当時、政府は六七年までに八万人首切
井五山の結果はどうであったか。
雇用は守れるといってきたスト反対の三
つぶす」論をもって三池が闘わなければ
われ、三池以外の炭労は「ストはヤマを
三池敗北直後から、大量の首切りが行
闘う以外に労働者として
生きられない
国鉄「分割 ·民営化」阻止!三里塚二期着工粉砕!
とすさまじい後退を引き起こした。
によって「闘わざる敗北ー炭労潰走」へ
前に敵前逃亡を決めこんだ民同の裏切り
官隊との激突の中で七月ホ ッパー決戦を
国切断に腐心し、一九六〇年、暴力団·警
鉄 た。ここでも総評民同は、安保と三池の
をあおり、三池叩きつぶしにかかってき
部隊であった三池労組を日帝は石炭危機
総評民間単産の中軸であり、その精鋭
な階級決戦として三池闘争は爆発した。
しかし、六〇年安保闘争と同時平行的
の裏切りによって闘いは圧殺された。
かわらず、味方内部の指導部·国労民同
ネルギー爆発寸前にまで高揚したにもか
定員法や国鉄新潟の闘いが労働者のエ
1214人の指名解雇通告を返上し、会社側のロックアウトに対抗
して全面無期限ストに突入した三池労働者(60年1月25日)
闘わざる敗北ー炭労潰走
“去るも地獄、残るも地獄』の看板がかかる三池労組 .
本部前をデモ行進する三池主婦会の主婦たち(60年)
戦術では組織は破壊される」と怒りの声
大会では「本部方針は生ぬるい」「柔軟
崩しが行われた。七一年八月、国労函館
たマル生グループによる国労·動労切り
強行してきた。管理者·鉄労を中心とし
力開発課を設置し、マル生教育の推進を
合理化」をかかげた磯崎総裁が誕生、能
七十年、国鉄財政危機を理由に「再建
座して死を待つより
起って反撃へ
明している。
んぞは敗北の道しかないことを歴史が証
る道はない。闘わないで何んとかなるな
のであり、闘う以外に労働者として生き
労働者と資本家の関係は相入れないも
働者をおとしこんでいったのだ。
とまさに“去るも地獄残るも地獄” へ労
炭鉱大爆発––四五八人死亡の大事故発生
の推進、それは六三年十一月の三池三川
のかりたて、相つぐ合理化による首切り
増のもとで低賃金そして、超労働強化へ
の差別·選別と人員は三割減––出炭は倍
五山のうち三山が閉山され、第一組合へ
テンをろうしたのである。そして、三井
対策は万全」と首切りが容易にやれるべ
を可決し「政府が責任をもって」「雇用
りを強行するために「炭鉱離職者法」案
かに教訓化し闘いぬくのかを示された。
六〇·七〇年安保闘争~国鉄マル生闘争」の歴史を国鉄分割·民営化攻撃と対比させ、い
について労働運動研究家·大塚宏氏より「国鉄新潟闘争が切りひらいた高揚~三池闘争~
第二期労働学校·第十一回講座が九月二七日開催され「戦後労働運動史·その二」
職場からの 反撃が開始された
が求められている。と述べられ終了した。
確実に反撃が開始された。いまこそ闘い
た。この闘いは大きい意義を持つものだ。
闘う国労組合員の怒りの決起で粉砕され
割·民営反対の旗をおろそうとしたが、
攻撃の中で今、労使共同宣言を結び、分
働貴族として腐敗しきり、国労つぶしの
を求め、それが戻ったことに安住し、労
服·腐敗し、国労民同は安定的労使関係
マルは、今日では当局の手先となって屈
マル生闘争に勝利した。しかし動労革
国労組合員の偉大な
決起はじまる
敗北に追いこんだ。
に組合の旗のもとに結集したのである。
全組合員が悩み、苦しみ、迷い、最終的
く真剣に考えざるを得なかった。そして
とはなにか、組合とは何かを、かつてな
がたい経験を与えた。全組合員が労働者
マル生粉砕闘争は、全国鉄労働者に得
開され、不当労働行為摘発運動は当局を
る徹底した追及·糾弾の闘いが職場で展
を裏切り当局に走ったマル生分子に対す
で差別を受けるぞーという攻撃だ。仲間
択一を迫り、組合側につけばあらゆる面
当局側につくのか組合側につくのか二者
マル生攻撃は、一人ひとりの労働者に
し、マル生粉砕闘争に起った。
るよりは立って反撃に転じよう」と宣言
に中川委員長は「座して攻撃にさらされ
マル生大会をめぐる激突(77年10月、大阪)
全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ!
労
日
学校
働
二
し
狗動芳千葉
86. 10. 4
1
0
4
No. 2370
2
い
講座
オ11回
(鉄電)二九三五~六·(公衆)〇四七二(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合
井五山の結果はどうであったか。
雇用は守れるといってきたスト反対の三
つぶす」論をもって三池が闘わなければ
われ、三池以外の炭労は「ストはヤマを
三池敗北直後から、大量の首切りが行
闘う以外に労働者として
生きられない
国鉄「分割 ·民営化」阻止!三里塚二期着工粉砕!
とすさまじい後退を引き起こした。
によって「闘わざる敗北ー炭労潰走」へ
前に敵前逃亡を決めこんだ民同の裏切り
官隊との激突の中で七月ホ ッパー決戦を
国切断に腐心し、一九六〇年、暴力団·警
鉄 た。ここでも総評民同は、安保と三池の
をあおり、三池叩きつぶしにかかってき
部隊であった三池労組を日帝は石炭危機
総評民間単産の中軸であり、その精鋭
な階級決戦として三池闘争は爆発した。
しかし、六〇年安保闘争と同時平行的
の裏切りによって闘いは圧殺された。
かわらず、味方内部の指導部·国労民同
ネルギー爆発寸前にまで高揚したにもか
定員法や国鉄新潟の闘いが労働者のエ
1214人の指名解雇通告を返上し、会社側のロックアウトに対抗
して全面無期限ストに突入した三池労働者(60年1月25日)
闘わざる敗北ー炭労潰走
“去るも地獄、残るも地獄』の看板がかかる三池労組 .
本部前をデモ行進する三池主婦会の主婦たち(60年)
戦術では組織は破壊される」と怒りの声
大会では「本部方針は生ぬるい」「柔軟
崩しが行われた。七一年八月、国労函館
たマル生グループによる国労·動労切り
強行してきた。管理者·鉄労を中心とし
力開発課を設置し、マル生教育の推進を
合理化」をかかげた磯崎総裁が誕生、能
七十年、国鉄財政危機を理由に「再建
座して死を待つより
起って反撃へ
明している。
んぞは敗北の道しかないことを歴史が証
る道はない。闘わないで何んとかなるな
のであり、闘う以外に労働者として生き
労働者と資本家の関係は相入れないも
働者をおとしこんでいったのだ。
とまさに“去るも地獄残るも地獄” へ労
炭鉱大爆発––四五八人死亡の大事故発生
の推進、それは六三年十一月の三池三川
のかりたて、相つぐ合理化による首切り
増のもとで低賃金そして、超労働強化へ
の差別·選別と人員は三割減––出炭は倍
五山のうち三山が閉山され、第一組合へ
テンをろうしたのである。そして、三井
対策は万全」と首切りが容易にやれるべ
を可決し「政府が責任をもって」「雇用
りを強行するために「炭鉱離職者法」案
かに教訓化し闘いぬくのかを示された。
六〇·七〇年安保闘争~国鉄マル生闘争」の歴史を国鉄分割·民営化攻撃と対比させ、い
について労働運動研究家·大塚宏氏より「国鉄新潟闘争が切りひらいた高揚~三池闘争~
第二期労働学校·第十一回講座が九月二七日開催され「戦後労働運動史·その二」
職場からの 反撃が開始された
が求められている。と述べられ終了した。
確実に反撃が開始された。いまこそ闘い
た。この闘いは大きい意義を持つものだ。
闘う国労組合員の怒りの決起で粉砕され
割·民営反対の旗をおろそうとしたが、
攻撃の中で今、労使共同宣言を結び、分
働貴族として腐敗しきり、国労つぶしの
を求め、それが戻ったことに安住し、労
服·腐敗し、国労民同は安定的労使関係
マルは、今日では当局の手先となって屈
マル生闘争に勝利した。しかし動労革
国労組合員の偉大な
決起はじまる
敗北に追いこんだ。
に組合の旗のもとに結集したのである。
全組合員が悩み、苦しみ、迷い、最終的
く真剣に考えざるを得なかった。そして
とはなにか、組合とは何かを、かつてな
がたい経験を与えた。全組合員が労働者
マル生粉砕闘争は、全国鉄労働者に得
開され、不当労働行為摘発運動は当局を
る徹底した追及·糾弾の闘いが職場で展
を裏切り当局に走ったマル生分子に対す
で差別を受けるぞーという攻撃だ。仲間
択一を迫り、組合側につけばあらゆる面
当局側につくのか組合側につくのか二者
マル生攻撃は、一人ひとりの労働者に
し、マル生粉砕闘争に起った。
るよりは立って反撃に転じよう」と宣言
に中川委員長は「座して攻撃にさらされ
マル生大会をめぐる激突(77年10月、大阪)
全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ!
労
日
学校
働
二
し
狗動芳千葉
86. 10. 4
1
0
4
No. 2370
2
い
講座
オ11回
(鉄電)二九三五~六·(公衆)〇四七二(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合