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言葉を失うこの現実!
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JR西日本ですら「運転士に回復運転をしないよう指導し、心理的な重圧を和らげる」と言っているときに、千葉支社は安全運転行動を「違法争議」だとして処分の脅かしをかけている |
千葉支社は、「あの大惨事を二度と起こしてはならない。無理な回復運転は絶対しないようにしよう」というわれわれの提起に対し「回復するのは当然」「現状でも運行の安全に問題はない」と言い放った。そして、安全運転行動を「違法争議」だとして処分の脅かしをかけている。
別掲の新聞記事を見てほしい。JR西日本をもち上げる気などさらさらないが、JR西日本ですら「運転士に回復運転をしないよう指導し、心理的な重圧を和らげる」と言っているときにこれである。言葉すら失う思いだ。
この行動は、本来争議でも何でもない。鉄道に働く労働者としての最低限の義務と言っていいものだ。
「こう言っちゃいけないかもしれないけど、運転士は死んじゃって良かったんじゃないかと思う。生きていたら地獄だよ。自殺するしかなかったかもしれない」・─・これが、尼崎事故での後の組合員の声だった。
営利と組合潰しだけに突っ走るJR東日本の職場の現実のなかで、誰もが「あすは我が身」と思っている。
これまでもほとんどの事故が「運転士のミス」のひと言で処理され、本当の原因は闇から闇に葬られてきたのだ。東中野事故のときも、大月事故のときもそうであった。日常的な些細なミスでも処分、「重大な過失」とされれば逮捕−クビ、最悪の場合は今回のようにブレーキハンドルを握りしめたまま生命を落とす。事故を起こしたくて起こす運転士など誰も居ない。だが、これが運転士がおかれだ現実だ。
重大事故が起きれば、その場限りの安全対策が実施されることはあっても、根本のところは何も変わらず、喉元を過ぎれば同じ安全無視が次から次へと繰り返される。
大月事故のときなどまさにそうだったように、会社からも、組合からも、「お前の責任だ」と徹底的に叩かれて、組合も会社も弁護士すらつけず、一生事故を背負って生きなければならない。
「闘いなくして安全なし」「労働者への事故責任転嫁を許すな!」のわれわれの魂とも言うべきスローガンは、こんなことを絶対に繰り返させてはならないという思いから生まれたものだ。 動労千葉の反合・運転保安闘争の原点となった1972年の船橋事故も、死者こそなかったものの、552名の重軽傷者をだす大事故だった。
われわれは、世間から何と言われようが「労働者への事故責任転嫁粉砕!」「裁かれるべきは国鉄当局だ」と訴え、高石運転士を守って闘いに起ちあがった。動労のなかですら「事故問題が労働運動の課題になるはずはない」が全体の認識だった。
しかし、旗を掲げた瞬間から、これは現場が何よりも切望していた闘いであったことが明らかとなった。裁判などへの動員は指示した人数の倍の組合員が集まり、乗務員分科会は管内の全線路を歩いて危険な箇所を摘発する運動をはじめた。そして、沸き上がるような怒りの声のなかで高石さんの職場復帰をかちとったのだ。この原点を守りぬこう。安全運転行動を貫徹しよう。