第22回『組合費公判』で中野証人が堂々論陣

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国鉄「分割·民営化」阻止!三里塚二期着工 粉 砕 !
ゆれたござな動労運動の正統を継承者
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や22回「組合員公判」で中野証人が堂々の論陣(%)
して裁判長までが、「同じ人間がやっていること
ピントはずれの動労「本部」側代理人の尋問に対
合員ではない と主張した。さらに、このおよそ
動労千葉である」とし、実体は「千葉地本」の組
ぱりと、「動労の労働運動の伝統を継承するのは
いか」と尋問したことに対し、中野委員長はきっ
があるから、復帰したいと思っているからではな
千葉地本時代と連番にしているのは、動労に未練
成後も組合の大会やサークル協大会の開催番号を
特に、動労「本部」側代理人が「あなた方は結
の意図をコッパミジンに粉砕した。
具体的事実にもとづく陳述を行い、動労「本部」
『本部』から独立したものである」 ことを中心に、
労千葉地本一四〇〇名がそっくり動労千葉として
われが動労運動の正当な継承者、体現者であり動
の名を使ったのは便宜上使ったものであり、われ
のための準備資金である」「この間動労千葉地本
正式に分離独立した。この間徴収した資金は結成
としての運動を展開し、三月三〇日の結成大会で
意し、実質的にこの時点から一四〇〇名の団結体
年十一月二七日の支部代表者会議で分離独立を決
は動労『本部』に組織排除されたから、一九七八
こうした愚問に対し、中野委員長は「われわれ
木更津一幕張-新小岩 3支部で


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した。
を開催して行きたいと思います。
たと思います。今後も、活発に支部間交流
過に話しも弾み、大変有意義な一日であっ
所を移し、お酒にカラオケまた、試合の経
敗となり、試合終了後、汗と泥を流し、場
が二勝、幕張支部一勝一敗、新小岩支部二
進められ、結果は、若さに勝る木更津支部
ぞれ二試合行い、真剣ななかにも和やかに
本部サークル協野球大会に向けて、それ
区営グランドにおいて開催されました。
天にめぐまれた四月三十日、十時、江戸川
幕張、新小岩の三支部交流野球試合は、好
の厳正」攻撃等、厳しい情勢の中、木更津
「三本柱」「余剰人員対策」「職場規律
和やかに交流野球試合
次回公判は七月十八日(十五時三〇分) に行わ
おいて判断するとし、二時間におよぶ公判を終了
山下、斉藤の前にするか後にするか、次回法廷に
労千葉側から申請していた中江証人については、
動労「本部」の意図を
コッパミジンに粉砕
やめるべきだ」との抗議が出される始末であった。
とがないなら、いたずらに時間を引きのばすのは
注文をつけ、動労千葉弁護人からも「尋問するこ
裁判長はみかねて、「重複はさけるように」と
愚にもつかぬ尋問をくどくどと行った。
同津田沼支部組合員) 両証人を採用すること、動
請のあった、山下(当時の佐倉支部長)、斉藤(
この後、動労「本部」側代理人からあらたに申
斉に狼狽するという有様であった。
等しいことであり、動労「本部」側代理人は、
ることを指摘され、いわば振り出しに戻されるにし
降六年目にして、「告訴論点」があいまいであ
この裁判長の要請は、動労「本部」側の告訴以
なかったのか」 ······· など、約一時間半にわたって
七日から結成大会まで動労千葉地本は存在してい
が、これは動労の組合費ではないか」「十一月二
収していたのではないか」「結成準備資金という
も、依然として動労の地方本部として組合費を徴
立を決めた一九七八年十一月二七日の支部代以降
いつか、脱退したのか除名されたのか」「分離独
動労「本部」側代理人は、「動労をやめたのは
た。
と。従って次回は、この論理を整理する様要請しも
から「横領」へ変ったことについて明確にするによ
まり、被告一〇名に対する「依任義務不履行」 !!
が当初と大きく変ってきていることを指摘し、つ
最後に、裁判長は、動労「本部」の告訴の論点
デタラメなり 告訴論点!
全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ
動労「本部」側代理人
愚問をくり返すのみの、
聴席からもおもわず 失笑が起った。
だから当然でしょう」と動労側に対して悟し、傍
0000
「本部」側代理人による反対尋問が行われた。
第二二回組合費公判は五月九日、前回に引き続き中野委員長が証人として出廷し、動労
動労本部」のデタラメ告訴論点で裁判はぶり出しに
88
新動芳千葉
5
85.5,16
00
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NO. 1939
(鉄電)二九三五~六·(公衆)〇四七二(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合
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