home page 日刊動労千葉 前のページに戻る

No.

05春闘総決起に向けてbS
さらに3名の仲間が復帰!
強制配転粉砕の第2ラウンドへ

幕張電車区への職場復帰をかちとった、市東正晴サン、鈴木敏夫サン、野村康哉サン

さらに3名が復帰

 2月25日付で、市東正晴サン、鈴木敏夫サン、野村康哉サンが幕張電車区への職場復帰をかちとった。昨年2月闘争の確認に基づく12人目の職場復帰だ。
 3人はもともと運転士。鈴木サンは、国鉄時代に、悪名高い「船橋人活センター」に配転され、JR発足時の配属も「久留里線無人駅担当」と称して、必要もない無人駅の清掃業務に従事させられてきた。その後もいくつもの駅をたらい回しされた。市東サンもJR発足時に「御宿セールスセンター」という業務実態の全く無い職場に配属され、その後一旦は千葉運転区に職場復帰をかちとったが、些細な理由で再び配転され、駅をたらい回しされてきた。野村サンも、直営売店に配転され、直営売店の廃止時にも職場復帰を拒否されてきた。
 昨年の2月闘争−05春闘50日間闘争でJR体制を揺るがし、こうした現実に風穴をあけた意義は限りなく大きい。
しかし、今回の職場復帰は、最終的な解決ではない。全組合員の力を結集してきりひらいたこの小さな一歩をおし広げ、何としても「堤防決壊」を実現しよう。05春闘は、そのための第二ラウンドの闘いだ。

闘いの大きな地平

 今の時点からとらえ返してみると、昨年2月闘争が切り開いた地平は考えていた以上に大きなものであった。
 昨年秋以降、JR東日本と国労の和解という新たな事態が動きだしているが、われわれはそうした状況を前に、全組合員の総力を結集した闘いで、強制配転者の職場復帰を実現したのだ。
 昨年2月は、東労組に対して、ベンディング職場廃止の提案が内々にされていた時期であった。東労組はこれに対して「国労を職場に戻す気か」と猛反発していたのである。ちょうどこのときにわれわれは闘いに突入し、この成果を実現したのである。この闘争は情勢とがっぷり組み合い、JR体制を揺るがす闘いとなったのだ。
 われわれは、この闘いを通して、改めて労働運動の原則を貫きとおすことの大切さを学んだ。われわれの前に立ちはだかっていたのは、いつ打ち破れるともしれない厚い壁だった。しかしわれわれは、労働者の団結と仲間を何よりも大切にしてこれにたち向い、ついに穴を開けたのだ。小さな風穴かもしれない。しかしこれは労働者の誇りをかけて闘いぬいた貴重な成果だ。

第2ラウンドへ!

 新たな情勢のなかで、05春闘のもつ位置はより大きなものとなった。
 われわれは、会社と国労の和解情勢を甘くは見ていない。なぜならば、それは1047名闘争をはじめ、国労も動労千葉も潰してしまえという意図をもつものだからだ。
 しかし一方でそれは、JR東日本が不当な差別をしていたことを事実上認めるということでもある。「配属差別事件」での和解が示しているのは、動労千葉の組合員に対してだけ不当な差別を続けるようなことは、もはやどのような意味でも正当性を失ったということだ。根本的な矛盾をはらんだ攻撃だ。問題はこのときに労働組合がいかなる構えをもつかである。
 われわれは、05春闘を「強制配転粉砕に向けた第二ラウンド」と位置づけて、希望者の本線運転士への復帰、予科生の士職発令を強く求める。
 断固として闘い続けよう。こじあけた風穴をおし広げよう。全ての強制配転者の職場復帰をかちとるために、05春闘への闘争体制をうち固めよう。

大失業と戦争の時代に通用する新しい世代の動労千葉を創りあげよう!
 
ページの先頭に
前のページに戻る