1年間を振り返って 各支部長に聞く4

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する協定や現場協議に関する協約の改悪
イヤ「改正」の実施に伴う労働条件に関
ブルトレ旅費返還、最近では、5·1ダ
ることができます。一方、動こう運動、
の総力を結集して粉砕したことを確認す
マル一体となった、組織破壊攻撃を支部
動など権力、国鉄当局、動労「本部」革
への出頭命令、成田駅暴力デッチ上げ策
小川建二のタレコミによる、六名の仲間
告訴、51·3闘争に対する一方的処分、
た一年でもあります。6·12デッチ上げ
臨調· 行革粉砕!
三 里塚ジェット 闘 争 勝 利!
82年
一年間を
ふりかえって
彼部長によく 4
どります。それでは皆さん、よいお年を !!
のあとは、7日号より通常にも
に入ります。『日刊』は元旦号
が各々旗開きをもって闘い
10日青年部、14日動労千葉
8日県労連、9日反対同盟、
くりといたします。新年は
今号をもって、本年の『日刊』のしめく
さまざまな反動を、一つ一つ粉砕してき:んだ一年間でもありました。
ポエット闘争を闘ったがゆえに開始された:してしか、勝利はありえないことを、学
ました。われわれ動労千葉が、81·3ジ 合は天気が良くとも悪くとも闘いを通
·労働運動つぶしに終始した一年でもあり:服と裏切りが鮮明になりました。労働組
行国鉄攻撃、とりわけ既得権はく奪、国鉄·むほど動労「本部」革マル反動分子の屈
この一年間は全マズコミを総動員した 、·
中心スローガン
80年代に通用た自前の労働運動の
旗印に、未曾有の国鉄労働運動解
体攻撃用時い、「一人ひとりが活動索
きょ合言葉になりの反撃になに上りう
一九八二年も残り少なくなりました 。! を、当局提案で鉄労と共に早々と締結し
(いざ、八三年「三里塚–国鉄」決戦
のが労働組合
天気が良くても 悪くても” 闘う
勝利へ! 第七回大会·9月30日~10月1日)

執行委員長
执行副業員長
書記長
成田支部執行委員長
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たり、これが労働組合なのか理解に苦し
ら証明したと言えます。
日 暮
:
示した年であったと言えよう。

した攻撃として浮きぼりにされました。
点を直撃し、あらゆる反動が政治に直結
皮きりに一切の既得権剝奪等、職場生産
·自民党·国鉄当局は、マスコミ攻撃を
一方、「国鉄赤字」を理由とした政府
離·独立も辞さず斗い抜いた正義性を自
らゆる階層から孤立化し、動労千葉が分
りにされ、「57·1ダイ改」を頂点にあ
て大胆な妥協は公然の誤りとして浮きぼ
合理化、ブルトレ返上、働け運動、そし
動労「本部」革マル反動分子の「中黒」·
結ぶ動労千葉の路線的正しさをはっきり
31·3闘争を斗い抜き、三里塚と国鉄を
低迷する労働運動総体のなかにおいて
:
:
:
動遇動
国労共闘の仲間たち。10·1三里塚闘争)
(共にスクラムを組み、前進する動労千葉と
言えます。
千葉の真価を発揮する絶好のチャンスと
ル反動分子の絶滅を期するなかで、動労
江組織内候補の必勝と動労「本部」革マ
動労千葉の主体制をさらに拡大し、中
83年は、政治決戦の年と言われます。
全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ!ー
勝浦支部執行委員長
.
鶴岡直芳
動労千葉の路線の正しさを証明した



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82, 12, 30
No. 1233
(鉄電)二九三五~六·(公衆)〇四七二(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合
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