事業団地労委 いよいよ山場 

3048

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四川刊動労千葉
国鉄千葉動力車労働組合
〒280 千葉市要町2番8号(動力車会館)

電話
(鉄電)千葉 2935· 2936 番
(公)
千葉(22) 7207番
動労千葉結成10周年!
89.6.26No. 3048
清算事業団地労委
させるものであった。
けた決意を今一度新たに
の証言は、原職奪還に向
決意に満ちた四名の仲間
聴者でうずまり、怒りと
た入りきれないほどの傍
は、各支部からかけつけ
える。この両日、傍聴席
なく明らかになったと言
いよいよ、あますところ
事業団送りの不当性は、
の証言をとおして、清算
(十七日) の四名の仲間
二さん、中村俊六郎さん
さん(十三日)、相原照
林熊吉さん、磯辺哲夫
四名が証言にたった。
二名の仲間を代表して、
清算事業団に送られた十
ており、この両日には、
最後の大きな山場を迎え
清算事業団地労委闘争も
地労委闘争が闘われた。
業団ーJR不採用事件の
両日にわたって、清算事
六月十三日と十七日の
.3.8.
原職を必らず奪還するぞ
全力で結集しよう!
勝利命令獲得のために、
最終審問を迎える。早期
清算事業団地労委闘争 は六月二八日、いよいよ
ち固め、一日も早く
仲間と闘う体制を打
全国の清算事業団の
の十二名はもとより
···· 私たちは、千葉
して残っています。
にし、大きな財産 !!
私自身の人間性を豊
大きな誇りを持ち、
心にいた」人として
年間、常に活動の中
科会役員として二五
員として、また、分
地本、本部、執行委
振り出しに、支部、
私は青年部役員を
林 熊吉氏
6/28
14:00
2
N
決意に応えよう
仲間の
「事業団」の
動労子葉10周年
地引網大会
ています。
流することを確信し
国鉄時代の仲間に合
JRの職場に戻り、
ることはできません。
というこの日を忘れ
涯「六二年四月一日」
いています。私は生
姿が今も目に焼きつ
ガク」と肩を落した
母親に告げた時、「
ったことを年老いた
て電車に乗れなくな
事業団に取り残され
きました 。···· 清算
動を今日までやって
とだと思って組合運
者にとって大事なこ
って生きる事が労働
人間として誇りをも
まで裏切らない事、
私は、仲間を最後
hot!’
3
S
には思えません。
る「報復」としか私
···· 動労千葉に対す
かり憤慨しました。
せなかったことがわ
名簿に私の氏名を載
立委員会に提出する
すが、国鉄当局が設
後でわかったことで
思っておりました。
加採用があるものと
割れであり、当然道
·東日本ともに定員
動労千葉の新たな十年を切り開こう
クでした。JR貨物
となった時はショッ
らは清算事業団送り
にこず、四月一日か
て も採用通知はつい
三月三一日になっ
日時 1989.7.9-9時
場所 長生村→松海岸
im
動労千葉サークル協
雨天決行
家族そろって
張るつもりです。
を証明できるまで頑
ました 。···· 正しさ
第一波ストを決行し
はこわれると思い、
い、安全な輸送体制
ば良い職場は守れな
のようなことが続け
ました。私たちはこ
務停止をされたりし
カットされたり、乗
と差別され、昇給を
労千葉の組合が何か
日が戦場でした。動
われ、 職場は毎日毎
合差別が公然と行な
五九年頃から、組
参加しょう。
全組合員が血を流し、涙を流し、そして勝利した10年!
中村俊六郎氏
磯辺哲夫氏
相原照二氏
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