国鉄「分割·民営化」阻止!三里塚二期着工粉砕!
サンケイ側証人のデタラメ性
あばき出される 3/5 15回「サンケイ」公判
3:30 平野名の悲しみ 股子
56
日
と怒りをこめ証言しました。
イ側島崎証言は全くデタラメである」
しがたいデッチ上げである。サンケ
運動キャンペーンの一環としての許
行革推進キャンペーンー反国鉄労働
根のお先棒をかついで展開している
て、現在、サンケイ新聞が反動中曽
派=社会の敵なる予断と偏見をもっ
くデタラメであり、動労千葉=過激
ていない。サンケイ新聞の記事は全
リラ事件』に動労千葉は全く関与し
して出廷し「一九八二年『3·13ゲ
に入り、まず水野副委員長が証人と
公判は、今回から組合側立証段階
た。
「サンケイ公判」がたたかわれまし
三月五日、東京地裁で、第15回
いるとでも言うのか」と水野副委員
売部門など全てにわたって熟知して
誰でも印刷部門のことから編集、販
れば、あなた方サンケイ新聞の人は
に対し「それなら新聞社に勤めてい
熟知しているかのサンケイ側の主張
ケーブルの配置やCTC回路構成を
さらに、国鉄職員なら誰でも信号
いっていました。
全ての裁判官がうなずきながら聴き
い」との水野副委員長の証言には、
り、ゲリラ戦術などとったことはな
働運動の原則にのっとって行ってお
「闘争はストライキ、順法など、労
を担い、社会的地位も確立している」
中心単産として県内労働運動の中軸
とりわけ、「動労千葉は県労連の
対尋問が行われます。
引き続き出廷し、サンケイ側への反
次回=六月十一日は、水野証人が
た。
へむけて大きく前進をかちとりまし
言のデタラメ性を明らかにし、勝利
などというワケのわからない島崎証
50年(55年だ!)島根(?)大会だ」
で取材した」と言いながら「それは
題に精通している。津山大会も自分
ソをならべたり「労働担当で動労問
「動労千葉に取材した」と平気でウ
た。加えて、取材もしていないのに
は動労千葉の独壇場の感がありまし
圧倒されてグウの音も出せず、法廷
長が追及するやサンケイ側は完全に
1
激化する労働強化·人減らし合理化
と対決し、反合運転保安印争の再構築を
万全を期すこと。
を通過する全列車の注意運転を励行すること。
抗議行動
·場 所
日
時
追悼集会
と。
局の責任は重大である。
勝浦運転区
三月三〇日(土) 十時三〇分
全組合員が「三·三〇を忘れず、くり返さない」闘いを強めよう。
に、以下の抗議行動を取り組むことを決定した。
悼集会を開催するとともに、新たな決意をこめて、反合·運転保安闘争の強化をかちとるため
ものであった点について確認しなければならない。
安確立のための闘いについて、われわれに警鐘を乱打する
と同時に、事故はともすればマンネリ化しがちな運転保
再三にわたる要求を無視し、危険な踏切を放置してきた当
の踏切り進入に直接的な原因があるとはいえ、われわれの
この事故がコンクリートミキサー車の運転手の警報無視
忘れないぞ !。
関係支部は、三月三〇日·〇時より二四時まで、外房線八積–茂原間の「細代踏切」
各支部は、三月三〇日·十時三〇分、全列車を対象に長緩気笛を吹鳴する取り組みの
「三·三〇」事故一周年抗議、平野君追悼集会、及び抗議行動の取り組みについて
(「動労千葉指示第三六号」より)–
動労千葉はこうした立場から、一周年の三月三〇日、勝浦支部と共催で、故·平野雅夫君追
態をくり返させないために、反合·運転保安闘争を日常不断に強化していかなければならない 。※
われわれは、この「一九八四年三月三〇日」の怒りと悲しみを絶対忘れず、二度と同様の事
人減らし攻撃の激化の中で、運転保安闘争の重要性はより以上に増している。
平野君の殉職後、一年が経過した今日、当局の労働強化、
1984年 3月30日、
細代踏切!
王組合貝·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せ !! –
車が激突し、平野君の尊い命が奪われた。
いて、平野雅夫君が運転する列車とコンクリートミキサ
昨年の三月三〇日、外房線茂原ー八積間の細代踏切にお
.
平野君追悼·抗議行動く
9平野君剁転事故一週年抗議
幼動芳千葉
85. 3.29
No.
1903
(鉄電)二九三五~六·(公衆)〇四七二(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合
サンケイ側証人のデタラメ性
あばき出される 3/5 15回「サンケイ」公判
3:30 平野名の悲しみ 股子
56
日
と怒りをこめ証言しました。
イ側島崎証言は全くデタラメである」
しがたいデッチ上げである。サンケ
運動キャンペーンの一環としての許
行革推進キャンペーンー反国鉄労働
根のお先棒をかついで展開している
て、現在、サンケイ新聞が反動中曽
派=社会の敵なる予断と偏見をもっ
くデタラメであり、動労千葉=過激
ていない。サンケイ新聞の記事は全
リラ事件』に動労千葉は全く関与し
して出廷し「一九八二年『3·13ゲ
に入り、まず水野副委員長が証人と
公判は、今回から組合側立証段階
た。
「サンケイ公判」がたたかわれまし
三月五日、東京地裁で、第15回
いるとでも言うのか」と水野副委員
売部門など全てにわたって熟知して
誰でも印刷部門のことから編集、販
れば、あなた方サンケイ新聞の人は
に対し「それなら新聞社に勤めてい
熟知しているかのサンケイ側の主張
ケーブルの配置やCTC回路構成を
さらに、国鉄職員なら誰でも信号
いっていました。
全ての裁判官がうなずきながら聴き
い」との水野副委員長の証言には、
り、ゲリラ戦術などとったことはな
働運動の原則にのっとって行ってお
「闘争はストライキ、順法など、労
を担い、社会的地位も確立している」
中心単産として県内労働運動の中軸
とりわけ、「動労千葉は県労連の
対尋問が行われます。
引き続き出廷し、サンケイ側への反
次回=六月十一日は、水野証人が
た。
へむけて大きく前進をかちとりまし
言のデタラメ性を明らかにし、勝利
などというワケのわからない島崎証
50年(55年だ!)島根(?)大会だ」
で取材した」と言いながら「それは
題に精通している。津山大会も自分
ソをならべたり「労働担当で動労問
「動労千葉に取材した」と平気でウ
た。加えて、取材もしていないのに
は動労千葉の独壇場の感がありまし
圧倒されてグウの音も出せず、法廷
長が追及するやサンケイ側は完全に
1
激化する労働強化·人減らし合理化
と対決し、反合運転保安印争の再構築を
万全を期すこと。
を通過する全列車の注意運転を励行すること。
抗議行動
·場 所
日
時
追悼集会
と。
局の責任は重大である。
勝浦運転区
三月三〇日(土) 十時三〇分
全組合員が「三·三〇を忘れず、くり返さない」闘いを強めよう。
に、以下の抗議行動を取り組むことを決定した。
悼集会を開催するとともに、新たな決意をこめて、反合·運転保安闘争の強化をかちとるため
ものであった点について確認しなければならない。
安確立のための闘いについて、われわれに警鐘を乱打する
と同時に、事故はともすればマンネリ化しがちな運転保
再三にわたる要求を無視し、危険な踏切を放置してきた当
の踏切り進入に直接的な原因があるとはいえ、われわれの
この事故がコンクリートミキサー車の運転手の警報無視
忘れないぞ !。
関係支部は、三月三〇日·〇時より二四時まで、外房線八積–茂原間の「細代踏切」
各支部は、三月三〇日·十時三〇分、全列車を対象に長緩気笛を吹鳴する取り組みの
「三·三〇」事故一周年抗議、平野君追悼集会、及び抗議行動の取り組みについて
(「動労千葉指示第三六号」より)–
動労千葉はこうした立場から、一周年の三月三〇日、勝浦支部と共催で、故·平野雅夫君追
態をくり返させないために、反合·運転保安闘争を日常不断に強化していかなければならない 。※
われわれは、この「一九八四年三月三〇日」の怒りと悲しみを絶対忘れず、二度と同様の事
人減らし攻撃の激化の中で、運転保安闘争の重要性はより以上に増している。
平野君の殉職後、一年が経過した今日、当局の労働強化、
1984年 3月30日、
細代踏切!
王組合貝·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せ !! –
車が激突し、平野君の尊い命が奪われた。
いて、平野雅夫君が運転する列車とコンクリートミキサ
昨年の三月三〇日、外房線茂原ー八積間の細代踏切にお
.
平野君追悼·抗議行動く
9平野君剁転事故一週年抗議
幼動芳千葉
85. 3.29
No.
1903
(鉄電)二九三五~六·(公衆)〇四七二(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合