開動消千葉
国鉄千葉動力車労働組合
〒260 千葉市中央区要町2番8号(動力車会館)
千葉 2935 · 2936番
電話((鉄電)
(公)
043 (222) 7207番
94. 7.4 No.
4019
の懇親会では、大変盛り上がり、
積極的に参加し、会場を変えて
そうした中で、メーデーにも
ました。
の出発でした。
した。
かめることも出来るようになり
産に話をつけるなど、感触をつ
め、みんなの協力で幾つかの単
しかし、地区労担当者をはじ
からず途方にくれる状況の中で
この誰に話していくのかさえわ
る中での開催ということで、ど
最初は、地区労が解散してい
定し、力をあわせ頑張ってきま
支部合同の執行委員会で話合い
す。
も、
とです。
団結を固めがんばる決意で
た地域の仲間に応える意味から
勝浦支部は、協力をいただい
集会が入り参加できなかったこ
してくれたある単産が当日緊急
ただ残念なのは、熱心に協力
持ちです。
せホットしているのが本当の気
なにはともあれ、集会を成功さ
を設け全力で取り組むことを決 り、集会の進め方、内容などに
これを受けて勝浦支部、いすみ いが入りました。
私だけではないように思います。
か自信みたいなのを感じたのは
し、やりきったときには、なに
ついても大変悩みました。しか
しかし、初めての経験でもあ
域集会”開催が確認されました。返事をもらい、皆も大いに気合
第五回支部代表者会議で“地 地域集会のよびかけにも色良い
勝浦、いすみ。地域集会·
で掲載します。
感想が寄せられましたの
は大成功を修めました·
おり·六·一勝浦地域集会」
日刊四〇三号で聚報のと
地城集会
會信楽めた
成功を修める
みんなの協力で
寄稿
くみあい も
のがたり
作作·チバ習作
きました
物販の
お願いに
動労千葉です
1
某大手組合にて
ますよ
存じて
く
スレを ····
今年もニスの
二波のスト
あ.
と
私たちは
おしえて
ストを
ぜひ
組合で
貴重な
今や
ハマ
逆
でしょう
ください
頑張ってい
しょう
香良
ディハ
.
ヨロシク
のである。
強要が行なわれようとしている
舞台となり、石川さんへの屈伏
題では、『厚生保護委員会』が
とりわけ、この「仮出獄」問
たのである。
出獄」というワナを仕掛けてき
落解放運動の解体を狙って「仮
て、自らの解放をかけて闘う部
ての身分差別=部落差別に対し
の階級支配の具体的あり方とし
ばならない。そのために、日帝
の挙国一致体制をつくらなけれ
切の勢力を圧殺し、侵略戦争へ
そのためには戦争に反対する一
戦争にうって出ようとしており、
けて再び朝鮮ーアジアへの侵略
況の真っ只中で、生き残りを賭
である。
今日本は、戦後最悪の長期不
慮されることなく出されたもの
無期懲役が確定し、千葉刑 始していたことが、十三日、
「狭山事件」の犯人として 認めるかどうかの審理を訊|と答弁、石川元被告は卓け
昭和三十八年に起きた|更生保護委員会が仮出獄を|々と手続きがされている」」る審理を開始した。
さんの本人の気持ちなど一切考
に囚われの身となっている石川
出獄」問題は、現に千葉刑務所
が一斉に報道された。この「仮
する「仮出獄近し」という記事
山差別裁判の石川一雄さんに対
六月一四日の新聞各紙に、狭
1994年(平成6年)6月14日(火曜日)
「仮出獄」。
再審却樂幼
を許すな、
を言い渡したが、二審·東「行われている。
被告が起訴された。一審· 十年に最高裁で退けられた」
生保護委員会に仮出獄を上 が、刑務所長らの上申を受
千葉刑務所長が関東地方更 断で仮出獄の審理を始める
十六歳)が行方不明とな
校一年生の女子生徒(当時した。
無実·無罪を訴える石川さんに
いる。この一点を見ただけでも、
人の誓約書が必ず必要とされて
ような情状があり、さらに、本
認め、悔い改めたと認められる
われわれは、部落解放同盟全
.
俊の状」であり、文字通り罪を
「仮出獄」の条件とは、
々
で発見され、石川一雄·元 再審を調求。一次請求は六
迫状が届いた。生徒は売体 も異なる」などと主張して
弁護団は「自白は強要さ
「悔
り、二十万円を要求する裔 |れたもので、脅迫響の筆跡
求中)について、関東地方 で「(仮出獄について)ア|た。
へ全力で闘いぬくものである。
を弾劾するとともに、再審実現
進め、石川さんへの権力の非道
国連合会との共同闘争をさらに
いうものである。
範的だったことなどから、
者によると、服役態度が模 務所など施設の長の上申を
地方更生保護委員会は刑
年近くに及んでいる。関係
狭山事件で再審請求中
会が三人の委員の合議によ|認められる。
網和地裁は三十九年、死刑 が、現在二次請求の審理が|申し、これを受けて同委員|けた場合、大半が仮出獄を·
われるかは想像にかたくないと
これからどのようなことが行な
共同南争を強め
部落解放同盟全属運との
受けるか、委員会自らの判
五月、埼玉県狭山市で、高一役に減刑し、最高裁で確定 して以来、服役期間が十七 ることが多い。
狭山事件 昭和三十八年|京高裁は四十九年、無期懲 年八月に最高裁で刑が確定|二十年で仮出獄が認められ
石川元被告は昭和五十二 は無期懲役の場合、ナ六ー
出獄が可能になる。実際に
忘れがちゃべり仮出す
1.
生う
と話している。
反合·運転保安確立!反戦·反核を担う労働運動を.1
元被告(五五)(第二次再審請 相も同日の参院予算委員会 を解かれる見通しとなっ は、十年を過ぎた段階で仮|けて展望が開けるだろう」
務所に服役中の石川一盤· 明らかになった。中井洽法|から約三十一年ぶりに拘束|いしゅん)」が認められれ|えれば、再審開始決定に向
ればこの夏にも、事件発生 役の服役囚でも「改俊(か
れを東京高裁に聞せてもら
刑法の規定では、無期懲|相を物語ってもらえる。そ
して本人に当時の事件の真
「そうなれば、生き旅人と
弁護人の山上益朗仕様士は
て、狭山事件再審請求主任
通しとなったことについ
石川元被告が仮出獄の見
い、との見解を示している。
求は仮出獄の妨げにならな
の国会答弁などで、再審睛
審理中だが、法務省は過去
で現在、第二次再客請求の
石川元被告は、妻京高裁
国鉄千葉動力車労働組合
〒260 千葉市中央区要町2番8号(動力車会館)
千葉 2935 · 2936番
電話((鉄電)
(公)
043 (222) 7207番
94. 7.4 No.
4019
の懇親会では、大変盛り上がり、
積極的に参加し、会場を変えて
そうした中で、メーデーにも
ました。
の出発でした。
した。
かめることも出来るようになり
産に話をつけるなど、感触をつ
め、みんなの協力で幾つかの単
しかし、地区労担当者をはじ
からず途方にくれる状況の中で
この誰に話していくのかさえわ
る中での開催ということで、ど
最初は、地区労が解散してい
定し、力をあわせ頑張ってきま
支部合同の執行委員会で話合い
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も、
とです。
団結を固めがんばる決意で
た地域の仲間に応える意味から
勝浦支部は、協力をいただい
集会が入り参加できなかったこ
してくれたある単産が当日緊急
ただ残念なのは、熱心に協力
持ちです。
せホットしているのが本当の気
なにはともあれ、集会を成功さ
を設け全力で取り組むことを決 り、集会の進め方、内容などに
これを受けて勝浦支部、いすみ いが入りました。
私だけではないように思います。
か自信みたいなのを感じたのは
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ついても大変悩みました。しか
しかし、初めての経験でもあ
域集会”開催が確認されました。返事をもらい、皆も大いに気合
第五回支部代表者会議で“地 地域集会のよびかけにも色良い
勝浦、いすみ。地域集会·
で掲載します。
感想が寄せられましたの
は大成功を修めました·
おり·六·一勝浦地域集会」
日刊四〇三号で聚報のと
地城集会
會信楽めた
成功を修める
みんなの協力で
寄稿
くみあい も
のがたり
作作·チバ習作
きました
物販の
お願いに
動労千葉です
1
某大手組合にて
ますよ
存じて
く
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今年もニスの
二波のスト
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と
私たちは
おしえて
ストを
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組合で
貴重な
今や
ハマ
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頑張ってい
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舞台となり、石川さんへの屈伏
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とりわけ、この「仮出獄」問
たのである。
出獄」というワナを仕掛けてき
落解放運動の解体を狙って「仮
て、自らの解放をかけて闘う部
ての身分差別=部落差別に対し
の階級支配の具体的あり方とし
ばならない。そのために、日帝
の挙国一致体制をつくらなけれ
切の勢力を圧殺し、侵略戦争へ
そのためには戦争に反対する一
戦争にうって出ようとしており、
けて再び朝鮮ーアジアへの侵略
況の真っ只中で、生き残りを賭
である。
今日本は、戦後最悪の長期不
慮されることなく出されたもの
無期懲役が確定し、千葉刑 始していたことが、十三日、
「狭山事件」の犯人として 認めるかどうかの審理を訊|と答弁、石川元被告は卓け
昭和三十八年に起きた|更生保護委員会が仮出獄を|々と手続きがされている」」る審理を開始した。
さんの本人の気持ちなど一切考
に囚われの身となっている石川
出獄」問題は、現に千葉刑務所
が一斉に報道された。この「仮
する「仮出獄近し」という記事
山差別裁判の石川一雄さんに対
六月一四日の新聞各紙に、狭
1994年(平成6年)6月14日(火曜日)
「仮出獄」。
再審却樂幼
を許すな、
を言い渡したが、二審·東「行われている。
被告が起訴された。一審· 十年に最高裁で退けられた」
生保護委員会に仮出獄を上 が、刑務所長らの上申を受
千葉刑務所長が関東地方更 断で仮出獄の審理を始める
十六歳)が行方不明とな
校一年生の女子生徒(当時した。
無実·無罪を訴える石川さんに
いる。この一点を見ただけでも、
人の誓約書が必ず必要とされて
ような情状があり、さらに、本
認め、悔い改めたと認められる
われわれは、部落解放同盟全
.
俊の状」であり、文字通り罪を
「仮出獄」の条件とは、
々
で発見され、石川一雄·元 再審を調求。一次請求は六
迫状が届いた。生徒は売体 も異なる」などと主張して
弁護団は「自白は強要さ
「悔
り、二十万円を要求する裔 |れたもので、脅迫響の筆跡
求中)について、関東地方 で「(仮出獄について)ア|た。
へ全力で闘いぬくものである。
を弾劾するとともに、再審実現
進め、石川さんへの権力の非道
国連合会との共同闘争をさらに
いうものである。
範的だったことなどから、
者によると、服役態度が模 務所など施設の長の上申を
地方更生保護委員会は刑
年近くに及んでいる。関係
狭山事件で再審請求中
会が三人の委員の合議によ|認められる。
網和地裁は三十九年、死刑 が、現在二次請求の審理が|申し、これを受けて同委員|けた場合、大半が仮出獄を·
われるかは想像にかたくないと
これからどのようなことが行な
共同南争を強め
部落解放同盟全属運との
受けるか、委員会自らの判
五月、埼玉県狭山市で、高一役に減刑し、最高裁で確定 して以来、服役期間が十七 ることが多い。
狭山事件 昭和三十八年|京高裁は四十九年、無期懲 年八月に最高裁で刑が確定|二十年で仮出獄が認められ
石川元被告は昭和五十二 は無期懲役の場合、ナ六ー
出獄が可能になる。実際に
忘れがちゃべり仮出す
1.
生う
と話している。
反合·運転保安確立!反戦·反核を担う労働運動を.1
元被告(五五)(第二次再審請 相も同日の参院予算委員会 を解かれる見通しとなっ は、十年を過ぎた段階で仮|けて展望が開けるだろう」
務所に服役中の石川一盤· 明らかになった。中井洽法|から約三十一年ぶりに拘束|いしゅん)」が認められれ|えれば、再審開始決定に向
ればこの夏にも、事件発生 役の服役囚でも「改俊(か
れを東京高裁に聞せてもら
刑法の規定では、無期懲|相を物語ってもらえる。そ
して本人に当時の事件の真
「そうなれば、生き旅人と
弁護人の山上益朗仕様士は
て、狭山事件再審請求主任
通しとなったことについ
石川元被告が仮出獄の見
い、との見解を示している。
求は仮出獄の妨げにならな
の国会答弁などで、再審睛
審理中だが、法務省は過去
で現在、第二次再客請求の
石川元被告は、妻京高裁