国鉄「分割 ·民営化」反対!三里塚二期工事阻止!
これが全国モデル高崎支社の実態!
1988年(昭和63年)10月31日
月曜日
後退させるなどだ。JRはいな
てあわてて列車を猛スピードで
めのタブレット(通票)を忘れ
の研究や現場での運転マニュアーでは輪とレールが絶縁され、列一の場所に信号があると思い込
は、十一月から過去のボ收非例|議で運輸指令窓が調べると、砂|特急「ロ津2号」の運転士が別
たり、単線区間で事故防止のた 二、三十ぶ手前で急停止したと
込んだ特急が追突しそうになっ
った列車に、信号の異常で突っ
た。電源トラブルで動かなくな
文社の内部資料で明らかになっ
起きていることがこのほど、同
惨事になりかねないミスが数件
てからだけでも、一歩間違えば
高崎文社管内では、今年に入っ
が、同線を管轄するJR東日本
は約三十七時間不通になった
士の脱線衝突事故があり、同線
島問で十九日未明、貨物列車間
なってるんだ」との運転士の抗
いう
R東北線上野駅構内で、上り新
な巡反」と驚いた。
「信号が青になったのにどう
ろ、後ろから下り特急「あさ
さらに、七月三日夕には、丁
は、「考えられないような重大
ま」が急接近し、普通列車の「何も知らされなかった指令室
て連絡するように定めてあり、
レールに砂をまいていたとこ
運輸指令室に連絡、応援を得て
転して動かなくなった。同支社
あり、緩い上り区間で車輪が空
た地点で電源のトラブルなどが
普通列車が西松井田駅を出発し
するためのタブレットを受け取
車を進入させない閉そく状態に
運転士が単線の二駅間に他の列
JR信越線高崎発横川行き下り
線児玉駅では、下り貨物列車の
故は、今年二月五日にあった。
また二月二十二日、JR八高
特急が追突しそうになった事
めることにした。
群馬県のJR上越線渋川–败|ルの徹底など緊急安全対策を進|車がいないのと同じ状態とな」み、本来見なければならない赤
京月
日
た。規則では、その場で停止し
突然、猛スピードで後退させ
るのを忘れ、次の丹荘駅近くで·
かった。
り、信号が青になったことが分 信号を見落とした。そのうえ、
たという。
が要因」としている。
となる定時運行偏重の経営姿勢!
り、数十秒の遅れでも処分対象
な訓練が行われていなかった
民営化後の配置転換などで十分
危険のあったこれらの事故は、
国労高崎地本は「衝突事故の
線路に入りかねないところだっ
た。出発寸前の下り列車がいる
ントに気付いてようやく停止し
上も進入してから、手前のポイ
も無視、停止位置より三百ば以
ATS警報や信号扱い所の無線
事故前
上越線
ヒヤッ今年ミス数件
特急あわや追突·赤信号見落とし…
JR高崎支社で続出
こと。
入れたことがなかった。
たが、その指導員も三年間東北線に乗り
を強制させられる。一応、指導員をつけ
3国労などを本務からはずし、穴埋めの
したとたんに倒れ、救急車で運ばれる。
交替を要求したが無視され、上野に到着
2乗務中に気分が悪るくなった運転士が
二、各支部は、闘争体制を確立するために 1月5日職場集会を開催する」
入の準備体制を確立すること。
一、各支部は、
指令第3号を貫徹しよう!
深夜まで列車が途中で止まり、千葉–蘇
二月5日0時以降、全組合員を対象とするストライキ突
動労連帯高崎の告発によれば、
が「朝日新聞」で暴露された。
一度も運転したことのない東北線の乗務
ームライナーの運転士がいなかったため、
1六月下旬、大宮駅で交替するはずのホ
事故につながるミスが続出していたこと
高崎支社内で、今年に入ってから重大な
生した貨物列車脱線·転覆事故が起きた
十月十九日、上越線渋川––敷島間で発
十二日に台風·地震で列車が乱れに乱れ、
千葉支社内でも全く同じだ。八月十一、
肉は無くして安全なし
まで組織破壊攻撃を粉砕せよ!
発生。
などが起きているのだ。
電停止もせず運転士に修理させる。
ら雨の日に、故障したバンタグラフを起
て衝突寸前という事態が連続発生。
4新前橋電車区では、入換信号を冒進し
信号誤認。あわや正面衝突という事故が
れない。全支部でスト体制を!
この合理化計画をわれわれは黙っていら
「全国モデル線区」と銘打った京葉線、
時運行」が明らかになった。
に出来ない千葉支社のおそまつな「異常
番車両が走るなど、列車整理すらまとも
列車番号がメチャクチャになり、同じ列
本も詰まり、信号の異線現示が続発し、
我間のわずか三·八キロの間に列車が五
:
ために短期養成された乗務員が、上野で
も同罪のストライキ体制を確立んよっ
上越線貨物事故を許すな!千葉支社
日
TOIT
動
労
1988.11.2
No2918
(鉄電)二九三五~六·(公衆)〇四七二(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合
これが全国モデル高崎支社の実態!
1988年(昭和63年)10月31日
月曜日
後退させるなどだ。JRはいな
てあわてて列車を猛スピードで
めのタブレット(通票)を忘れ
の研究や現場での運転マニュアーでは輪とレールが絶縁され、列一の場所に信号があると思い込
は、十一月から過去のボ收非例|議で運輸指令窓が調べると、砂|特急「ロ津2号」の運転士が別
たり、単線区間で事故防止のた 二、三十ぶ手前で急停止したと
込んだ特急が追突しそうになっ
った列車に、信号の異常で突っ
た。電源トラブルで動かなくな
文社の内部資料で明らかになっ
起きていることがこのほど、同
惨事になりかねないミスが数件
てからだけでも、一歩間違えば
高崎文社管内では、今年に入っ
が、同線を管轄するJR東日本
は約三十七時間不通になった
士の脱線衝突事故があり、同線
島問で十九日未明、貨物列車間
なってるんだ」との運転士の抗
いう
R東北線上野駅構内で、上り新
な巡反」と驚いた。
「信号が青になったのにどう
ろ、後ろから下り特急「あさ
さらに、七月三日夕には、丁
は、「考えられないような重大
ま」が急接近し、普通列車の「何も知らされなかった指令室
て連絡するように定めてあり、
レールに砂をまいていたとこ
運輸指令室に連絡、応援を得て
転して動かなくなった。同支社
あり、緩い上り区間で車輪が空
た地点で電源のトラブルなどが
普通列車が西松井田駅を出発し
するためのタブレットを受け取
車を進入させない閉そく状態に
運転士が単線の二駅間に他の列
JR信越線高崎発横川行き下り
線児玉駅では、下り貨物列車の
故は、今年二月五日にあった。
また二月二十二日、JR八高
特急が追突しそうになった事
めることにした。
群馬県のJR上越線渋川–败|ルの徹底など緊急安全対策を進|車がいないのと同じ状態とな」み、本来見なければならない赤
京月
日
た。規則では、その場で停止し
突然、猛スピードで後退させ
るのを忘れ、次の丹荘駅近くで·
かった。
り、信号が青になったことが分 信号を見落とした。そのうえ、
たという。
が要因」としている。
となる定時運行偏重の経営姿勢!
り、数十秒の遅れでも処分対象
な訓練が行われていなかった
民営化後の配置転換などで十分
危険のあったこれらの事故は、
国労高崎地本は「衝突事故の
線路に入りかねないところだっ
た。出発寸前の下り列車がいる
ントに気付いてようやく停止し
上も進入してから、手前のポイ
も無視、停止位置より三百ば以
ATS警報や信号扱い所の無線
事故前
上越線
ヒヤッ今年ミス数件
特急あわや追突·赤信号見落とし…
JR高崎支社で続出
こと。
入れたことがなかった。
たが、その指導員も三年間東北線に乗り
を強制させられる。一応、指導員をつけ
3国労などを本務からはずし、穴埋めの
したとたんに倒れ、救急車で運ばれる。
交替を要求したが無視され、上野に到着
2乗務中に気分が悪るくなった運転士が
二、各支部は、闘争体制を確立するために 1月5日職場集会を開催する」
入の準備体制を確立すること。
一、各支部は、
指令第3号を貫徹しよう!
深夜まで列車が途中で止まり、千葉–蘇
二月5日0時以降、全組合員を対象とするストライキ突
動労連帯高崎の告発によれば、
が「朝日新聞」で暴露された。
一度も運転したことのない東北線の乗務
ームライナーの運転士がいなかったため、
1六月下旬、大宮駅で交替するはずのホ
事故につながるミスが続出していたこと
高崎支社内で、今年に入ってから重大な
生した貨物列車脱線·転覆事故が起きた
十月十九日、上越線渋川––敷島間で発
十二日に台風·地震で列車が乱れに乱れ、
千葉支社内でも全く同じだ。八月十一、
肉は無くして安全なし
まで組織破壊攻撃を粉砕せよ!
発生。
などが起きているのだ。
電停止もせず運転士に修理させる。
ら雨の日に、故障したバンタグラフを起
て衝突寸前という事態が連続発生。
4新前橋電車区では、入換信号を冒進し
信号誤認。あわや正面衝突という事故が
れない。全支部でスト体制を!
この合理化計画をわれわれは黙っていら
「全国モデル線区」と銘打った京葉線、
時運行」が明らかになった。
に出来ない千葉支社のおそまつな「異常
番車両が走るなど、列車整理すらまとも
列車番号がメチャクチャになり、同じ列
本も詰まり、信号の異線現示が続発し、
我間のわずか三·八キロの間に列車が五
:
ために短期養成された乗務員が、上野で
も同罪のストライキ体制を確立んよっ
上越線貨物事故を許すな!千葉支社
日
TOIT
動
労
1988.11.2
No2918
(鉄電)二九三五~六·(公衆)〇四七二(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合