各副支部長さんに聞く⑤ 蘇我支部 佐倉支部

1827

読み込みエラー:

PDF をダウンロード

第二部
午後二時三〇分~五時
連帯のあいさつとアトラクション
第一部 基調報告 午後一時~二時三〇分
千葉県労働者福祉センター大ホール
85
一九八五年一月十二日 (土) 午後一時~
団 結 旗 開 き
めていこうと思います。
(支部副支部長)
見せた団結力をもって、さらに闘いを進
支部長を先頭に10·10三里塚現地集会に
この廃止攻撃を粉砕するために、大塚
となって取り組んできました。
署名活動、立て看作りをはじめ支部一丸
我機関支区廃止絶対反対の方針を確認し、
外ほとんどの組合員が集まり、全員で蘇
ただちに開いた職場集会には、勤務以
い 提案を行ってきました。
叶 我機関支区廃止という許すことのできな
理化計画の中で、われわれの歴史ある蘇
ったと思います。あの全国一〇一基地合
一二一 員にとって忘れることのできない年であ
一九八四年という年は、蘇我支部組合
攻撃はとどまるところを知りません。
そして「60·ろダイ改」等、国鉄当局の
十万人首切り攻撃である首切り「三本柱
監理委員会による分割民営化にむけた、
「5)·2ダイ改」、動乗勤改悪、国鉄
ト てはならないと思います。
あるかのようなマスコミ等の宣伝に負け
来の四九名が決起するという闘いを実現
「ろ·2」集会には、佐倉はじまって以
その一端をにないぬいてきました。特に
五割動員を実現し、私たち佐倉支部でも
:::
• 25」 「10
1·10」三里塚現地集会の組織
ために、ストライキ体制でのぞみ、「ろ
もつものとして、職場から反撃していく
撃であり、三里塚闘争圧殺と同じ狙いを
策として、根こそぎ解体しようとする攻
革、軍事大国化–憲法改悪攻擊=戦争政
日帝中曽根内閣の押し進める、臨調·行!
ぶしが単なる国鉄だけの攻撃ではなく、
われわれ動労千葉は、国鉄労働運動つ
闘いの年でもあったと感じています。
八〇年代中期階級闘争の未来のかかった
前進するか、大敗北を強要されるかー
対して我々国鉄労働者が反撃し、闘って
一九八四年は、国鉄労働運動つぶしに
佐倉支部 田 中 龍美
闘えば勝てることを示した
臨調 · 行革粉砕!
三 里 塚 ジ エ ツ
卜闘争勝利!
大高揚に向けて、七八名の組合員一丸と
ろダイ改」粉砕、八五年国鉄労働運動の
今後も動労千葉の一翼をにない、「60·
しました。そうした不抜の確信をもって
「本部」派のスト破りをうち破って実現
我々佐倉支部は八一·三ストライキを
トライキ実現」への力となるだろう。
こうした力こそ、「再度の八一·三ス
五割決起ではなかったのか。
る事を示した闘いが、動労千葉の三里塚
導、働きかけによってかならず決起でき
勝てないという中で、労働者は強固な指全
日本の労働運動が右傾化し、闘っても組
たと確信しています。
反戦·反核保争の先頭にたっ
見せつけ、強固な職場体制を創り出しょ員
そして、国鉄当局に、闘う組織的団結を家
識が、三里塚決起となり結実したのです族
変わり、何とかしたい」との組合員の意の
われ、「このままではダメだ」「現場も強
しました。
この事は、職場既得権が、少しずつ奪
「ろ·25」、「10· 10」
戦争体制づくりに突進する中曽根と対決し、

:
ず であって、われわれ国鉄労働者に責任が
「赤字」は政府と国鉄当局の経営責任
けられてきました。
の「赤字」を口実とした数々の攻撃がか
なってしまいましたが、政府、国鉄当局
今年も後わずかな日数を残すばかりと
蘇我支部 菰 田 庄 一
·マホーク配備をやるきな !!
蘇 我 支区廃止を許さない
「戦後政治の総決算」を叫ぶ中曽根は、歯止めを
はずした軍事大国化·改憲、核武装化への道へと突走っている。
三里塚二期強行を宣言し、6月には、トマホークの導入を広言、
9月には血ぬられた全斗煥をまねき侵略戦争への手を握り合
った。そして12月カールビンソンを寄港させ、軍事費突出(GNP1%
ゆく突破)
予算、来年
1月元旦に
戦争屋レー
全斗煥来日阻止
合三芳
労農学
みぼちぼいめいて
¥5
日帝の朝鮮再侵略粉碎
(支部書記長)
なって闘う決意であります。
ガンと会談
里塚二期安戰勝利
のため訪米。
RICCHman 危険な時
公決起集会
1巻代が丘
づいて
いる。
84動份千葉ら
全組合員·家族の強固な団結で組織結構すむ
加動芳千葉
84. 12. 26
No. 1827
2
1
(鉄電)二九三五~六·(公衆)〇四七二(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合
タイトルとURLをコピーしました