1984年この道を進もう 中野洋 旗開きでの提起 下

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8 ·3闘争でわれわれがストに入れば
合して条件話し合い派に転落した一部
の少数派であるかも知れないけれども、
そして反対同盟は、これに屈服·恵
臨調 · 行革粉砕!
三 里 塚 ジ ェ
ッド 闘 争 勝利!
万の国鉄労働者の中で確かに一三〇〇
あります。私たち動労千葉は全国四〇
掃の闘いの前進と極めて表裏の関係に
前進は、動労「本部」革マル追放·一
でしょう。この動乗勤改悪阻止闘争の
れを当局の手先となって強制してくる
悪協定を早々と締結し、全組合にもそ
ごい労働強化––要員削減に直結する改
いなく彼らは当局のいいなりにものす
をあげて言ってきております。まちが
しよう」というような事をすでに組織
強行論をとっている細田を運輸大臣
員も一~二割働き度アップをクリアー
から「山に登るのはやめよう」「乗務
に対しても「今は冬の時代。嵐だ」だ
き清めてきましたが、この動乗勤改悪
全廃に至る大攻撃の道を闘わずしては
うち出して今日の貨物大合理化–貨物
よう、貨物安定宣言で闘いは禁止」を
に「職場を守るためには働き度を上げ
れを片耳る動労「本部」革マルは、先
約八割を組織する動力車労働組合、こ
可避とするものです。動力車乗務員の
「本部」革マルとの徹底した闘いを不
われわれが指摘してきたように、動労
しかも、重要なことは、この闘いは
うとしている。
ぶし「二〇万人台」体制へ道をひらこ
を攻め落とすことで労働運動をぶっつ
は、国鉄労働運動の乗務員という本丸
的にかえるという事に直結します。敵
いうことは、全職種の勤務制度を抜本
動力車乗務員の勤務制度をかえると
の勤務制度改悪阻止闘争であります。
この四月より激突に入る動力車乗務員
その最大の焦点はまず第一に何か。
倒 し、 動乗勤 改悪阻止へ
動労「本部」革マルを打
(第一五五二号よりの続き)
[
曽根内閣を発足させました。
「二期突撃シフト」としての第二次中
建設委員長に配置するという露骨な
運の中で昨年再び議員に返り咲く)を
クで議員を辞職したが、二期強行の気
キード汚職に関連するラスベガストバ
表を任じてきた浜幸(浜田幸一·ロッ
地元の利権屋と一体となって金権の代
の建設計画発表時点ごろより一貫して
(新東京国際空港担当)に、十八年前
行した福田内閣のもとで一貫した開港
山村を農水大臣に、更に暫定開港を強
に、農民切り崩しを狙って佐原出身の
出身の反動の元締め水野清を建設大臣
派·成田用水理事長にして地元三里塚
追いつめられた中曽根は、空港推進
あります。
里塚闘争の勝利をもぎとるという事で
ませんか。
点は、いうまでもなく決戦を迎えた三
八四年の闘いの基軸をなす第二の焦
二期攻撃を粉砕しょう
3·2五割動員実現で、
れは全力をあげて闘いぬこうではあり
破口をきりひらくものとして、われわ
一掃を国鉄反合闘争の大きな反撃の突
改悪阻止––動労「本部」革マル粉砕·
位置を充分にかみしめながら、動乗勤
めております。こういったわれわれの
に共鳴し、共に闘う意志を表明しはじ
めざめ、怒りを強め、動労千葉の闘い
急速に動労「本部」革マルの裏切りに
道を求めている国鉄労働者は、この間
持っている。全国で苦闘し真剣に闘う
を得ない、腹を固めればそういう力は
首都圏の国電はすべてストップせざる
人からの提起=「動労千葉の決意」 より
、八四年団結旗開きにおける中野委員長

飛躍しよう !!
動乗勤改惡粉碎 · 二期着工阻止へ
3·22五割動員実現を突破口に、
スクラム 固く (84年1月15日、団結旗びらき)
( 裏面につづく)
学習をし、自分と組織を強化しなけれ
ためには、私たちは何よりも徹底的に
第三に、こうした闘いを勝利させる
勝つために、学ぼう !!
列を登場させようではないか。
闘として、三里塚に労働者本隊の大隊
て文字通り全国の闘う国鉄労働者の共
いきって決起しようではないか。そし
匹敵するものといえますが––で、思
れは事実上「準ストライキ」体制にも
たことのない「5割動員」体制––こ
そのために動労千葉は、今まで経験し
この闘いを勝利させなければならない。員
集会にはかつてない規模でわれわれは 家
幸司候補の必勝、そして3·25 現地大
の闘いです。二月、芝山町議選=鈴木
そのために決定的なのは八四年前半
うではありませんか。
中曽根反動内閣打倒の突破口をひらこ
闘争で勝利すること、このことの中に
をこの三里塚と結合させ、この三里塚
わけであって、私たちはあらゆる闘い
ノド元につきさざったトゲとしてある
この三里塚闘争は文字通り中曽根の
いぬく決意を明らかにしております。
して、この八四年決戦を意気軒昂と闘
脱落派を叩き出して、新生反対同盟と
全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ!
編印 動芳千葉
84. 2. 1
2
1
No. 1553
1
5
5
00
(鉄電)二九三五~六·(公衆)〇四七二(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合
れども、実を申せば私は勉強すること
というようなお話しがなされましたけ
先ほど、なにか、私に「学校の校長」
お祝いをしたいと私は思います。
労千葉の皆さんに、闘いに勝つことの
らきです。今年の闘いに出陣される動
旗びらきというのは、闘いへの幕び
ひきうけるにあたって––
-労働学校校長を
「初心にかえれ 」
高 島 喜久男 氏
は、これは必ず初心に帰らなければな
は思うんです。闘いがむずかしいとき
をくりかえして言っておりました。私
んに「捜査は現場からだ」ということ
たら、捜査にゆきずまった刑事がさか
昨日、テレビのドラマを見ていまし
います。
任だけは、なんとか果してみたいと思
だけでも––まあ、名前にともなう責
も得られるということですので、名前
田先生やそのほかの諸先生方のご協力
は少し気がひけるのですが、まあ、浅
ですから、どうも「校長」という名前
の先生になる資格はなかったわけです。
大学を卒業しておりませんので、大学
という所におりましたけれども、私は
つい数年前、定年でやめる前まで大学
まり勉強するほうではありません。
はきらいではありませんけれども、あ
(動労千葉旗開きでの挨拶より)
し上げまして、ごあいさつと致します。
とばになると思います。そのことを申
私の本当のこの旗びらきのお祝いのこ
年間をお互いに闘いぬこう––それが、
正しい思想、清い思想をもってこの一
思います。
るということでなければなりません。
私たちの思想をきれいにする、強くす
「初心にたちかえる」ということは、
いぬかなければならない––そう私は
もどって、この一年間をしっかりと闘
運動に加ってきたその時の「初心」に
皆さん一人ひとりが、自分が国鉄労働
「初心」にかえって、また、組合員の
千葉は、五年前の動労千葉結成のその
決意を表明されました。八四年、動労
員長も「初心にかえって闘う」という
らない。さきほども、動労千葉中野委
員の力で成功させ育てていこうではあ
んだ。そのために、この労働学校を企
んで実力をつける以外に勝つ道はない
に行動し、そして敵以上に悩み、苦し
わけだから、敵以上に学習し、敵以上
れは残念ながら「権力」を持ってない
と武装をしなければならない。われわ
どうしてもわれわれは敵にまさる学習
!」のかけ声ー拍手)というためには、
くんだ、そして勝つんだ(「イギナシ
なことがあっても正しい道を歩んでい
もわれわれは原則を守って闘う、どん
ねばなりません。どんな事があろうと
われわれがしっかりと身につけていか
しての立場と行動原理といったものを
殺としてのものの見方、労働者階級と
中で、やはり勝つためには、労働者階
け反動的なイデオロギーが吹き荒れる
の野次–爆笑)。だけど、今日これだ
方じゃありません。(「そうだ!」
われわれは皆あんまり勉強は好きな
設したいと考えております。
先生を講師団としてこの春闘前にも開
として、更に多くの諸戦線の先輩·諸
を学校長に、浅田光輝先生を顧問教授
ご相談いたしまして、高島喜久男先生
いてきました浅田先生や高島先生等と
いをこれまでも支援·ご指導をいただ
定いたしました。そして動労千葉の闘
働学校」を設立しようということを決
私どもは昨年の大会で「動労千葉労
ばならない、ということであります。
実に大きな展望をひらくことはまちが
みの闘いにわれわれが成功するとき、
いを基軸にして、家族ぐるみ地域ぐる
日、闘う労働者階級の職場生産点の闘
動·戦争へとひきずり込もうとする今
に重く暗くのしかかり、生活破壊·反
ます。自民党の反動政治が全階層の上
班」を確立しなければならないと思い
県内の全市町村に、動労千葉の「地域
員、家族、〇B等の力を糾合して千葉
これとあわせて、われわれは、組合
ようではありませんか。
体の力で本部家族会の結成にこぎつけ
部もぜひともがんばっていただき、全
結成をかちとってきました。残りの支
にとりかかり、半分ちょっとの支部で
ねばなりません。昨年、家族会の結成
るみの闘い」の強化をとりくんでいか
の目標の:つに「家族ぐるみ、地域ぐ
第四の点として、われわれは今年度
のたたかいを創りだそう
家族ぐるみ、地域ぐるみ
た動労千葉も一皮むけたたくましい労
ます。
とこのことを確認していきたいと思い
えますので、今日お集まりの皆さん方
で勉強していきたい、というふうに考
多くの産別の仲間たちと共に、この中
仲間たちにも門戸を開放し、また他の
は、動労千葉だけではなくて、地域の
りませんか。われわれの「労働学校」
葉の決意にかえていきたいと思います。
いたしまして、八四年にむかう動労千
ぬくという私の決意もあわせ明らかに
躍をかけ、皆さんの先頭にたって闘い
心貫徹、その立場で今後とも自らの飛
でいったときの、あの同じ気持で、初
意気にもえて国鉄労働運動にとびこん
(完)
いません。むしろ、私が約二〇数年前、
路線はいささかも変わるものではござ
りました。といっても動労千葉の基本
会で委員長の責務をひきつぐことにな
ましたけれども、昨年の十月の定期大
女房役として書記長を十年つとめてき
ります。私は今まで、関川前委員長の
一九八四年は、まさに決戦の年であ
塚–国鉄」 決戦の勝利へ
初心貫徹 !. 八四年「三里
ると確信します。
働組合として飛躍していくことができ
られるものであり、この闘いの中でま
を基軸として」闘う路線の中でかちと
先ほど申し上げました「三里塚–国鉄
くものとなるでしょう。この闘いは、
力を発揮し、限りない発展をきりひら
示しているように、それは実に大きな
選––市民の会運動の経験がはっきりと
ット闘争–労農連帯の闘いや船橋市議
いありません。すでに、三里塚·ジェ
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