動労千葉鉄建公団訴訟第19回公判報告(11/21)
求釈明打ち切りと証人調べへの移行強行に弁護団が猛烈な抗議!
4者4団体による「解雇撤回」の放棄、政治的和解路線を絶対に許さない!
11月21日、11時から、東京地方裁判所528号法廷において、動労千葉鉄建公団訴訟の第19回公判が、1047名の当該である高石君、中村君を先頭にして、各支部から結集した組合員、動労千葉を支援する会の仲間が傍聴席を埋める中で行われた。
「不採用基準」の成立過程を隠蔽する鉄道運輸機構
この間動労千葉からは、動労千葉12名を不採用にした「停職6ケ月、停職2回以上」・という、本件の核心部分について解明を求めて争ってきたが、鉄道運輸機構は、何らまともな釈明を行わないという不誠実な対応であった。こうした中、今年4月23日の公判において新規に著任した白石裁判長から、「『運用基準』の合理性・合理性の主張が充分ではないので補充するように」との指摘が行われた。この指摘は、動労千葉も求めていたものであり、訴訟進行上も極めてまともなものであった。
しかし、これに対して鉄道運輸機構は、8月29日の公判で、「『運用基準』の作成時期は87年1月頃。しかし詳細は不明」とう、全く中身のない釈明に終始するというものであった。
そもそも鉄道運輸機構は、「停職6ケ月、停職2回以上」という「不採用基準」を理由にしてJRへの採用名簿に不搭載したと正当性を主張してきた。そうであれば、「不採用基準」に関する立証責任は鉄道運輸機構が負うものであり、正当性を論証することは裁判の当事者として当然の責任だ。しかし鉄道運輸機構は、「不採用基準」が誰によって、どのような経緯によって成立したのか等々については一切釈明に応じず、その挙げ句に8月の公判では「詳細は不明」という、とんでもない主張を行ってきた。これ自体事実の隠蔽と言わざるを得ないものだ。
鉄道労連の要求に応じた国鉄の対応について新たな釈明
こうしたことから動労千葉は、今回の公判において、あらためて鉄道運輸機構に対する求釈明書を提出し、@87年2月3日付朝日新聞において、杉浦国鉄総裁(当時)が、「新会社の希望者数が採用予定を下回っている場合、恣意的に埋めないのは問題がありそうだ」との言明について認否を避けていることについて、事実ではないとして抗議等を行った事実があるのかどうか、A鉄道労連結成大会のレセプションに杉浦総裁が出席したことは認めたが、「新局面に対応して皆さんの努力に応えるように考えていきたい」との発言は行われていないと抗議したかどうか、B杉浦総裁の発言で言われた「新局面」とは、採用予定者が下回ったことにより動労千葉や国労が採用されることに対して、鉄道労連結成大会の特別決議で「職員の採用は改革の努力をしているか、努力せずに妨害しているかによって区別すべき」「具体的な処置を速やかにすべき」という中身に応えるものであったのかどうか、Cそして、「努力」「応える」「考えてゆきたい」とは具体的な対応であるのかどうかについて釈明を求めた。
鉄道労連の要求に応じて『不採用基準』ができたことは明白
こうした動労千葉からの釈明が行われる中で白石裁判長は、「提訴からすでに4年が経過している、求釈明もあり膠着状態が続いている、原告と被告で立場が違えば対立はしょうがない、今後は証人調べを行うことで間接事実に基づく立証に入るのが望ましいと考えている、そうなると動労千葉の当該から証人調べに入りたい」として、次回までに動労千葉から主張書面と、証人申請を提出するようにとの訴訟指揮が行われた。
こうした一方的な訴訟指揮に対して動労千葉弁護団は次々に立ち上がり、「不採用基準」について「成立は87年1月頃」と主張するのであれば、明確な立証が行われるべきであること、87年2月12日の設立委員会で「運用基準」の説明が行われたとあるが、そうであれば「運用基準」=「不採用基準」の成立も説明できるはずであり、それが行われないうちは安易に証人調べに移るべきではない、との猛烈な抗議を叩きつけ、裁判は終了した。
公判終了後の報告集会では、1047名の当該である高石正博君と中村仁君から、4者4団体による解雇を放棄した和解路線を絶対に許さず、勝利に向けて闘いぬく決意が明らかにされた。
次回公判は、09年2月25日(水)11時から、526号法廷。傍聴に結集しよう! |