労農連帯を一層強め、三里塚·ジェット闘争を貫徹しょう!
千葉破壊の尖兵=反動密通裏切り分子を許すな!
7
Pf
IT
JO
分子の送り込みスパイ分子として、裏で東京地本内革
部結成大会にも参加しておきながら、革マル反動
おもてむき何くわぬ顔で、団結署名をやり、支
「津田沼Y
鴨田
脊勝吉
送り込みスパイの正体を自己暴露!
頭かくして尻かくさず、革マル
もって思い知らせてやろうではないか。
いものか、日常的職場追及と徹底した糾弾行動を
為がいかに罪深いものか、組織の団結がいかに強
こうした反動分子に、革マルと密通した裏切り行
動分子のゆきつく先は明らかである。われわれは、
革マル反動集団のさらしものに利用された、反
れるはずはないのだ。
よいという考え方自体、銚子組合員に受け入れら
気で踏みにじって自分さえ良ければ他はどうでも
員という重責を放棄し、支部の仲間の確認さえ平
· である。
のと化した反動分子を一掃しよう!
革マル反動集団の消耗品=さらしも
.
ために、連日苦闘している。その中にあって、役
をなんとしても克服し、一つの方向性を見い出す
銚子支部組合員は、今日このままの無権利状態
と全く人をくったいい方をしているのである。
い、動労組合員として全国大会に参加した」など
ところ「俺は、動労千葉でも動労『本部』でもな
三に、こうした行為に対し、われわれが追及した
公言していることなど数多くの反組織的行為。第
白紙に戻す」を一方的に無視し「動労本部派」を
と。第二に支部臨大(七月二〇日) で決定した「
と密会し、動労千葉破壊の尖兵をつとめてきたこ
に賛成しておきながら、裏では、革マル反動分子
葉結成大会に代議員として参加し、新組織の結成
山田の反組織的実態は、第一に、
こめて追及しなければならない。
まで行った山田の責任をわれわれは満腔の怒りを
されて「四支部·七名を代表して」壇上から挨拶
ろ·30動労千
.
加し、「銚子支部長の山田さん」と司会から紹介
銚子支部の執行委員でありながら全国大会に参
てしまうという末期的なあがきにころげてんだの
裸で、全国大会に引っぱり出し、馬脚をあらわし
きはてて「革マル送り込みスパイ分子」までをも、
とに必死の「本部」反動革マルは、遂に、万策つ
ころが、今度は「千葉再建」の破綻をごまかすこ
ことを二度に亘って策動し、糾弾されていた。と
「動労から脱退して国労に加入する」などという
ト的思想をもって介入し、その責任を逃げるため
とりわけ島田は、昨年、国労の役員選挙にセク
れ、職場の怒りは日に日に高まっている。
をもって職場全員の眼に明らかになってくるにつ
をもって逆に彼らの反組織的行為は、具体的事証
居直り発言を続けている。
の革マル反動集団の出勤·退庁時の”防衛動員”
していた人間の証言や大会終了後はじまった連日
「証拠を見せろ」などとうそぶいていたが、参加
当初彼らは、「全国大会には参加していない」
から晩まで必死で逃げかくれする一方でいまだに
合員の圧倒的な連日の追及行動にふるえ上がり朝
津田沼支部の島田、斉藤(吉) は、今日、職場組
「銚子)
山田
居直る反動分子山田!
支部の確認を踏みにじり、
をはじめ、数々の卑劣な裏切り行為を働いていた
マルの指示をうけて、4·7津田沼襲撃の手引き
マル生への助長者となる破壊分子を放置する訳にはゆかない。
か。われわれは、こうした権力·当局の介入を許し、当局の企図する第二
を圧殺し、当局に媚を売り、職場内を混乱させ、そのことに喜ぶのはだれ
反動集団と結託し、組合の暴力支配を肯定し、右翼的路線に迎合し、闘い
敵の密通分子になりさがり、内部から動労千葉破壊の尖兵として、革マル
え上がったことは、まぎれもない事実である。
こうした、鉄の団結を、
われわれの七ヶ月間の激闘の勝利は、動労大改革の巨大な火柱として燃
ニ 全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉碎せよ!
足せざるを得なかったことは、すでに明らかにしてきた。
革マル反動分子の圧力(泣訴·どう喝) も空しく片肺欠陥執行部として発
路線の全面開花を余義なくされ、その反動性を露呈し、馬脚をあらわにした。
裸となり、ついに、合理化屈服、権力·当局の尖兵化と、より一層の暴力
革マル反動集団は、この全国大会で組織的にも路線的にも追いこまれ、丸
全国大会は、動労大改革の出発点を形成し、全国的総決起を生み出し、
動労「本部」
ス名の裏切り分子料理
00
馬場からの 断固たる大衆的追及行動を!
日
可動芳千葉
79.8.23
No. 205
(鉄電)二二五八~九·(公衆)四七ニ(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合
千葉破壊の尖兵=反動密通裏切り分子を許すな!
7
Pf
IT
JO
分子の送り込みスパイ分子として、裏で東京地本内革
部結成大会にも参加しておきながら、革マル反動
おもてむき何くわぬ顔で、団結署名をやり、支
「津田沼Y
鴨田
脊勝吉
送り込みスパイの正体を自己暴露!
頭かくして尻かくさず、革マル
もって思い知らせてやろうではないか。
いものか、日常的職場追及と徹底した糾弾行動を
為がいかに罪深いものか、組織の団結がいかに強
こうした反動分子に、革マルと密通した裏切り行
動分子のゆきつく先は明らかである。われわれは、
革マル反動集団のさらしものに利用された、反
れるはずはないのだ。
よいという考え方自体、銚子組合員に受け入れら
気で踏みにじって自分さえ良ければ他はどうでも
員という重責を放棄し、支部の仲間の確認さえ平
· である。
のと化した反動分子を一掃しよう!
革マル反動集団の消耗品=さらしも
.
ために、連日苦闘している。その中にあって、役
をなんとしても克服し、一つの方向性を見い出す
銚子支部組合員は、今日このままの無権利状態
と全く人をくったいい方をしているのである。
い、動労組合員として全国大会に参加した」など
ところ「俺は、動労千葉でも動労『本部』でもな
三に、こうした行為に対し、われわれが追及した
公言していることなど数多くの反組織的行為。第
白紙に戻す」を一方的に無視し「動労本部派」を
と。第二に支部臨大(七月二〇日) で決定した「
と密会し、動労千葉破壊の尖兵をつとめてきたこ
に賛成しておきながら、裏では、革マル反動分子
葉結成大会に代議員として参加し、新組織の結成
山田の反組織的実態は、第一に、
こめて追及しなければならない。
まで行った山田の責任をわれわれは満腔の怒りを
されて「四支部·七名を代表して」壇上から挨拶
ろ·30動労千
.
加し、「銚子支部長の山田さん」と司会から紹介
銚子支部の執行委員でありながら全国大会に参
てしまうという末期的なあがきにころげてんだの
裸で、全国大会に引っぱり出し、馬脚をあらわし
きはてて「革マル送り込みスパイ分子」までをも、
とに必死の「本部」反動革マルは、遂に、万策つ
ころが、今度は「千葉再建」の破綻をごまかすこ
ことを二度に亘って策動し、糾弾されていた。と
「動労から脱退して国労に加入する」などという
ト的思想をもって介入し、その責任を逃げるため
とりわけ島田は、昨年、国労の役員選挙にセク
れ、職場の怒りは日に日に高まっている。
をもって職場全員の眼に明らかになってくるにつ
をもって逆に彼らの反組織的行為は、具体的事証
居直り発言を続けている。
の革マル反動集団の出勤·退庁時の”防衛動員”
していた人間の証言や大会終了後はじまった連日
「証拠を見せろ」などとうそぶいていたが、参加
当初彼らは、「全国大会には参加していない」
から晩まで必死で逃げかくれする一方でいまだに
合員の圧倒的な連日の追及行動にふるえ上がり朝
津田沼支部の島田、斉藤(吉) は、今日、職場組
「銚子)
山田
居直る反動分子山田!
支部の確認を踏みにじり、
をはじめ、数々の卑劣な裏切り行為を働いていた
マルの指示をうけて、4·7津田沼襲撃の手引き
マル生への助長者となる破壊分子を放置する訳にはゆかない。
か。われわれは、こうした権力·当局の介入を許し、当局の企図する第二
を圧殺し、当局に媚を売り、職場内を混乱させ、そのことに喜ぶのはだれ
反動集団と結託し、組合の暴力支配を肯定し、右翼的路線に迎合し、闘い
敵の密通分子になりさがり、内部から動労千葉破壊の尖兵として、革マル
え上がったことは、まぎれもない事実である。
こうした、鉄の団結を、
われわれの七ヶ月間の激闘の勝利は、動労大改革の巨大な火柱として燃
ニ 全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉碎せよ!
足せざるを得なかったことは、すでに明らかにしてきた。
革マル反動分子の圧力(泣訴·どう喝) も空しく片肺欠陥執行部として発
路線の全面開花を余義なくされ、その反動性を露呈し、馬脚をあらわにした。
裸となり、ついに、合理化屈服、権力·当局の尖兵化と、より一層の暴力
革マル反動集団は、この全国大会で組織的にも路線的にも追いこまれ、丸
全国大会は、動労大改革の出発点を形成し、全国的総決起を生み出し、
動労「本部」
ス名の裏切り分子料理
00
馬場からの 断固たる大衆的追及行動を!
日
可動芳千葉
79.8.23
No. 205
(鉄電)二二五八~九·(公衆)四七ニ(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合