11.17青年部
守]※集会へ
.
出向を強行しようというのだ。われわれ
て「いすみ鉄道」三月開業を狙い、強制
千葉においては、「木原線廃止」によっ
至) を強行しようとしている。さらに、こ
本) の要員削減(これを上回ることは必
らず、効率化と称して二六〇〇名(東日
改」では、列車五万キロに増にもかかわ
域配転を策動している。「六三·ミダイ
東への二千名とも四千名ともいわれる広
のたたかいにあせり、新たに東北から関
JR当局は、動労千葉の強制出向拒否
てたたかってきた。いまこそ、全力で第
、縄を軸に、出向阻止闘争の最先頭となっ
が求められている。
になっている。つまり青年労働者の登場
落、円高不況|まさに世界は、激動の世
から体制を構築し、JR当局の奴隷的労
は、強制出向に対し、ストも辞さずたた
十二回定期大会方針を貫
この間、青年部は、国鉄–三里塚|沖
レーガンのイラン侵略戦争ー株の大暴
でたたかわなくてはならない。
務支配、組合破壊を打ち破るために全力
1
1.7
4-1
こぞって参加しょう!
1青年部団結集会に
徹しなければならない。
i
国鉄「分割 · 民営化」反対!三里塚二期工事阻止!
説明をしてくれた「平和のための読谷村
品を眼前にして、強いショックを受けた。
割たたかい抜いた。
玉時のままになっている犠牲者の遺骨や遺
鉄チビチリガマ」の中に入り、「自決」当
『 殺」が行われた読谷(よみたん)村の「
分 二三日には、九八名の「集団自決=虐
子沖縄訪問反対を掲げて沖縄現地闘争を
「十月二二日から二五日にかけて、皇太
沖縄派遣団
川崎昌浩
部
くデモを行った。
たかい抜いた。勤労千葉も挨拶を行い、
に参加し、沖縄の労働者·市民と共にた
さらに夕方、東京会議主催の「十·二
機動隊の弾圧をはねのけて国際通りを貫
たたかう決意を明らかにした。そして、
天皇制攻撃を許さず沖縄県民と連帯して
った後、主催者県民会議主催による集会
る東京会議と共に、来沖反対の集会を行
動労千葉は、午前中に天皇訪沖に反対す
二四日、いよいよ皇太子が来る日だ。
えてくるようであった。
にガマ(=濠)の中から怒りの声が聞こ
実行委員会」の知花さんの話を聞くうち
国鉄水户動力
國合
1
じることができた。
84名の集団「自決」を強要された人々
の遺骨、遺品は、「沖縄戦」を語りつぐた 」
めに、当時のまま残されている(読谷村」にい
告発する集会·街頭行動」に参加し、デ
会議などが出席した「天皇の戦争責任を
た。その後、全電通や教組、主催者県民
へ入り、開会式出席反対の集会に参加し
である。われわれは、那覇市から沖縄市
(旧コザ市)で国体開会式に出席する日
二五日、この日は、皇太子が沖縄市
沖縄の深い哀しみ、激しい怒りを肌で感
あった。涙ながらの訴えを聞くうちに、
民会議からの報告に胸をうたれる想いで
四全国集会」に参加し、特に、主催者県
全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ!
L
国鉄千葉:
三
NO.3
卤事報告
沖縄に動輯旗讀で
/
I
可動芳千葉
87.11.11
2
No. 2700
(鉄電)二九三五~六·(公衆)〇四七二(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合
家族会代表派遣
A子さん
超長波から極超短波まで世界中のあらゆる電波を傍受し、軍事情報
を集収するトリー基地、ベトナム戦争で悪名をとどうかせたクリーンベレーの宿舎も中にある。
本人民をひざまずかせ、再び戦争にかり
ではなく、天皇の「権威」に県民を、日
村民の闘いは「国体」はスポーツの祭典
るのか」といみじくも言われたように、
んが「『君が代』『日の丸』が競技をす
恫喝がなされました。八十才のおばあさ
「日の丸」がないなら会場を移すという
·ル大会の会場問題をめぐって「君が代」
を許さず闘われてきたのに、ソフトボー
四二年間、一切の「日の丸」「君が代」
戦意識の強い村です。
リー基地 (象のオリ)などに囲まれ、反
リガマの集団「自決」があり、現在もト
陸した所で被害が極めて大きく、チビチ
読谷村は沖縄本島では米軍が最初に上
ぎっしり詰った毎日でした。
現地で闘っている方々との交流会など、
地·戦跡めぐり、来沖反対の集会とデモ、
二一日から二六日までの六日間は、基
の旗はほとんど見当りません。
えっているはずの那覇市等に「日の丸」
一日、沖縄に入りました。国体でわきか
んと共に動労千葉より一日早く、十月二
動労千葉家族会は婦民関東協のみなさ
ございました。
七九十二円も集まりました。ありがとう
大会で訴えました派遣費のカンパ、四
でがんばろうではありませんか。
している動労千葉とともに、勝利するま
にたちはだかり、流れをかえようと奮闘
家族会も労働運動の右傾化、日の丸化
なりません。
争政策をなんとしてもやめさせなければ
·この反天皇の闘いを本土でひきつぎ、戦
の反動があろうと闘いは開始されました。
を噴きました。右翼、権力、革マルなど
の戦後は終っていない」の深い怒りは火
かれた闘いが示しているように、「沖縄
場で「日の丸」が引きずりおろされ、や
ための読谷村実行委の方。翌二六日、会
村民は決起すると訴えておられた平和の
を行う決定がなされたと絶句しつつも、
なりました。
唱は行わないが、事前に「日の丸」掲揚
二五日の夜の交流会で「君が代」の斉
たてる道具に他ならないことが明らかに
いことを痛感した。
かなければならな
向けてたたかい抜
び、天皇制打倒へ
縄のたたかいに学
動労千葉は、沖
しているのだ。
を拒否し、天皇の戦争責任を激しく追及
手が送られてきた。まさに沖縄は天皇制
歩道や学校の窓などから手が振られ、拍
沖縄では、デモを行っている時でも、
る。
そ、沖縄県民の天皇制に対する答えであ
され、焼き捨てられてしまった。これこ
一度上げられた日の丸が実力で取りはず
されたのだ。また、二六日には読谷村で
沖縄県民の怒りと全国からの決起で粉砕
気に戦争国家へ突き進もうとした野望を、
者·人民を天皇制のもとに屈服させ、一
国鉄と同じく当初の目論見=沖縄の労働
くくりとして強行された天皇訪沖攻撃も、
この沖縄闘争は、中曽根の政治のしめ
することを誓いあった。
革マルをはじめとした革マル分子を一掃
烈な討論が交わされ、天皇制打倒、動労
れ、全国からの報告、沖縄の訴えなど熱
モを行った。デモ解散後、交流会が持た
沖縄の怒り––日の丸
を引きおろし焼く
殺に手を染めた。
った人は県民四人に一人の十五万人。
と凄じい怒りで天皇ヒロヒトを糾弾し、
ことーこれを強いたのは誰か、天皇だ!」
「もっとも愛する者、親や妻子を殺す
々が集団自決をした。沖縄戦で犠牲にな
谷村、チビチリガマでは、八四名もの人
沖縄について二日目の二三日、こと読
を強制した。そして、皇軍自らが住民虐
肉親を殺すことを強要し、自ら死ぬこと
虜にならずに自決せよと、沖縄の人々に
て虜囚の恥ずかしめを受けず」米軍の捕
の軍隊=皇軍は「天皇の赤子として生き
まう、ガマと呼ばれる鐘乳洞の中で天皇
灯り一つなければ真っ暗闇になってし
青年部派遣団長
佐藤正和
感想文とします。
ゃ打ちたおす。
自分は、最先頭で闘うことを決意して、
そして、沖縄の闘いを全国へ!
を掲げる革マル·鉄道労連、松崎を必ず
手なことはやらせない。日の丸労働運動
もうこれ以上、天皇や中曽根に好き勝
ならないことがある。
本土の一人の労働者として闘わなければ
考えると、もう何も言えない。しかし、
葉が、今も俺の胸をうつ。
りおろし、焼き捨てた知花昌一さんの言
国体ソフトボール会場で日の丸をひきず
平和の味に
:
日の丸を引き降し、焼き捨てた知花
代表を先頭に、読谷実行委員会の仲
間もおおぜい集まる。
守]※集会へ
.
出向を強行しようというのだ。われわれ
て「いすみ鉄道」三月開業を狙い、強制
千葉においては、「木原線廃止」によっ
至) を強行しようとしている。さらに、こ
本) の要員削減(これを上回ることは必
らず、効率化と称して二六〇〇名(東日
改」では、列車五万キロに増にもかかわ
域配転を策動している。「六三·ミダイ
東への二千名とも四千名ともいわれる広
のたたかいにあせり、新たに東北から関
JR当局は、動労千葉の強制出向拒否
てたたかってきた。いまこそ、全力で第
、縄を軸に、出向阻止闘争の最先頭となっ
が求められている。
になっている。つまり青年労働者の登場
落、円高不況|まさに世界は、激動の世
から体制を構築し、JR当局の奴隷的労
は、強制出向に対し、ストも辞さずたた
十二回定期大会方針を貫
この間、青年部は、国鉄–三里塚|沖
レーガンのイラン侵略戦争ー株の大暴
でたたかわなくてはならない。
務支配、組合破壊を打ち破るために全力
1
1.7
4-1
こぞって参加しょう!
1青年部団結集会に
徹しなければならない。
i
国鉄「分割 · 民営化」反対!三里塚二期工事阻止!
説明をしてくれた「平和のための読谷村
品を眼前にして、強いショックを受けた。
割たたかい抜いた。
玉時のままになっている犠牲者の遺骨や遺
鉄チビチリガマ」の中に入り、「自決」当
『 殺」が行われた読谷(よみたん)村の「
分 二三日には、九八名の「集団自決=虐
子沖縄訪問反対を掲げて沖縄現地闘争を
「十月二二日から二五日にかけて、皇太
沖縄派遣団
川崎昌浩
部
くデモを行った。
たかい抜いた。勤労千葉も挨拶を行い、
に参加し、沖縄の労働者·市民と共にた
さらに夕方、東京会議主催の「十·二
機動隊の弾圧をはねのけて国際通りを貫
たたかう決意を明らかにした。そして、
天皇制攻撃を許さず沖縄県民と連帯して
った後、主催者県民会議主催による集会
る東京会議と共に、来沖反対の集会を行
動労千葉は、午前中に天皇訪沖に反対す
二四日、いよいよ皇太子が来る日だ。
えてくるようであった。
にガマ(=濠)の中から怒りの声が聞こ
実行委員会」の知花さんの話を聞くうち
国鉄水户動力
國合
1
じることができた。
84名の集団「自決」を強要された人々
の遺骨、遺品は、「沖縄戦」を語りつぐた 」
めに、当時のまま残されている(読谷村」にい
告発する集会·街頭行動」に参加し、デ
会議などが出席した「天皇の戦争責任を
た。その後、全電通や教組、主催者県民
へ入り、開会式出席反対の集会に参加し
である。われわれは、那覇市から沖縄市
(旧コザ市)で国体開会式に出席する日
二五日、この日は、皇太子が沖縄市
沖縄の深い哀しみ、激しい怒りを肌で感
あった。涙ながらの訴えを聞くうちに、
民会議からの報告に胸をうたれる想いで
四全国集会」に参加し、特に、主催者県
全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ!
L
国鉄千葉:
三
NO.3
卤事報告
沖縄に動輯旗讀で
/
I
可動芳千葉
87.11.11
2
No. 2700
(鉄電)二九三五~六·(公衆)〇四七二(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合
家族会代表派遣
A子さん
超長波から極超短波まで世界中のあらゆる電波を傍受し、軍事情報
を集収するトリー基地、ベトナム戦争で悪名をとどうかせたクリーンベレーの宿舎も中にある。
本人民をひざまずかせ、再び戦争にかり
ではなく、天皇の「権威」に県民を、日
村民の闘いは「国体」はスポーツの祭典
るのか」といみじくも言われたように、
んが「『君が代』『日の丸』が競技をす
恫喝がなされました。八十才のおばあさ
「日の丸」がないなら会場を移すという
·ル大会の会場問題をめぐって「君が代」
を許さず闘われてきたのに、ソフトボー
四二年間、一切の「日の丸」「君が代」
戦意識の強い村です。
リー基地 (象のオリ)などに囲まれ、反
リガマの集団「自決」があり、現在もト
陸した所で被害が極めて大きく、チビチ
読谷村は沖縄本島では米軍が最初に上
ぎっしり詰った毎日でした。
現地で闘っている方々との交流会など、
地·戦跡めぐり、来沖反対の集会とデモ、
二一日から二六日までの六日間は、基
の旗はほとんど見当りません。
えっているはずの那覇市等に「日の丸」
一日、沖縄に入りました。国体でわきか
んと共に動労千葉より一日早く、十月二
動労千葉家族会は婦民関東協のみなさ
ございました。
七九十二円も集まりました。ありがとう
大会で訴えました派遣費のカンパ、四
でがんばろうではありませんか。
している動労千葉とともに、勝利するま
にたちはだかり、流れをかえようと奮闘
家族会も労働運動の右傾化、日の丸化
なりません。
争政策をなんとしてもやめさせなければ
·この反天皇の闘いを本土でひきつぎ、戦
の反動があろうと闘いは開始されました。
を噴きました。右翼、権力、革マルなど
の戦後は終っていない」の深い怒りは火
かれた闘いが示しているように、「沖縄
場で「日の丸」が引きずりおろされ、や
ための読谷村実行委の方。翌二六日、会
村民は決起すると訴えておられた平和の
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唱は行わないが、事前に「日の丸」掲揚
二五日の夜の交流会で「君が代」の斉
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いことを痛感した。
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び、天皇制打倒へ
縄のたたかいに学
動労千葉は、沖
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を拒否し、天皇の戦争責任を激しく追及
手が送られてきた。まさに沖縄は天皇制
歩道や学校の窓などから手が振られ、拍
沖縄では、デモを行っている時でも、
る。
そ、沖縄県民の天皇制に対する答えであ
され、焼き捨てられてしまった。これこ
一度上げられた日の丸が実力で取りはず
されたのだ。また、二六日には読谷村で
沖縄県民の怒りと全国からの決起で粉砕
気に戦争国家へ突き進もうとした野望を、
者·人民を天皇制のもとに屈服させ、一
国鉄と同じく当初の目論見=沖縄の労働
くくりとして強行された天皇訪沖攻撃も、
この沖縄闘争は、中曽根の政治のしめ
することを誓いあった。
革マルをはじめとした革マル分子を一掃
烈な討論が交わされ、天皇制打倒、動労
れ、全国からの報告、沖縄の訴えなど熱
モを行った。デモ解散後、交流会が持た
沖縄の怒り––日の丸
を引きおろし焼く
殺に手を染めた。
った人は県民四人に一人の十五万人。
と凄じい怒りで天皇ヒロヒトを糾弾し、
ことーこれを強いたのは誰か、天皇だ!」
「もっとも愛する者、親や妻子を殺す
々が集団自決をした。沖縄戦で犠牲にな
谷村、チビチリガマでは、八四名もの人
沖縄について二日目の二三日、こと読
を強制した。そして、皇軍自らが住民虐
肉親を殺すことを強要し、自ら死ぬこと
虜にならずに自決せよと、沖縄の人々に
て虜囚の恥ずかしめを受けず」米軍の捕
の軍隊=皇軍は「天皇の赤子として生き
まう、ガマと呼ばれる鐘乳洞の中で天皇
灯り一つなければ真っ暗闇になってし
青年部派遣団長
佐藤正和
感想文とします。
ゃ打ちたおす。
自分は、最先頭で闘うことを決意して、
そして、沖縄の闘いを全国へ!
を掲げる革マル·鉄道労連、松崎を必ず
手なことはやらせない。日の丸労働運動
もうこれ以上、天皇や中曽根に好き勝
ならないことがある。
本土の一人の労働者として闘わなければ
考えると、もう何も言えない。しかし、
葉が、今も俺の胸をうつ。
りおろし、焼き捨てた知花昌一さんの言
国体ソフトボール会場で日の丸をひきず
平和の味に
:
日の丸を引き降し、焼き捨てた知花
代表を先頭に、読谷実行委員会の仲
間もおおぜい集まる。