3月10日、動労千葉顧問弁護団長として永年にわたり私たちの闘いを支えて下さった葉山岳夫先生が急逝されました。謹んで哀悼の意を表し、心からご冥福をお祈りいたします。本当にお世話になりました。
葉山先生が弁護団として動労千葉の闘いに参加して下さったのは、船橋事故(1972年)闘争以来のことです。それから実に半世紀以上にわたり多大なるご指導、ご支援をいただきました。先生の姿は、裁判や労働委員会だけでなく、あらゆる闘いの現場にいつも共にありました。それは、単に組合と顧問弁護士という関係をこえたものであったように思います。本当にありがとうごさいました。
つねに誠実・実直で、どんな困難なときも真っすぐぶれることのない葉山先生の姿勢は私たちにいつも勇気や安心感を与えてくれました。動労千葉の組合員はそんな葉山先生が大好きでした。
共に闘いぬいた半世紀の歩みの中でも、最大の歴史的な裁判闘争となったのは、国鉄分割・民営化攻撃をめぐる公労法と採用差別による二つの解雇撤回闘争でした。
公労法による28名の解雇事件は、1996年に全員の解雇を撤回する形で勝利的和解をかちとり、国鉄1047名解雇撤回闘争では、様々な紆余曲折や、動労千葉以外の争議団が闘いの旗を降ろしてしまう困難な状況の中で、30年にわたる闘いを経て、ついに「不採用基準」そのものが不当労働行為であったことを最高裁に認めさせ、一からやり直した労働委員会闘争も、ついに証人採用をかちとって、『歴史的勝利まであと一歩』という段階でした。
その長い長い闘いの全過程をけん引して下さったのが葉山先生でした。この地平は、葉山先生の献身的な努力なしには絶対にかちとることができませんでした。
いよいよ国鉄分割・民営化攻撃の闇の部分を全部暴き出すぞという時に、葉山先生もどれほど無念な思いでいることか、それを考えると本当に残念でなりません。
2月21日に動労千葉の弁護団総会があったのですが、葉山先生は「千葉に行くんだ」と言って病院をぬけだそうとしていました。病床にありながらそこまで私たちの闘いに心を寄せて下さっていたのです。
葉山先生にいただいたご恩、そしてその熱い思いは絶対に忘れません。国鉄1047名解雇撤回闘争にも絶対勝利します。
戦争が世界をのみ込もうとしている情勢です。怒りの声は社会の隅々に積みあがり沸騰しようとしています。この時代に葉山先生だったら何と言ったのか。嵐に向かって高く高くさかまいて飛ぶときだと言ったに違いありません。
動労千葉は、葉山先生が人生をかけておしえて下さったことを胸に闘い続けます。これからも私たちの闘いを見守っていて下さい。
3・11反原発福島行動23
原発事故から12年を迎えた3・11反原発福島行動23は、福島市青少年会館での集会と福島駅までの市内デモが全国から550名の結集で行わた。軍事費2倍化と共に原発政策を大転換させ、放射能汚染水の海洋放出を強行しようとする岸田政権、そして岸田の福島訪問に対する激しい怒りをたたきつけた。
集会では動労千葉から関委員長が登壇し、3月春闘をストライキで闘うことを宣言した。