動労本部革マルの裏切りの歴史4

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臨調,行革粉砕! 三里塚ジェット闘争勝利!
「タってはダメだ!もっと働こう」
今こそ動游大改革入
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の産報化·新マル生運動路線を確定し、
臨調の手先、当局の番犬に転落
裏切りの基本
構図が確定
1 982年 3月~
9月
「臨調推進 · 国鉄
再建」、第2鉄労へ
1982年 3月 5~6日 動労第11 5回中央委員会
***
既得権剝奪攻撃の突破口として攻防の
最重要焦点となっていた「ブルトレ問題」
での動労革マルの裏切りはかく行われた。
イ 新 聞 昭和57年7月14日
手当返納をめぐる経過は、国鉄が
ことに同意した。
厨と接触したあと、返納に応じる
が非公式にある人物を介して職員
の間に動揺が生じた。まず、剪券
、返納拒否の国労、勤労、全勤労
る。
ブルートレインのヤミ
う内容証明付きの督促状を郵送す
は「六月末までに返納せよ」とい
過ぎなかった。六月十五日、当局
に応じたのは、該当職員の一割に
期限の同月三十一日までに返納
いち早く、返納拒否を決める。
三組合(国労、動労、全動労)か
これに対し組合側は、鉄労を除く
国労·動労千葉·総評の解体」路線がはっきりと定着する。
姿を鮮明にさせてきた、ことである。以降、実践的には「鉄労との
のではなく、「闘う労働者·人民を背後から襲うファシスト」としての
※この時期からの顕著な特徴=単なる「日和見」や「闘争放棄」などというも
を攻撃して、逆に全人民から弾劾される
共闘、
( 以下 つ づ く )
って、悪質なデマ宣伝で北原事務局長
19月:三里塚闘争破壊|反対同盟解体を狙
07月1日:東京地本革マル分子=海宝、
び回数=銀座·六本木の料亭·クラブで数回。
長谷川を 千葉に送りこみ「転勤」
動労東京地本委員長松崎明。●談合の場所およ
ッキード汚職議員加藤、国鉄本社職員局長太田、
●談合のメンバー=自民党国鉄小委員会三塚、ロ
13月~7月·自民党、国鉄当局と卑屈な
ゆ着=ゴルフ·酒席談合
17月30日:臨調基本答申出される
.
1) 臨調=自民党の手先、
国鉄当局=反動太田労政のしもべ に転落
に生産性向上運動を強要し、屈服を強制するという反動的な方針である。
発を当局と協力して組合も取り組む」なる、当局·支配階級になりかわって、動労組合員
運用、要員需給などを当局の要求を入れて前むきに対処」「旅客·貨物利用誘導、需要開
そして、具体的には、「現在の要員で所定時間内の作業を高め輸送量を増やす」「車両
全国で動労組合員の闘いを禁圧する方針を決定したのである。
局面における特殊な戦術である!(第一一五回中央委方針)とペテンとどう喝をもって、
大刀うちできない! 「闘うべきでは無く、今は働き度を高めるべきとき。これは、後退
論をこじつけ、ついには「従って、合理化絶対反対や職場からの実力闘争では、もはや
て、「国鉄労働者は働き度を高めるべき。
3更にそれを反動的にエスカレートさせ
強調することによって、
という敗北的危機意識のみを大うつしに
るで信用しないで、“厳しい冬の時代 ”
1労働者階級·人民の怒りと決起力をま
う運動」の路線化である。これは、
き度向上·国鉄労使安定化宣言たる「働こ
と「新マル生運動」=既得権はき出し·働
転向をとげた。“ 国鉄再建のためには:”
二年、動労「本部」革マルは遂に決定的な
数々の裏切りの積み重ねの上に、一九八
国鉄を守る(=再建合理化に協力する)ことが労働者の職場と生活を守ることだ」と結
だ」との屈服の論理づくりをおこない、
大視することによって、「闘ってもだめ
している支配階級を、全く逆に美化=強
2危機·ぜい弱なるがゆえに今日凶暴化
1941年(5.16年)
8月 30日、重要産業団体合公布
昭和史に見る「産報運
動」=「働け運動」の歴史
9 · 2 翼賛議員同盟結成(326人)
動労敬ルの

先輩 ?! )
9 · 12 産業報国会“働け運動’ 開始
10 · 18 東条英機內閣成立
12 · 1 御前会議 対米英蘭開戦決定
(年表資料は、毎日新聞社刊)
「一億人の昭和史』シリーズNO.15
「昭和史写真年表」より抜粋/
12 · 8 対米英宣戦布告
戦争への道具
=「働こう運動』は、
いっか来た道
産業報丽
1 ついに産報化·新マル生運動たる=「働こう運動」を路線化 !.
産業報国会発会式 S.15年12月10日結成の東京電燈産報
全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ !!
勤労「なぜ」革マルの裏切りの歴史
その4

可動芳千葉

82, 12, 24
No. 1128
(鉄電)二九三五~六·(公衆)四さ(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合

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