シリーズ① 日本はどこに進もうとしているのか 55年体制の成立と崩壊の要因

3838

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自動労千葉
JOIn
国鉄千葉動力車労働組合
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電話{(鉄電)
(公)
93.8.4 No. 3838
シリーズ 1
日本は
554体制とは何かと
北日
成の背景と崩壊の要因
と日に進もうとしているのか
立直りのキッカケをつかみ以降
二〇一=公務員のスト権禁止で
ースト圧殺と四八年七月の政令
たなかったが一九四七年、二·
起こる闘いになんら対応策をも
も、個別資本も全産別的に巻き
一九四五年の敗戦直後、政府
に流れこんでいくのである。
はそれに屈せず「五五年体制」
をあげていくが、戦闘的労働者
行するために民同の買収に全力
を強行しながら、朝鮮戦争を推
結成、五〇年にはレッドパージ
した中で四八年四月に日経連を
労務政策に本腰を入れる。こう
「五五年体制」,前史
る。
の戦後史の画期をなした年であ
一九五五年という年は敗戦日本
のうちどちらも一党だけでは多
由党は大きく惨敗し、保守二党
反撃を引き起こし、その結果自
成立の背景
五五年体制

いと思います。
ていい状況である。
条件などについて検討してみた
史的背景、それを成り立たせた
きた「五五年体制」について歴
政治、経済等の枠組みをなして
そこで今号では、戦後の国家、
及はマスコミも含め皆無といっ
いった肝心なことについての言
なり、果たしてきた「役割」と
んだったのか、その成立の背景
「五五年体制」とはいったい何
崩壊が叫ばれている。ところが
体制側からも「五五年体制」の
治の画期点について、自民党や
の自社両党の惨敗という戦後政
自民党の分裂、七月衆院選で
な」という労働者大衆の怒りの
となり「二度と戦争を繰り返す
発表したため改憲が大きな争点
は、五四年保守両党が改憲案を
した時である。その直接の原因
ゆる「二大政党制」がスタート
左右社会党の統一による、いわ
自由党と民主党の保守合同と
(政治的には)
保守合同大演説会
主催 新完組織委員会
山楼
..
三五大好伴い
老三木武館
.
..
.
他健方竹子
最多!
F
怡危機への突入という中で「五 るのは、まさにこれからである。
にはバブル崩壊、長期不況と政
展望喪失状況にたたされ、つい
とごとく喪失し、国家としての
むかえるや戦後的存立条件をこ
て曲がり角に立ち、八〇年代を
係)は、七四年の不況を境にし
済成長、戦後民主主義、日米関
たせてきた三つの条件(高度経
つまり「五五年体制」を成り立
じて実現してきた戦後的発展、
一九五〇年から六〇年代を通
第 三つの条件
成り立せた
五五五五年体制系
いったのである。
り「五五年体制」を生みだして
政治支配体制の確立が急務とな
こうした歴史的条件に見あった
行っていた。日本支配階級は、
買収の動きをいちだんと露骨に
でいく。その一方では民同運動
気づき「再建」の糸口をつかん
生じた「特需景気」で一気に活
資本は、一九五四の朝鮮戦争で
日本の独占
:
55年体制はこうして始まった=1955年の保守合同人演説会
(その背景は
のである。
「二大政党制」の確立へと進む
を掲げていた社会党を引きこみ
み切り、その返す刀で反共主義
闘う労働運動の真価を発揮す
ることは避けられない。
たかいへの新たな引きがねにな
衆を決定的に揺りうごかし、た
動的政治再編は、逆に労働者大
「五五年体制」崩壊と新たな反
ても断ち切らなければならない。
反動的政治再編の逆流を何とし
道でなくてなんであろう。この
この道は、改憲と侵略戦争の
ある。
だ」とまで言いきっているので
めの制度改革をやることが必要
るうリーダーシップの強化のた
公然と「首相権限を独裁的にふ
目瞭然である。彼は、その中で
の「国家改造」路線を見れば一
く否である。そのことは、小沢
民党よりましな政権なのか。全
それでは、細川次期政権は自
した。
きた自民党はついに野党に転落
間一党支配をほしいままにして
が正式に合意された。三十八年
細川を首班とした連立政権成立
の党首会談によって日本新党·
七月二十九日社会党など八党派
編を許すね
進み、自由民主党の結成へと踏
ンチを脱するため保守合同へと
反動染务再
のである。
新たな
本年六月最後的に解体し去った
反合·運転保安確立! 反戦·反核を担う労働運動を!
数派をつくれなくなる。このピ
五年体制」は土台から崩れ去り、
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