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1985 |
1985年1月-12月 |
1985年 月別目次 | ||
1月 | 動労職場で何が起きているのか | 1830-1852 |
2月 | 2.20-21順法闘争 | 1853-1876 |
3月 | またも津田沼で電車に謀略「ビラ貼り」 | 1877-1903 |
4月 | 相次ぐ自殺、組合費未払い 脱退ーー『綱紀粛正』処分 腐敗を深める動労本部 | 1904-1928 |
5月 | 銚子支部青年部結成 | 1929-1952 |
6月 | 動労本部全国大会方針を弾劾する | 1953-1977 |
7月 | 今、動労職場で何が起きているのか | 1978-2003 |
8月 | 革マル=嶋田誠を許すな | 2004-2027 |
9月 | 第10回定期大会 大会速報 | 2028-2051 |
10月 | 10.20三里塚 1万5千 動労千葉450名で決起 | 2052-2078 |
11月 | 本日正午スト突入 1万の機動隊 500の白腕が何だ! | 2079-2104 |
12月 | 第3回定期委員会 高らかに「第一波」勝利宣言 | 2105-2130 |
1985年12月 | ||
30日 | 1年を振り返って下 | 2130 |
28日 | 1年を振り返って上 | 2129 |
27日 | 交渉速報 千葉局運転関係で154名の要員合理化を提案 | 2128 |
26日 | 12.25千葉地裁が突如判決強行 中野委員長解雇無効請求裁判 | 2127 |
25日 | 『進路アンケート調査」許すな 希望という名の首切り | 2126 |
24日 | 5千万署名 動労千葉100%達成 | 2125 |
23日 | 来るなら来い! 第二波決戦へ | 2124 |
21日 | 12.14新小岩地域集会 幕張支部新体制 | 2123 |
20日 | 世の中を突き動かした!さあ!これからだ 定期委員会での中野委員長の挨拶 | 2122 |
19日 | 第一波は敵の心臓を突き動かした。中曽根、「余剰人員対策」のデマ宣伝 | 2121 |
18日 | 『スト破り』事実に口を閉ざし、居直る『国労千葉地本見解』 | 2120 |
17日 | 第3回定期委員会 高らかに「第一波」勝利宣言 | 2119 |
16日 | 須田、兼古ら国労内協会派指導部のスト破り居直りを糾弾する | 2118 |
14日 | 国鉄ゼネストへの突破口を開いた第一波スト | 2117 |
13日 | 軟式テニス大会 優勝千葉転支部 | 2116 |
12日 | 杉浦中曽根松崎の大ペテンが大破綻 10万首切りの事実を暴き国論二分の大論戦 | 2115 |
10日 | スト総勝集会 不当処分あれば年末年始吹き飛ばす怒りの反撃を確認 | 2114 |
9日 | 12.6支部代 弾圧処分うち破り、第2波闘争へ | 2113 |
7日 | 違法家宅捜査に準抗告で反撃 | 2112 |
6日 | スト破り当局に処分の権利はない | 2111 |
5日 | 成田地域集会120名 「よくやった」全国から檄電カンパ | 2110 |
欠番 | 2109 | |
3日 | 闘いはこれから 津田沼拠点報告2 | 2108 |
3日 | 『3本柱』非協力、スト口実に雇用安定協定協定破棄の暴挙 動労千葉、国労、全動労 | 2107 |
2日 | 杉浦総裁「談話」を弾劾する | 2106 |
欠番 | 2105 | |
1985年11月 | ||
30日 | 11.29午後6時40分警視庁不当家宅捜査抗議声明 | 2104 |
30日 | 第一波24時間ストを貫徹ー勝利したぞ 千葉転支部報告 | 2103 |
29日 | 135本運休 総武線ガタガタ 津田沼拠点―国労仲間が決起 千葉転拠点 スト破りを強制する国労役員 | 2102 |
28日 | 本日正午スト突入 1万の機動隊 500の白腕が何だ! | 2101 |
27日 | 機動隊導入=組合員排除 『スト参加者はクビ」の脅迫文を家庭に郵送 津田沼電、10メートルフェンスで包囲 | 2100 |
26日 | 11.22佐倉支部大会 11.22勝浦地域集会210名で大成功 | 2099 |
25日 | 11.21船橋津田沼地域集会 95名 5千万署名 66455名11.19集約 | 2098 |
23日 | 局長名のスト破り書面郵送・掲示は違法行為 弁護団が声明 | 号外 |
23日 | 第3回支部代 11.29スト戦術決定 総武線千葉以西対象に24時間スト | 2097 |
22日 | 『ストに参加したら全員クビにするぞ』スト破り恫喝=「局長掲示」弾劾 | 号外 |
22日 | 11.19銚子地域集会 103名で大成功 | 2096 |
21日 | 11.17集会報告2 動労千葉の決意 | 2095 |
20日 | 11.17集会報告2 連帯 | 2094 |
19日 | 11.29首都圏をぶっ止める第一波スト宣言 11.17集会3400名 | 2093 |
18日 | 11・13千葉地域集会180名で成功 | 2092 |
16日 | 11.11勝浦支部大会 | 2091 |
15日 | 『名札もつけないやつは不良品だ」「どう使おうと勝手だ」助勤者を虫けら扱い 反動松田人事課長 | 2090 |
14日 | 11.9銚子支部大会 | 2089 |
13日 | 雇用安定協定交渉 『組合員を出向・派遣にさしだすなら締結してもいい』 | 2088 |
12日 | 11.9木更津地域集会大成功 | 2087 |
11日 | 『一億円国鉄スト基金』要綱など決定 | 2086 |
9日 | 11.7名札を口実に選別不当処分 43名 | 2085 |
8日 | 国労電車区津田沼分会青年部定期委員会 満場一致で「動労千葉スト支援」特別決議 | 2084 |
7日 | 5千万署名と地域集会かちとり11.17へ | 2083 |
4日 | 11.3団結祭典 457名 館山支部優勝 | 2082 |
3日 | 10.26館山支部大会 | 2081 |
2日 | 戦って勝つ! 第2回支部代で決定 11.17スト突入宣言 国鉄集会 本社デモ | 2080 |
1日 | 10.26幕張支部大会 | 2079 |
1985年10月 | ||
31日 | 10.26新小岩支部大会 | 2078 |
30日 | 10.23検修分科定期委員会 | 2077 |
28日 | 11.17日比谷大集会へ 国鉄本社デモ | 2076 |
27日 | 交渉ニュース 『61.11」までに10万人の大合理化 | 2075 |
26日 | 生命と命を守るには実力決起しかない 「安全」と引き替えの「サービス」なんかあるのか?! | 2074 |
25日 | 日経連主催「仲良しゴルフ大会」コビ、取りすがる松崎明 | 2073 |
24日 | 5千万署名 地域集会を成功させ11月ストへ | 2072 |
23日 | 10.19千葉転支部大会 | 2071 |
22日 | 10.20三里塚 1万5千 動労千葉450名で決起 | 2070 |
21日 | 第7回軟式テニス大会 津田沼支部優勝 | 2069 |
19日 | 10.15津田沼支部定期大会 | 2068 |
18日 | 10.14木更津支部大会 | 2067 |
17日 | あと3日 全力で10.20三里塚へ | 2066 |
16日 | 動労千葉支援共闘会議結成 | 2065 |
15日 | 10.11成田支部定期大会 | 2064 |
14日 | 革マル追随分子 丹治義行《国労津田沼脱退 27歳) | 2063 |
12日 | 『業務開発センター』から報告 | 2062 |
11日 | 運転職場 7万人中3万人の首切り 86.11移行の要員体制を発表 | 2061 |
10日 | 「雇用安定協定」再締結交渉で大裏切り① | 2060 |
9日 | 10.20三里塚に根こそぎ決起 11月ストへ | 2059 |
8日 | またもや大量処分 一ヶ月で11万8千人 | 2058 |
7日 | 乗務員分科定期委員会 ダイ改実力阻止 | 2057 |
5日 | 支部代 10.20三里塚 「5000万署名」に全力を | 2056 |
4日 | 訪朝報告2 県労連訪朝団にさんかして 山口さん | 2055 |
3日 | 今、動労職場で何が起きているのか10 革マルの恫喝で役員総入れ替え 出向強制 | 2054 |
2日 | 訪朝報告1 県労連訪朝団にさんかして 山口さん | 2053 |
1日 | ゴルフ大会 千葉転が優勝 | 2052 |
1985年9月 | ||
30日 | 事務分科定期委員会 | 2051 |
28日 | グラグラの動労本部革マル 組合費結審 | 2050 |
27日 | 出向強要・不当処分―差別分断攻撃を許さないぞ 千葉転 館山 | 2049 |
26日 | デタラメ処分 乱発エスカレート | 2048 |
25日 | 中曽根の餌食にされてたまるか | 2047 |
24日 | なんで団交を拒否するんだ | 2046 |
21日 | 9.14反弾圧集会 | 2045 |
20日 | 9.16三里塚 9530名 東峰被告を守れ | 2044 |
19日 | 全国5万9200名 ワッペン処分 | 2043 |
18日 | 大会で決定した具体的闘争方針 ストを含む第11月第一波闘争 | 2042 |
17日 | ワッペン着用への大量不当処分弾劾 | 2041 |
16日 | 「11月を突破口にストで反撃」を決定 大会3日目 | 2040 |
14日 |
交渉速報 運転保安無視の「兼掌化」を許すな | 2039 |
13日 | 大会2日目午後 運動方針討議 | 2038 |
12日 | 大会2日目午後 数波のストライキで『答申』を粉砕し中曽根を打倒する | 2037 |
11日 | 大会2日目午前 経過報告 | 2036 |
10日 | 第10回定期大会 大会速報① | 2035 |
9日 | 「質の良い奴隷になれ」動労盛岡 「ハッキリ言って私はいやです」動労新潟 出向された組合員の声 | 2034 |
7日 | 30万国鉄労働者の大ストで中曽根を倒せ 青年部の決意 | 2033 |
6日 | 定期大会の成功を | 2032 |
5日 | 青年部定期委員会成功 | 2031 |
4日 | 急膨張する軍事費 | 2030 |
3日 | 今日の『日航』は、明日の「国鉄」だ | 2029 |
2日 | 今、動労職場で何が起きているのか8 飲酒による不祥事が相次ぐ動労本部組合員 | 2028 |
1985年8月 | ||
31日 | 9.9-10 定期大会の成功を | 2027 |
30日 | 大破産必死の『整備新幹線計画』着工へ | 2020 |
29日 | 『業務の開発センター』の一方的実施を許すな | 2025 |
28日 | 8.25菱田現地集会 1700名 | 2024 |
27日 | 自民党にすがりつき10万人の首を売る革マル松崎 | 2020 |
24日 | 革マル嶋田の捏ち上げたれ込みで当局が不当処分を通告 1-2分の口論で減給1ヶ月 | 2022 |
23日 | 第10回定期大会の成功を | 2021 |
22日 | 第11回支部代 職場・生産点から反撃に | 2020 |
21日 | 中曽根 靖国神社公式参拝弾劾 | 2019 |
20日 | 反戦反核広島行動に参加して | 2018 |
19日 |
8.9原水禁長崎大会に参加して | 2017 |
15日 | 今、動労職場で何が起きているのか6 ついに「自衛隊への出向」を宣言 | 2016 |
14日 | 第6回卓球大会 | 2015 |
13日 | 交渉速報ニュース 「業務開発センター」への一方的発令を許すな | 2014 |
12日 | 8.4「破防法廃止国民集会」に3000名 | 2013 |
10日 | 8.2県労連主催 「分割民営化」反対集会に3000名 | 2012 |
9日 | 革マル=嶋田誠を許すな | 2011 |
8日 | 関西新空港反対全国集会 1300名 | 2010 |
7日 | 第4回労働学校 感想文 日刊動労千葉が優秀賞獲得 県労連機関紙コンクール | 2009 |
5日 | 「今闘わなくて、いつ闘うのか」7.26夏期労働講座 | 2008 |
4日 | 青年部サマーレクレーション | 2007 |
3日 | コロビや嶋田誠徹底糾弾 | 2006 |
2日 | 支部代表者会議報告② | 2005 |
1日 | 支部代表者会議報告① | 2004 |
1985年7月 | ||
31日 | コロビや嶋田誠 第2の「6.12」捏ち上げを許すな | 2003 |
30日 | 7.20中央線乗務中の乗務員発病。。運転保安無視の労働強化を許すな | 2002 |
29日 | 7.26「飛島田一雄」講演会 190名 | 2001 |
27日 | 抗議声明 監理委の一〇万人首切り答申弾劾 | 2000 |
26日 | 総評大会が示したもの 「厳しいから闘うな」と右から総評を牽引する動労本部 | 1999 |
25日 | 8.2国鉄。8.4破防法集会に | 1998 |
24日 | 7.21菱田現地闘争に1700名 | 1997 |
23日 | 関西新空港反対7.28全国総決起集会へ | 1996 |
22日 | 7.26破防法の労働講座に参加を | 1995 |
20日 | 第17回布施公判 第23回組合費公判 | 1994 |
19日 | 指紋押捺制度の撤廃を 在日、民族の誇りをかけて続々決起 | 1993 |
18日 | 第6回野球大会 銚子支部初勝利 | 1992 |
17日 | 北富士闘争 誇りたかく50年目の闘いへ突入 | 1991 |
16日 |
三池の敗北を教訓化し動労革マルを一掃して闘おう 首切り粉砕の歴史的闘いを | 1990 |
15日 | 「名札着用拒否」闘争に実力で勝利 | 1989 |
13日 |
ニュースの焦点 中曽根は戦争を準備している | 1988 |
12日 | 『名札着用拒否』闘争の成果を確認し団結して闘う 第9回支部代 | 1987 |
11日 | 乗務員分科学習会第四回連続講座 成功裏に終了 | 1986 |
10日 | 7.8青年部120名で局前決起集会 | 1985 |
9日 | 七月成田用水拡大 2期着工許すな | 1984 |
8日 | 第一回磯刷つり大会 第三回労働学校 | 1983 |
5日 | 10万人首切りの先兵になることを宣言した動労本部全国大会 | 1982 |
4日 | 今、動労職場で何が起きているのか 5 動乗勤協定について学習会 | 1981 |
3日 | 杉浦新体制に実力反撃を 屈服・敗北への道=『再建』論議を打ち破れ | 1980 |
2日 | 「分民」の反動的本質を暴露する5 | 1979 |
1日 | 寮生の闘い、当局を突き動かす 寮費値上げ反対 | 1978 |
1985年6月 | ||
29日 | 『名札』強要=不当差別許すな! 7.1青年部全力で局前へ | 1977 |
28日 | 囲碁将棋大会 | 1976 |
27日 | 「分民」の反動的本質を暴露する4 国鉄資産売却に群がる自民党財界 | 1975 |
26日 | 「分民」の反動的本質を暴露する3 10万首切り狙う監理委 | 1974 |
25日 | 津田沼支部で「助勤解除」抗議集会 | 1973 |
24日 | 名札を理由とした不当差別 「助勤解除」の暴挙 | 1972 |
23日 | 「分民」の反動的本質を暴露する2 大赤字前提で整備新幹線を強行する自民党 | 1971 |
21日 | 「分民」の反動的本質を暴露する1 しゃぶりつくツケだけを労働者人民に押しつけに七月答申 | 1970 |
20日 | 第六回野球大会 第六回ヘラブナ釣り大会 | 1969 |
19日 | 交渉ニュース 「無人駅特改」について集約 | 1968 |
18日 | 第八回支部代 『七月答申』粉砕 6.29移行36破棄 7.1移行ワッペン闘争準備体制確立 | 1967 |
17日 | 第2回乗務員分科学習会 中野委員長が講演 | 1966 |
15日 | 続発する車輌・信号機故障 重大事故は必死 | 1965 |
14日 | 労働者を監禁する千葉駅長=江口 | 1964 |
13日 | 第16回サンケイ公判 | 1963 |
12日 | 『スパイ防止法』許すな | 1962 |
11日 | 動労本部全国大会方針を弾劾する③『革マルだけ生き残ればいい』なる方針 | 1961 |
10日 | 動労本部全国大会方針を弾劾する②「中曽根臨調国鉄当局の忠実な奴隷になれ」と絶叫 | 1960 |
8日 | 動労本部全国大会方針を弾劾する① 「産報化」路線に純化した反動方針 | 1959 |
7日 | 一〇万人首切りを叫ぶ「国鉄管理員会」七月最終答申粉砕『全国六ブロック』『要員二〇万で効率アップ』 | 1958 |
6日 | 第12回OB会総会 | 1957 |
5日 | 今、動労職場で何が起きているのか 4 『3億円かけた動力車会館改築」を巡って金銭授受疑惑 | 1956 |
4日 | 労働学校 第2回講座 鎌倉孝夫氏 | 1955 |
3日 | 全金本山の物販に御協力を 本山の兄弟を支えよう | 1954 |
1日 | 合理化抱き合わせの低額裁定弾劾 | 1953 |
1985年5月 | ||
31日 | 乗務員分科学習会開催 勝浦支部定期委員会 | 1952 |
30日 | 5.26三里塚 動労千葉の決意 布施書記長 | 1951 |
29日 | 5.26三里塚 12100名 250名の部隊で参加 | 1950 |
28日 | 『労働者派遣事業法』衆院通過弾劾 | 1949 |
27日 | 交渉速報ニュース 夏季輸送計画提案 | 1948 |
25日 | 学園での新マル生攻撃を粉砕するぞ 『名札強制』『年休拒否』『刑事撤去』にこうし闘う学園生 | 1947 |
24日 | 今動労職場で何が起きているのか 3 「自動車ライン作業は素晴らしい」マル生分子の修行に励む動労革マル | 1946 |
23日 | 忍草母の会 機動隊2500に抗し実力決起 不当逮捕28人 | 1945 |
22日 | 今日の沈黙…屈服は明日の戦争 5.26総決起を | 1944 |
21日 | 第16回『布施公判』 松崎が要請した政治的処分 | 1943 |
20日 | 起こるべきして起きた池袋脱線事故 | 1942 |
18日 | 『85年度千葉局経営計画』を提案 | |
17日 | 北富士管理小屋撤去許すな 今動労職場で何が起きているのか 新鶴見支部組合員の話 | 1940 |
16日 | 第22回『組合費公判』で中野証人が堂々論陣 | 1939 |
15日 | 5.26三里塚への一大決起で「過員」攻撃を跳ね返せ 5.10臨時委員会「当面する取り込み」を決定 | 1938 |
14日 | 5.10臨時委員会開催 | 1937 |
13日 | 『通勤対策』等で『学園入所』について集約 | 1936 |
11日 | 5.26大結集で二期阻止へ 4.28三里塚現地闘争 | 1935 |
10日 | 動労関西 網干支部でついに15名が脱退 第2期労働学校スタート | 1934 |
9日 | 銚子支部青年部結成 | 1933 |
8日 | 名雪《銚子運転区土屋一波》の電運見 強行発令弾劾 | 1932 |
7日 | 4.9国労が『三本柱』妥結 | 1931 |
2日 | 八四年度組織、教宣部長会議 | 1930 |
1日 | 勤務、賃金差別。国労破壊を当局に哀願する動労本部革マル | 1929 |
1985年4月 | ||
30日 | ソフトボール大会 木更津支部初優勝 | 1928 |
27日 | 指導員部会を結成 | 1927 |
26日 | 85春闘 賃金交渉速報 | 1926 |
25日 | 『三本柱』で団交再開 | 1925 |
24日 | 布施書記長の基調報告 4.16総決起集会 | 1924 |
23日 | 4.16総決起集会496名 津田沼に結集 | 1923 |
22日 | 当局真16号 当局不誠実な回答 | 1922 |
20日 | 合理化と抱き合わせの超低額回答許すな | 1921 |
19日 | 動労千葉第2期労働学校へ | 1920 |
18日 | 拡大青年部長会議開催 | 1919 |
17日 | 4.14三里塚、北富士緊急闘争 | 1918 |
16日 | 第7回支部代 | 1917 |
15日 | 交渉部長会議ひらかれる 『三本柱』「過員」攻撃と闘う |
1916 |
13日 | 全組合員参加のサークル運動を 第一回拡大運営委員会 | 1915 |
12日 | 木更津支部定期員会開催 津田沼支部職場集会 | 1914 |
11日 | F16三沢配備を許すな | 1913 |
10日 | 4.6県青年協が春闘集会 800名 | 1912 |
9日 | 第6回支部代 85春闘を中心とする当面の取り組み | 1911 |
8日 | 中曽根政治の行き着く先は戦争と暗黒 | 1910 |
7日 | 4.16謀略的弾圧攻撃粉砕85春闘勝利決起集会へ | 1909 |
5日 | 相次ぐ自殺、組合費未払い 脱退ーー『綱紀粛正』処分 腐敗を深める動労本部 | 1908 |
4日 | この汽笛が聞こえるか平野君 追悼集会 | 1907 |
3日 | 銚子支部で職場集会 寄稿 台検廃止=この怒りいつまでも 幕張支部 | 1906 |
2日 | 85春闘勝利 3.29千葉県労働者集会 1000名 | 1905 |
1日 | 拠点職場=津田沼破壊攻撃を許すな 謀略的手口 | 1904 |
1985年3月 | ||
29日 | 「3.30」故平野君の悲しみを二度と繰り返すな 平野君追悼抗議行動へ | 1903 |
29日 | 『過員』攻撃を打ち破ろう | 1902 |
28日 | 退職者激励会 | 1901 |
27日 | 3.24三里塚 中野委員長発言 | 1900 |
26日 | 3.24三里塚 やったぞ五割動員 動労千葉530名先頭に1000名の国鉄の隊列 | 1899 |
25日 | 蘇我支部 24年の歴史に幕を閉じる 30名の仲間が蘇我を後に | 1898 |
24日 | 3.24へ!現場からの報告 勝浦 新小岩 | 1897 |
23日 | 3.24まであと一日 成田支部 津田沼支部から | 1896 |
22日 | 定期委員会で決定した具体的取り組み 3.24五割動員 | 1895 |
21日 | またも津田沼で電車に謀略「ビラ貼り」 | 1894 |
20日 | 「過員」攻撃粉砕の鍵は3.24 第11回定期委員会開催 | 1893 |
19日 | 全国の職場に吹き荒れる攻撃の実態 | 1892 |
17日 | 仁杉総裁 自宅にトンネル会社 3000万円の国鉄受託で私腹を肥やす | 1891 |
16日 | 労働学校 第12回講座 | 1890 |
15日 | 『強制出向はいやだ」動労関西から6名が脱退 | 1889 |
14日 | 「過員」攻撃を打ち破ろう | 1888 |
13日 | 札付きのタレコミ分子=内田(動労東京中野支部) 当局以上に『カーテン明けろ』 | 1887 |
12日 | 3,24三里塚 三度の5割動員を | 1886 |
10日 | 第5回支部代表者会議 中間総括と当面するとりくみを決定 |
1885 |
9日 | 3.3成田用水工事粉砕 三里塚現地集会 400名 3.3北富士闘争 青年部9名が参加 | 1884 |
8日 | 3.245割動員実現と結合し「60.3」を阻止しよう 第一波闘争を闘って 館山支部 | 1883 |
7日 | 闘争速報 公労委 斡旋申請に『口頭勧告』 | 1882 |
6日 | 東峰裁判最終弁論 | 1881 |
5日 | 3.2総決起集会 千葉中央公園1100名 | 1880 |
4日 | 万全の2波体制築こう | 1879 |
2日 | 第一波闘争を闘って 成田支部 幕張支部 | 1878 |
1日 | 『3年以内に15万人クビ切れ」「副業ある職員は退職せよ」 亀井の『再建』案を弾劾する | 1877 |
1985年2月 | ||
28日 | 団交打ち切りを通告 公労委斡旋を申請 | 1876 |
27日 | 3.2動労千葉総決起集会へ | 1875 |
26日 | 実力決起こそ勝利の道 千葉転 津田沼 | 1874 |
25日 | 労働学校 田中学教授 感想文 | 1873 |
23日 | 偉大な成果を確認しさらに前進を | 1872 |
22日 | 第一波闘争を貫徹した力で『60.3ダイ改』を阻止へ | 1871 |
21日 | 闘争速報 第2日目行動へ | 1870 |
20日 | 本日より48時間非協力安全確認行動に決起しよう | 1869 |
19日 | 声明 2.20-21順法闘争へ | 1868 |
19日 | 『60.3』実力決起を勝ち取るため④ 労働者の未来をかけて | 1867 |
18日 | 首切り出向賛成 労働強化進んでOK 動労本部革マル 『60.3』実力決起を勝ち取るため③ | 1866 |
16日 | 殺人的労働強化と3人に1人の人減らし 『60.3』実力決起を勝ち取るため② | 1865 |
15日 | 10万人首切りの突破口 『60.3』実力決起を勝ち取るため① | 1864 |
14日 | 動労千葉、国労青年部の共闘が前進 (津田沼) 寮費値上げ絶対反対 独身寮の仲間が実力決起 | 1863 |
13日 | 交渉ニュース2.7 成田縮小で殺人交番 蘇我廃止-強制配転 | 1862 |
12日 | 拡大支部代 「60.3」実力決起へ 津田沼 成田支部 | 1861 |
9日 | 動労本部の道を拒否し「60.3」に決起する | 1860 |
8日 | 『2.3破防法と闘う国民集会」2000名 | 1859 |
7日 | デッチ上げ千葉地本青年部長=永島ら4名がキオスク販売員に 過員攻撃に率先協力 | 1858 |
6日 | 『6.12デッチ上げ告訴事件」 控訴棄却判決弾劾 | 1857 |
5日 | 1.29天神峰 緊急闘争 表土はぎ取り 代替地移送 | 1856 |
4日 | 反対同盟 東峰十字路裁判 『3君を守る会』が発足 北富士闘争 | 1855 |
2日 | 順法、ストを含むあらゆる闘いに決起できる体制を 第3回支部代 | 1854 |
1日 | 弁護団総会 | 1853 |
1985年1月 | ||
31日 | 津田沼で動労千葉ー国労両青年部が共闘集会 | 1852 |
30日 | 労働学校に参加して 感想文 | 1851 |
29日 | 今こそ怒りを解き放ち「60.3」に総決起を | 1850 |
28日 | 『6.12告訴事件』2.4控訴審判決公判へ | 1849 |
26日 | 『55歳退職強要を撤回せよ」 「3本柱」について公労委で事情徴収 | 1848 |
25日 | 第15回布施公判 | 1847 |
24日 | 第2の「81.3」で反撃するぞ 1200名が火の玉となり総屈服状況を突き破れ | 1846 |
23日 | 旗開き報告④ | 1845 |
22日 | 旗開き報告③ 連帯のあいさつ | 1844 |
21日 | 交渉ニュース 当事者能力無し-不誠実な対応に終始する当局 | 1843 |
19日 | 旗開き報告② 中野委員長講演 再建論議を吹っ飛ばし実力反撃を | 1842 |
18日 | 動労職場で何が起きているのか② | 1841 |
17日 | 動労職場で何が起きているのか①『全員で出向・休職しよう」と組合員を追い出す動労革マル | 1840 |
16日 | 動労千葉旗開き 410名 85年戦闘宣言 | 1839 |
14日 | 反対同盟旗開き | 1838 |
11日 | 青年部旗開き | 1837 |
11日 | 1,10国鉄本社発表 「87年民営化」を弾劾する | 1836 |
10日 | 第9回労働学校 破防法を許すな 浅田先生 | 1835 |
9日 | 蘇我廃止 成田縮小反対 | 1834 |
8日 | 1.12団結旗開きに結集を | 1833 |
7日 | 分科会の決意 検修、構内 | 1832 |
5日 | 分科会の決意 乗務員 事務 | 1831 |
1日 | 闘春 | 1830 |
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