国鉄「分割 · 民営化」阻止!三里塚二期着工粉砕!
3·2りまし過員 攻撃もうち破るう
定の効を奏している中で、そうであるからこそ「
革マル一体となった「闘えない状況づくり」が一
動労千葉の安全確認行動は、当局、動労「本部」
ある。
ができず、ただ当局の弾圧に望みをたくしたので
てみろ」とケチつけを行ったものの介入すること
もぬかさんばかりに驚き、「やれるものならやっ
分析」からは想像もつかない実力決起の方針に腰
とりわけ動労「本部」革マルは、彼等の「情勢
もない」と「厳重処分」を大上段に構えてきた。
になりつつある中で、「いまどき闘争などとんで
ゆるがした。
解体プランが着実に成果をあげ、「闘争」が皆無
まず、政府·自民党、国鉄当局は国鉄労働運動
実力決起の方針は電撃的衝撃波となって各方面を
問われている現状況の中で、動労千葉の「60·3」
して国鉄労働運動を解体し侵略戦争への道を突き
労働運動が総屈服状況につき落されるか否かが
同時に、十五万人首切りー「分割·民営化」を通
敵の急所を鋭く突いた実力決起
力·安全確認行動の方針をうちたてた。
ことを確認し、第一波闘争として2·2~2非協
りと拒否し、あらゆる戦術を駆使して反撃にたつ
提案どおり「60·3」 が強行される事態をきっば
動労千葉はこうした否定的状況に押しつぶされ
反対して闘う労働者に妨害を加えてきた。
ょう」と叫び、合理化推進はおろか「60·ろ」に
ときめつけ、「国鉄を守るために60 ·ろに協力し
部」革マルは、「国鉄危機は労働者の働き不足」
なしくずし的屈服を開始した。とりわけ動労「本
退を深め、「0·ろ」との対決から逃げまわり、
た凶暴な攻撃のまえに、国鉄労働運動指導部は後
しかし、中曽根の「戦後政治の総決算」をかけ
けて闘おうと呼びかけてきた。
切り攻撃の突破口と位置付け、労働者の死活をか
·ろ」以降の「過員対策」をはじめ、十五万人首
と要員削減の合理化であることはもちろん、「60
ためき様をみれば確かな手応えとして確認するこ
われわれは、「60·ろ」がすさまじい労働強化
死活をかけて決起した「60·ろ」
なんとしても三たびの五割動員を実現しよう。
ければならない。その出発点がら·24である。
し「過員対策」をうち破る組織づくりを強化しな
て可能であったのであり、かちとった地平を堅持
「三里塚を基軸とした労働運動」路線ゆえに初め
第二の「8·3」ともいうべき第一波闘争は、
えで、完全に優位な地平を切り拓いた。
しめる程に追いつめ、「0·ろ」以降の攻防のう
圧倒し「組合側の主張は理解できる」とまでいわ
効果的闘いの実現を背景に、団体交渉でも当局を
もかかわらず、全組合員が完璧に指令を消化した
との視点にたった安全確認行動という初の試みに
“八〇年代後半に通用する労働運動を創りだす”
葉が切るんだという固い決意に燃えた決起である。
進む中曽根内閣を打倒する闘いの先陣を、動労千
た。それは「·ろ」そのものへの怒りであると
重ねて意志一致を行い、満を持して闘いに突入し
動労千葉は職場集会、個別ォルクを何度も積み
決起したのだ。
の組合員の苦闘などわかるわけがないのだ。
で弾圧してまわる動労「本部」革マルに動労千葉
「闘うべきではない」と、労働者の決起を必死
決意し、大変な重圧をはねのけて安全確認行動に
りさえ強行する情勢の中で、一人一人の組合員が
敵の見境のない攻撃は、「順法闘争」で首切
決意があって初めて実現できた闘いなのである。
当局の攻撃に反撃していくんだ、という組合員の
に実力決起することにより、否定的状況を突破し
そして何よりも、動労千葉が独自でも「60·3」
闘う意気に燃えて決起
一人一人の組合員が重圧をはねのけ
とができるのだ。
き、ストライキに匹敵する効果を発揮したのである。
あってはならない闘い」として敵の急所を鋭く突
このことは第一波闘争に対する当局のあわてふ
全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ!
実現し、「過員」攻撃を打ち破る組織づくりを強化していこうではないか。
貫徹した自信に満ち満ちている。この力をもって、3 ·24三里塚への三たびの五割動員を
部」派の組合員との対局で、わが動労千葉の組合員は路線の正しさに確信を深め、闘いを
り「三本柱」の推進を強制され、組織への恨みつらみ、疑心暗鬼で凝り固まった動労「本
動労千葉は「0·ろ」粉砕の闘いに、唯一実力で決起した。「60·3」に協力し、首切
日3 動物千葉
にめにまいスまでなり
g
5
85.3.14
No.1888
(鉄電)二九三五~六·(公衆)〇四七二(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合
3·2りまし過員 攻撃もうち破るう
定の効を奏している中で、そうであるからこそ「
革マル一体となった「闘えない状況づくり」が一
動労千葉の安全確認行動は、当局、動労「本部」
ある。
ができず、ただ当局の弾圧に望みをたくしたので
てみろ」とケチつけを行ったものの介入すること
もぬかさんばかりに驚き、「やれるものならやっ
分析」からは想像もつかない実力決起の方針に腰
とりわけ動労「本部」革マルは、彼等の「情勢
もない」と「厳重処分」を大上段に構えてきた。
になりつつある中で、「いまどき闘争などとんで
ゆるがした。
解体プランが着実に成果をあげ、「闘争」が皆無
まず、政府·自民党、国鉄当局は国鉄労働運動
実力決起の方針は電撃的衝撃波となって各方面を
問われている現状況の中で、動労千葉の「60·3」
して国鉄労働運動を解体し侵略戦争への道を突き
労働運動が総屈服状況につき落されるか否かが
同時に、十五万人首切りー「分割·民営化」を通
敵の急所を鋭く突いた実力決起
力·安全確認行動の方針をうちたてた。
ことを確認し、第一波闘争として2·2~2非協
りと拒否し、あらゆる戦術を駆使して反撃にたつ
提案どおり「60·3」 が強行される事態をきっば
動労千葉はこうした否定的状況に押しつぶされ
反対して闘う労働者に妨害を加えてきた。
ょう」と叫び、合理化推進はおろか「60·ろ」に
ときめつけ、「国鉄を守るために60 ·ろに協力し
部」革マルは、「国鉄危機は労働者の働き不足」
なしくずし的屈服を開始した。とりわけ動労「本
退を深め、「0·ろ」との対決から逃げまわり、
た凶暴な攻撃のまえに、国鉄労働運動指導部は後
しかし、中曽根の「戦後政治の総決算」をかけ
けて闘おうと呼びかけてきた。
切り攻撃の突破口と位置付け、労働者の死活をか
·ろ」以降の「過員対策」をはじめ、十五万人首
と要員削減の合理化であることはもちろん、「60
ためき様をみれば確かな手応えとして確認するこ
われわれは、「60·ろ」がすさまじい労働強化
死活をかけて決起した「60·ろ」
なんとしても三たびの五割動員を実現しよう。
ければならない。その出発点がら·24である。
し「過員対策」をうち破る組織づくりを強化しな
て可能であったのであり、かちとった地平を堅持
「三里塚を基軸とした労働運動」路線ゆえに初め
第二の「8·3」ともいうべき第一波闘争は、
えで、完全に優位な地平を切り拓いた。
しめる程に追いつめ、「0·ろ」以降の攻防のう
圧倒し「組合側の主張は理解できる」とまでいわ
効果的闘いの実現を背景に、団体交渉でも当局を
もかかわらず、全組合員が完璧に指令を消化した
との視点にたった安全確認行動という初の試みに
“八〇年代後半に通用する労働運動を創りだす”
葉が切るんだという固い決意に燃えた決起である。
進む中曽根内閣を打倒する闘いの先陣を、動労千
た。それは「·ろ」そのものへの怒りであると
重ねて意志一致を行い、満を持して闘いに突入し
動労千葉は職場集会、個別ォルクを何度も積み
決起したのだ。
の組合員の苦闘などわかるわけがないのだ。
で弾圧してまわる動労「本部」革マルに動労千葉
「闘うべきではない」と、労働者の決起を必死
決意し、大変な重圧をはねのけて安全確認行動に
りさえ強行する情勢の中で、一人一人の組合員が
敵の見境のない攻撃は、「順法闘争」で首切
決意があって初めて実現できた闘いなのである。
当局の攻撃に反撃していくんだ、という組合員の
に実力決起することにより、否定的状況を突破し
そして何よりも、動労千葉が独自でも「60·3」
闘う意気に燃えて決起
一人一人の組合員が重圧をはねのけ
とができるのだ。
き、ストライキに匹敵する効果を発揮したのである。
あってはならない闘い」として敵の急所を鋭く突
このことは第一波闘争に対する当局のあわてふ
全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ!
実現し、「過員」攻撃を打ち破る組織づくりを強化していこうではないか。
貫徹した自信に満ち満ちている。この力をもって、3 ·24三里塚への三たびの五割動員を
部」派の組合員との対局で、わが動労千葉の組合員は路線の正しさに確信を深め、闘いを
り「三本柱」の推進を強制され、組織への恨みつらみ、疑心暗鬼で凝り固まった動労「本
動労千葉は「0·ろ」粉砕の闘いに、唯一実力で決起した。「60·3」に協力し、首切
日3 動物千葉
にめにまいスまでなり
g
5
85.3.14
No.1888
(鉄電)二九三五~六·(公衆)〇四七二(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合