。五感を鋭敏にして安全を確認するのが、プロの鉄道マンらの仕事というものだ。しかも86年の山陰線余部鉄橋事故などを引き合いにするまでもなく、強風時の橋梁が危ないことは鉄道関係者の常識だ。ましてや「いなほ」は秋田県の雄物川で風速25b以上だからと徐行したという。現場では計測値が5b低いと安心していたのなら、しゃくし定規な話ではないか」「突風とは言いながら、風の息づかいを感じていれば、事前に気配があったはずだ。暴風雪警報下、日本海沿いに走るのだから、運行には慎重であってほしかった」「尼崎の事故後、鉄道事業者は安全対策に万全を期していたはずだが、年も変わらぬうちに再発させるとは利用者への背信行為だ。取り組みの姿勢や関係者の意識を疑わずにはいられない」
と指摘しているが、そのとおりである。
事故当日は、山形県内に「暴風雪警報」が出されている状況であった。そのような状況下、運転規制もせず120q/hで列車を突っ走らせるなど、まさに無謀としか言いようがない |
問題は、国鉄分割・民営化の結果、コスト削減・営利優先の余り、そうした仕組みが完全に崩されてしまっていることだ。激しい合理化攻撃によって「風の息づかい」を感じるべき駅員などほとんど居ず、保線業務は丸投げ的に外注化され、運転士に対してはちょっと
した遅れやミスが徹底的に追及され、とくに尼崎事故以降、些細なミスによって「日勤」に下ろされた運転士が「うつ病」の診断書を出して休職してしまったり、失踪してしまうということまで起きる状態のなかに置かれている。
表面だけは綺麗に飾りたてられているが、これが、分割・民営化から20年余りを経てでき上がったJRの現実である。レール破断の頻発、尼崎事故、羽越線事故等、「安全」が根本のところから崩壊しはじめているとしか考えられない事態が続いている。1月6日には、川越線・南古谷駅〜川越駅間で、またもレール破断が起きた。まさに分割・民営化の矛盾が、「安全の崩壊」となって噴き出しているのだ。
このときに、労働組合の責任は重大である。われわれが幾度となく訴え、そして闘い続けてきたとおり、そもそも資本主義社会において、企業が、直接的利益を生まない保安部門への設備投資や保安要員の配置などを軽視、もしくは無視するのは当然のことである。とくに、現在のように、政府・財界をあげて競争原理が囃し立てられ、弱肉強食の論理で社会全体がローラーをかけられようとしている状況のもとでは尚更のことだ。
労働者の抵抗や労働組合の闘いがあってはじめて「安全」を資本に強制することができる。その闘いは、鉄道に働く労働者、労働組合の責務だ。大きな成果を実現した昨年の闘いを引継ぎ、今こそ、反合理化・運転保安闘争を強化しよう。06春闘を「反合・運転保安春
闘」として闘おう。