3月12日、千葉県地方労働委員会において、「シニア制度」差別事件(第2事件)の第2回審問が行なわれ、各支部から多くの組合員が傍聴に駆け付ける中、田中委員長に対する会社側反対尋問及び、申立人本人である斎藤勇さんに対する組合側主尋問、会社側反対尋問が行なわれ、二人の証言の終了をもって本件は、この日をもって終結となった。
第1事件での浅野さん、三平さん、羽鳥さん、そして本第2事件の斎藤さん、伊藤さん、前田さん、後藤さんを守りぬき、勝利命令の獲得に向けて全力で闘いぬこう。
脱退届のコピーを提出させる!
最初に、田中委員長に対する会社側からの反対尋問が行なわれた。尋問の中で会社側は、出向している組合員が63歳まで働くための条件はどこで決まっているのか、脱退に対して会社が示唆したとの内容とはどういうことか、会社の責任逃れとはどういうことなのかなどを尋問してきた。
これに対して田中委員長からは、63歳まで出向先で働いていた事実があり、出向先会社の入社式や日常的に上司からも言われている事実があることを明らかにした。
また、会社が脱退を示唆したとの点については、脱退届けのコピーを会社に提出するなどということは通常ありえないことで、こうしたことからも会社側から脱退の示唆があったことは明らかであることを証言した。更に会社の責任逃れということに関しては、4月の面談時に組合所属を確認して以降、8月の「再雇用の場一覧等の資料」送付までの半年間で組合所属の変動があった場合確認のしようがないため、結局脱退を慫慂し続ける結果となり、それを隠すために8月中旬に通知を出したから、会社には責任がないという、責任逃れを行なおうというものだ、と会社の姿勢を糾弾する証言を行い、勝利的に証言を終了した。
65歳まで働くことで生活設計を予定
続いて、申立人本人である斎藤勇さんが証人席に着き、本件「シニア制度」の不当性及び組合所属による明らかな組合差別の実態を証言した。
まず、斎藤さんが千葉車両整備京葉事業所に出向した時点での千葉車両整備における60歳以降の取り扱いについては、本人が希望すれば63歳まで働き続けることができたこと、しかも当時で63歳を超えて働いている者もおり、斎藤さん本人も65歳までは働けることで考えていたことを明らかにした。
次に、京葉事業所での作業の関係では、検修業務を担当し、その中では主任を努めていることを明らかにし、京葉事業所推薦により千葉車両整備からは優良社員として表彰もされているなど、動労千葉の組合員であることを理由にして排除するような状況にないことを鮮明にした。
「情勢の変化」とは脱退のことだ
そして、昨年4月25日に千葉支社で行なわれた面談について証言を行なった。
面談の内容は以下のとおりだ。
担当者 シニア協定を結んでいない組合があるのは承知していますね。
斎 藤 私が所属している組合です。
担当者 情勢が変わったら連絡を下さい。これで面談を終わります。
この面談の内容で「情勢が変わったら」という意味について斎藤さんからは、組合を脱退したという「状況の変化」があったら連絡をしろ、との意味だと受けとめたことを明らかにし、この面談自体が露骨に組合所属を確認し、しかも脱退を逍遥する場になっており、60歳を間近に控えた労働者を何故このよう苦しめるのか、何故脱退を強要する必要があるのかと、会社側の姿勢を糾弾する証言を行なった。
最後に斎藤さんから千葉地労委に対して、60歳からの再雇用について、本来であれば60歳で定年退職した場合には組合所属がなくなるにも関わらず、何故労働組合の所属によってこのような不当な差別を受けなければならないのか、しかも、働きたいという労働者の意思を全く無視するような「シニア制度」を許すことはできないことから、早急に救済命令を出してもらいたい、との意見を述べて組合側主人を終了した。
会社側反対尋問では、数点の確認が行なわれたが、その中でも、「シニア協定」を締結していないことを触れてきたが、業務の外注化と一体のものであることを証言し、到底認めることはできないときっぱりと証言し、斎藤さんの証言は終了した。
勝利的に結審!
「シニア制度」差別地労委は、この日の審問の終了をもって勝利的に結審となった。
早期救済命令の獲得に向けて闘いを強化しよう。
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