中国の市民労働者との交流 訪中報告2

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三里塚·ジェット闘争貫徹!「国鉄35万人体制」粉砕!
中国の市民·労働者との交流
I

N
:
胡同とは、日本で言えば横丁とでも言うべき狭い
ができました。
行社北京分社の通訳·馬さんの案内で訪ねること
悪が胡同と妹が生れた王芝麻胡同を、中国々際旅
今回の訪中で、私が生れた (と父母から聞いた)
揚げた四才まで北京市で育ちました。
私は、一九四二年に北京市で生れ、敗戦で引き
生れた街を歩いて
いることも、いかにも中国的現実だと思いました。
牛で引くスキと耕運機とトラクターが共存して
に人が群がる人海戦術の中で行われていました。
え (三毛作で年間麦一回と稲二回) がアリのよう
色に稔った麦の刈入れと、刈り取った後への田植
よく快適です。窓外はどこまでも続く麦畑で、金
る列車の旅は、前述したように線路状態が極めて
車一名づつの列車員がお茶のサービスをしてくれ
四人が向い合う座席の間にテーブルがあり、各
のではないかと思います。
いのに驚いた)生活はむしろ日本より暮しやすい
安く(実際に各都市の市場や商店で肉や野菜が安
いように思われますが、住宅費や食料品が非常に
一元=約一三五円で換算すると非常に賃金が安
機関士は副話
あることなどがわかりました。
じであること、深夜勤務は一回につき〇·六元で
修繕員の賃金は月額七〇元で工場等の労働者と同
二〇元の乗務手当がつくこと、また駅務員、車両
長は七〇元、列車員は六〇元で、各々月額十五~
額で副司机·八〇元(一元は約一三五円)、列車
間づつ二日勤務して一日休み=であり、賃金は月
国の列車乗務員の勤務は「三天休息一次」=八時
副司机、機関助士は司炉であること。中
車員(各車両派一名) が乗務し、女性が多いこと、
その中で、車掌は列車長(各列車に一名) と列
交流をすることができまし
沙た。
の男性と三四才の女性の車掌と三人で筆談による
上海から南京へ向う列車の中で、乗客の五三才
機関士は副司机
フスー
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中国語を勉強して行くべきだったと反省しています。
ある程度の意志疎通はできました。
訪中報告 加
夕暮れのフートンの スナップ
っていました。
した。
量のものがありました。
B2 B 11
ら感謝を申し上げたい気持ちでいっぱいです。
訪中団のみなさん、中国の関係者のみなさんへ心か
員のみなさんをはじめ、現地で機会を与えてくれた
私を訪中団に参加させてくれた動労千葉の全組合
を超えた父母に思わぬ親孝行ができたと思いました。
四十年近い年月の重みを感じると同時に、七十才
を特定することはできない。大分変ったなぁ」と言
の街に住んでいたが、住んでいた家(私の生れた家)
帰国後、この写真を見た父母は「確かにこの写真
同を往復する間に、四十枚をこす写真を撮っていま
気がつくと、延長一キロメートルほどの二つの胡
生れた所」へ三十数年ぶりに来たのだと思うと感無
の胡同での生活の記憶は何もありませんが「自分の
る直前に敗戦によって日本へ引き揚げた私には、こ
ん囲気を濃密にただよわせていました。満四才にな
全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ!
目に入るもの全てが、中国の人々が生活しているふ
立てかけられた自転車、水が半分入ったバケツ等々、
路は、立ち話をする人、走る小供、レンガの家壁に
街路です。両側にレンガ作りの家々がたちならぶ小
ないわけですが、やはり、現地で中国の人々と直接話し合ったことの印象は強く、もう少し
一名と、各都市毎の随行員一~二名を用意されており、交流·見学に当っては何の不自由も
中国々際旅行社が訪中期間中を通しての随行員(通訳)
くわからなかったということがありますが、幸いなことに、現地では筆談によってお互いに
訪中に当って、急にきまったので充分な用意ができなかったことのひとつに中国語が全
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動学千葉執行套景 布施宇一
CD
E
動芳千葉
82.7.21
No. 1101
(鉄電)二九三五~六·(公衆)四さこ(2)七二〇七
千葉市要町二·八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合
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