常任顧問 中野 洋
動労千葉の原理・原則は、反合理化・運転保安確立の闘いであった。動労は、60年代初頭に「闘いなくして安全なし」のスローガンを確立した。そして、その闘いを最も先頭で担ったのが千葉地本だった。72年の船橋事故−高石闘争は反合・運転保安闘争をレベルアップさせ、われわれは全国一の労働条件を獲得した。しかしそれは分割・民営化攻撃で一瞬にして奪われた。そして今度は保守三部門の全面的な外注化攻撃で安全を司る部門を切り捨てようとしている。安全を脅かす攻撃にはわれわれは問答無用で反対する。
動労千葉は日本の労働運動がやれなかったことにチャレンジしてその常識を覆して、団結を守りぬいてきた。新しい体制のもとに階級的労働運動を貫いた動労千葉が組織を拡大するという歴史にない闘いに挑戦しよう。
私は人生の全てを労働運動にかけ、皆さんのようないい仲間に出会えて本当に幸せだった。今後の新執行部をバックアップしたい。 |