動労本部革マルの裏切りの歴史3

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臨 調 · 行 革 粉 砕! 三 里 塚 ジェット 闘 争 勝 利 !
紅光勤游大改革へ
スト破り、デッチ上げ告訴
権力·当局と一体となって
南う労働者を背後から襲う
(以下 つづく)
1981年
6月12日
を船橋署に告訴するという、最凶悪の「警察労働運動」に堕落·転落した。
ル反動分子は、革マル=嶋田誠を使って「暴行事件」なるものをデ ッチあげ、十名の仲間
仙台から千葉局に帰任·配属となった九名の仲間への加入ォルグに対し、「本部」革マ
の権力にデッチあげタレこみ告訴! = 最凶悪の警察労働運動
1981年 2月 ~ 3月
(41年2月12日、佐倉にて)
「本部」派デッチ上げ地本(支部)の掲示。
塚敵対·動労千葉破壊の本心をさらけ出した
国家権力·国鉄当局と一体となって、三里
助役機関士線見に対する
動海社会支部の見解
全組合員の皆さん !!
支部は千葉地本指導にもとおいてジェント問題に対し文歩を
つみ重ねてきました。
交渉内容は別掲示に見られますように一定の前達を見る
ことができました。 従って千葉地本は助役機関士線見
に対し受け入れていくことを決定しました。(第一郎かり
佐倉支部は地本同様の考えでとり組んで行きます.
.
たことである。
全組合員の皆さん!」
詳した。
当局に処分を要
を十人切れ」と
「千葉動労の首
り列車を運転。そして
護願いまで出してスト破
自らも又権力·当局に保
助役機関士を送りこみ、
を組合員宅にまで郵送。
を返上しよう」なるビラ
はスパイの運動だ。スト
よう」と叫び、「三里塚
にならないストに反対し
身ぶり手ぶりの自作自演で「現場検証」をデッチあ
げる革マル=嶋田、斉藤と船橋警察署公安刑事。
(1981年7月8日、津田沼電車区構内)
38·3ジエット·ストへのスト破り と「処分」要請
員からの弾劾をのがれるために、当局と一体となって動労千葉の闘いの圧殺に全力をあげ
れ先別の格差導入による乗務員間の分断·対立をもちこみ、3自らの裏切り妥結への組合
労働者を売り渡し、2「乗務員運用合理化」で大巾労働強化と乗務旅費の線区別·乗り入
即ち、動労「本部」革マルのやったことは、1闘わずして「5 ·10」裏切り、貨物関係
千葉の5日間のストライキに対し「組合員の利益
ジェット燃料貨車輸送 延長阻止をかかげた動労
1980年 10月
闘いぬき、少からぬ条件バ ックを勝ちとった上で十二月一日闘いを収約した。
的事実である。動労千葉は、そのような不当な重圧をはねのけて単独で十一月三〇日まで
束がちがう! 早く千葉にも認めさせろりと当局にわめき、すがりついたのは有名な歴史
合による闘争鎮圧の策動は粉砕されてしまった。あせった「本部」革マル反動分子が”約
しかし、当然にもわが動労千葉は徹底した反対闘争を継続したので、この当局––革マル連
葉にも十一月一日までに必ず妥結–実施させること」という約束を当局にさせたのである。
裏切りをおしつけ、十月一日実施させた。その時、卑劣にも松崎は妥結の条件の中に「千
る線区にかかわるところが断固として反対して闘っているのをむりやり弾圧して、東京の
地本は「乗務員運用合理化」を早々と九月に裏切り妥結し、千葉·水戸·宇都宮等隣接す
そうしておいて、”要員をはき出すべきだりを一早くかかげた松崎明委員長下の動労東京
である」と投げ出し、最初っから当局と腹合わせをして受け入れ妥結の仕組みをつくった。
し、動労「本部」は”大胆に妥協すべき”(名古屋大会路線)として、「これは地方課題
を軸とした乗務員運用合理化」の攻撃をかけてきた。ところが、この重大な全国的課題に対
三割~五割にも及ぶすさまじい乗務効率アップ=運転保安無視の労働強化と既得権剝奪)
の初年度として、国鉄当局は「5·10ダイ改」合理化=一万二千名の要員削減、と同時に
一九八五年までの六年間に七万四千名の労働者を「削減」するという「35万人体制」へ
の「5·10ダイ改」と「乗務員運用合理化」に率先協力
勤労「本部」革マルの裏切りの歴史


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全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ !!
1층
湖動芳千葉
82, 12, 18
No.1223
(鉄電)二九三五~六·(公衆)日四さニ(22)七二〇七
千葉市要町二·八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合
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