国鉄「分割 ·民営化」反対/ 三里塚二期工事阻止 !
(3)
総合
13版
問えて行った、
日までの三十八日間、第十二師 などで北極渡入りする。
網路までの離行程は約千五百 とりたてて大騒ぎすることでは 速い、なにより、輸送手段の辺 を確認する。その一方で、JR だが「今様も図情があれば、
いさい構わず発車、海明の中に 4年は十七日から九月二十三 座の輪遊躍、航空自衛隊輸送機 時貨物列車で選ばれてきた。私 用して列車轉送はしてきたし、 『トンネルは比較的安全だし、 っていない」と、「通常業務」 ない。
コブシを突き上げる。列組は、 殿と大規模になった。
やめろノ」などと叫びながら、 スタートした六十一年から、一 が、列車を利用、残りの部隊、 馬県故川市のJR上越みを目駅
け「意図トンネルの並び利用を ち出した中期防衛力藝術計画が 約六十間と隊員約四百五十人 ど車両二十二両で、十八日にゅ
黒の革新団体約五十人が待ち型、根内閣が「北方社視」を強く打 る、このうち、戦庫や恋、車両 師団は車大税の別式戦取四間な 限度にした、という。
の間約十分,岡駅には、社会化 を想定しての訓練である、中華 車などの車両約一千両が参加ず は、列車利用の第一弾、第十二 弾などは技術せず、燃料も境小、広報室。だが、背昭トンネル開 されないというのはおかしい、 田和正·JR北ミツイ
..
雑に入り、摂関車を換えた。こ 北海道が役政を受ける「有望」“組など死二十二門、隊員輸送 この日トンネルをくぐったの、輸送中の安全を考えて、私 ない」と、防衛庁陸上部研究部 長の物送手段。自衛隊だから許 る。大事なお客切ですし
三民四十分、函館市の五城邦 置かれている。
●抗議の声よそに、
のでからキャタピラがのやく。 よりもひしろ、
動秘めに軍点が
北海道への機関
●旧軍以来の宿願
が自衛隊だった。海上輸送では ゆ』
スピードが遅いし、飛行場や潜 JR北海道は「一般の貨物と し「貨物」であり、服装
緊と首を長くして待っていたの 必要があれば利用拡大もあり4 部長。商売優先のゴロ
陸自“軍用列車 北へ JR「大事なお客様です」
て、戦車は野菜、雑貨な
立ン
1988年(昭和63年)8月22日
月曜日 朝
ストライキ体制の
装備は民間フェリーや海上自場 で弾み込み、二十三両編成の説
配球まですっぱり渡ったシート 練をするのだが、現地での颗績 人、即る戦車二十間間、一五五
ともに「單用列車」が現れた。 を先日の演習場に強め、财税額 の各部隊から隊員約四千六回
1 青函トンネル出に、ごろせと けられている。本がり膚の私は、市)、第四海校師(宇都宮市)
まれた北越遠渡島支庁知内町の「習は、昭和五十二年から低年神––(くってい)団(千葉県習志野
午前二時十三分、海い剤に包 陸上自衛隊の北方战购特別ぶ 団(群馬県橋町村)、第一空記
残さない。
(北海道支社報道郵·青函トンネル取材址)
るのが不思議」という、が、実感には神経をとがらせ続け「無どねき』に安じの色を
ルを通過、網絡市·浜制路駅に向かった、自衛隊もJRも、表面的には「大騒ぎされ
ぐった「軍用列が」である。革新団体の抗議の声をよそに、列車はあっさりとトンネ
(やうすべつ)徳島に向かう都練技術だ。三月に開発した青函トンネルを初めてく
くり、北海道に入った。陸上自衛隊の「北方機動特別浜岡」で北海道真端の矢官員
数量や報申輸送重などを満載した臨時貨物列車が二十一日未明、青刷トンネルをく
·
青函トンネル、戦車が通った
先頭に起つ
「これまでも貴的連絡船を利 水煙の攻撃に対してひき出し、 同じ夜いい、 特別な対応策はと 旅行客の団体専用列車とみす
青函トンネルの
軍事使用弾劾
長、「だが、實国トンネルは聞 る。今回の楽
い」と、 松島悠佐·隙再防衛部 定幫客」朵
躍的に増えることは、当面な 成功させると
ー「これを機に、列車輸送が飛
·焼酎された。それから华世紀.の四倍の十六人
増税の一つが実現した。
+R側にきた
た。
せて貴函トンネルの地質調査も トアウト、五種犯駅には
気が鹽量部内で練られた時、併 の取材申し込みも、ーニンャッ入い切すが以前の規きだった
ベルリンを結ぶ大國視断鉄道株 どはもとより、地震記者クラブ きくなったからこそ、 できたて
ネルを絶つ、弾丸列車で盛京– 持てない」と、東京の雑誌社な て、商売を優先させる組合が大
の一人を打ち明ける。
トンネル利用だった」と、評論 トンネル内の防災施設「窓点」 った、国労をはじめ労組の “ぼ
っ先に相談したことの一つが、 業時には、多くのマスコミ障を れまで文庫·阪な運動の中钙た
択が柔軟になる、新年すれに覚
–
町のJR七萬浜駅付近で
時35分、北海道産島支庁上班 とからせてきた。
た
ぐべたいをしたの
昭和十四年、朝鮮海峡にトン たが、今回は「警備ずに自信が 部の異情治委員長は「闘いを持
に入れ、積極的に取材させた。 身”があったよちだ、国労基本
三月十三の貴ずトンネル開 さらにスムーズにしたのは、こ
らみ合った實やトンネル利用を
●取材一切お断り
じょんのソロバン勘定などがか
び込まれた地直=21日午前り 動きを収穫、保安対策に神経を、ため意義」ものをく、
しきる雨の中、北海道内に道 をとり合いながら、反対団体の.の端に、旧国鉄以来の「お国の
新回トンネルを通って、降り 貨物、了只要日本と網密に連絡 使ってもらいます」という言葉
政府の防御力増強路線、民営
軍が「昭和十四年」にしたもの。日帝·
もともと青函トンネルの構想は、旧陸
とが最大の目的であったのだ。
青函トンネルは、この軍用列車を通すこ
化で労働者に責任転嫁し、三月開通した
総工費三兆円弱、そのつけを分割·民営
の軍事演習に使用する部隊装備である。
で北海道東端の矢臼別(やらすべつ) で
った。陸上自衛隊の「北方機動特別演習」
出発、青函トンネルを通過し北海道に入
満載した臨時貨物列車が上越線渋川駅を
八月二一日、戦車や装甲輸送車などを
ぬこう!
いるからに他ならない。
松崎·鉄道労連を許さず、断固たたかい
「大東亜共栄圏は必要」と叫ぶ革マル
労革マル·鉄道労連が積極的に加担して
が組織できないのは、こうしたことに動
かかわらず、当の国鉄労働者のたたかい
元の労働者合が反対集会を開いた。にも
しくなるなかで、この重大な出来事に地
竹下政権の下での軍事大国化攻撃が激
自衛隊の「悲願」だったのだ。
革マル松崎の青極加担で重用列車強行
9·11国鉄労働者集会に
総決起しよう!
東京南部労政会
館 13時~
8/
青年部
919 活動者集会
に連絡して、カーテン·アゴヒモチェックの狙い
でいる奴がいる。絶対に許せない」「交番を支社
·アゴヒモチェックをしながら、マンガ本を読ん
た。 『東日本』の仲間とともに闘う」「カーテン
れた。「昇格·ボーナスカットが貨物支部にもき
続いて、各支部より現状報告と決意表明がなさ
年部闘争方針について、参加者全員で確認した。
3九·一八ー一九青年部定期委員会を軸とする青
当面の攻防としての今秋ストライキ闘争について
1「八八ー九〇年決戦」という認識について 2
最初に、基調提起を杉本青年部長が行なった。
集のもと、『全支部活動者集会』が開催された。
八月十九日、動力車会館において、三〇名の結
まとめた。
全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ!
青年部の決意を全体のものとしょうではないか。
今秋ストライキ体制の先頭で闘おうとしている
突入を意志統一する集会をしめくくった。
最後に団結ガンバローを三唱し、九月闘争への
貫き、動労千葉破壊の攻撃を粉砕していこう」と
決していくという姿勢で奮闘してほしい。団結を
部があらゆる問題に責任をもってひとつひとつ解
は、「青年部が動労千葉を動かしているし、青年
また、本部からの問題提起として、田中組織部長
撃に屈していない」等々が述べられた。
合員の事故をかくそうとしている」「乗務停止攻
うちをやっている。ところが、他方で鉄道労連組
日
知動芳千葉
1988.8.25
No2879
(鉄電)二九三五~六·(公衆)〇四七二(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合
(3)
総合
13版
問えて行った、
日までの三十八日間、第十二師 などで北極渡入りする。
網路までの離行程は約千五百 とりたてて大騒ぎすることでは 速い、なにより、輸送手段の辺 を確認する。その一方で、JR だが「今様も図情があれば、
いさい構わず発車、海明の中に 4年は十七日から九月二十三 座の輪遊躍、航空自衛隊輸送機 時貨物列車で選ばれてきた。私 用して列車轉送はしてきたし、 『トンネルは比較的安全だし、 っていない」と、「通常業務」 ない。
コブシを突き上げる。列組は、 殿と大規模になった。
やめろノ」などと叫びながら、 スタートした六十一年から、一 が、列車を利用、残りの部隊、 馬県故川市のJR上越みを目駅
け「意図トンネルの並び利用を ち出した中期防衛力藝術計画が 約六十間と隊員約四百五十人 ど車両二十二両で、十八日にゅ
黒の革新団体約五十人が待ち型、根内閣が「北方社視」を強く打 る、このうち、戦庫や恋、車両 師団は車大税の別式戦取四間な 限度にした、という。
の間約十分,岡駅には、社会化 を想定しての訓練である、中華 車などの車両約一千両が参加ず は、列車利用の第一弾、第十二 弾などは技術せず、燃料も境小、広報室。だが、背昭トンネル開 されないというのはおかしい、 田和正·JR北ミツイ
..
雑に入り、摂関車を換えた。こ 北海道が役政を受ける「有望」“組など死二十二門、隊員輸送 この日トンネルをくぐったの、輸送中の安全を考えて、私 ない」と、防衛庁陸上部研究部 長の物送手段。自衛隊だから許 る。大事なお客切ですし
三民四十分、函館市の五城邦 置かれている。
●抗議の声よそに、
のでからキャタピラがのやく。 よりもひしろ、
動秘めに軍点が
北海道への機関
●旧軍以来の宿願
が自衛隊だった。海上輸送では ゆ』
スピードが遅いし、飛行場や潜 JR北海道は「一般の貨物と し「貨物」であり、服装
緊と首を長くして待っていたの 必要があれば利用拡大もあり4 部長。商売優先のゴロ
陸自“軍用列車 北へ JR「大事なお客様です」
て、戦車は野菜、雑貨な
立ン
1988年(昭和63年)8月22日
月曜日 朝
ストライキ体制の
装備は民間フェリーや海上自場 で弾み込み、二十三両編成の説
配球まですっぱり渡ったシート 練をするのだが、現地での颗績 人、即る戦車二十間間、一五五
ともに「單用列車」が現れた。 を先日の演習場に強め、财税額 の各部隊から隊員約四千六回
1 青函トンネル出に、ごろせと けられている。本がり膚の私は、市)、第四海校師(宇都宮市)
まれた北越遠渡島支庁知内町の「習は、昭和五十二年から低年神––(くってい)団(千葉県習志野
午前二時十三分、海い剤に包 陸上自衛隊の北方战购特別ぶ 団(群馬県橋町村)、第一空記
残さない。
(北海道支社報道郵·青函トンネル取材址)
るのが不思議」という、が、実感には神経をとがらせ続け「無どねき』に安じの色を
ルを通過、網絡市·浜制路駅に向かった、自衛隊もJRも、表面的には「大騒ぎされ
ぐった「軍用列が」である。革新団体の抗議の声をよそに、列車はあっさりとトンネ
(やうすべつ)徳島に向かう都練技術だ。三月に開発した青函トンネルを初めてく
くり、北海道に入った。陸上自衛隊の「北方機動特別浜岡」で北海道真端の矢官員
数量や報申輸送重などを満載した臨時貨物列車が二十一日未明、青刷トンネルをく
·
青函トンネル、戦車が通った
先頭に起つ
「これまでも貴的連絡船を利 水煙の攻撃に対してひき出し、 同じ夜いい、 特別な対応策はと 旅行客の団体専用列車とみす
青函トンネルの
軍事使用弾劾
長、「だが、實国トンネルは聞 る。今回の楽
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躍的に増えることは、当面な 成功させると
ー「これを機に、列車輸送が飛
·焼酎された。それから华世紀.の四倍の十六人
増税の一つが実現した。
+R側にきた
た。
せて貴函トンネルの地質調査も トアウト、五種犯駅には
気が鹽量部内で練られた時、併 の取材申し込みも、ーニンャッ入い切すが以前の規きだった
ベルリンを結ぶ大國視断鉄道株 どはもとより、地震記者クラブ きくなったからこそ、 できたて
ネルを絶つ、弾丸列車で盛京– 持てない」と、東京の雑誌社な て、商売を優先させる組合が大
の一人を打ち明ける。
トンネル利用だった」と、評論 トンネル内の防災施設「窓点」 った、国労をはじめ労組の “ぼ
っ先に相談したことの一つが、 業時には、多くのマスコミ障を れまで文庫·阪な運動の中钙た
択が柔軟になる、新年すれに覚
–
町のJR七萬浜駅付近で
時35分、北海道産島支庁上班 とからせてきた。
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ぐべたいをしたの
昭和十四年、朝鮮海峡にトン たが、今回は「警備ずに自信が 部の異情治委員長は「闘いを持
に入れ、積極的に取材させた。 身”があったよちだ、国労基本
三月十三の貴ずトンネル開 さらにスムーズにしたのは、こ
らみ合った實やトンネル利用を
●取材一切お断り
じょんのソロバン勘定などがか
び込まれた地直=21日午前り 動きを収穫、保安対策に神経を、ため意義」ものをく、
しきる雨の中、北海道内に道 をとり合いながら、反対団体の.の端に、旧国鉄以来の「お国の
新回トンネルを通って、降り 貨物、了只要日本と網密に連絡 使ってもらいます」という言葉
政府の防御力増強路線、民営
軍が「昭和十四年」にしたもの。日帝·
もともと青函トンネルの構想は、旧陸
とが最大の目的であったのだ。
青函トンネルは、この軍用列車を通すこ
化で労働者に責任転嫁し、三月開通した
総工費三兆円弱、そのつけを分割·民営
の軍事演習に使用する部隊装備である。
で北海道東端の矢臼別(やらすべつ) で
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出発、青函トンネルを通過し北海道に入
満載した臨時貨物列車が上越線渋川駅を
八月二一日、戦車や装甲輸送車などを
ぬこう!
いるからに他ならない。
松崎·鉄道労連を許さず、断固たたかい
「大東亜共栄圏は必要」と叫ぶ革マル
労革マル·鉄道労連が積極的に加担して
が組織できないのは、こうしたことに動
かかわらず、当の国鉄労働者のたたかい
元の労働者合が反対集会を開いた。にも
しくなるなかで、この重大な出来事に地
竹下政権の下での軍事大国化攻撃が激
自衛隊の「悲願」だったのだ。
革マル松崎の青極加担で重用列車強行
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総決起しよう!
東京南部労政会
館 13時~
8/
青年部
919 活動者集会
に連絡して、カーテン·アゴヒモチェックの狙い
でいる奴がいる。絶対に許せない」「交番を支社
·アゴヒモチェックをしながら、マンガ本を読ん
た。 『東日本』の仲間とともに闘う」「カーテン
れた。「昇格·ボーナスカットが貨物支部にもき
続いて、各支部より現状報告と決意表明がなさ
年部闘争方針について、参加者全員で確認した。
3九·一八ー一九青年部定期委員会を軸とする青
当面の攻防としての今秋ストライキ闘争について
1「八八ー九〇年決戦」という認識について 2
最初に、基調提起を杉本青年部長が行なった。
集のもと、『全支部活動者集会』が開催された。
八月十九日、動力車会館において、三〇名の結
まとめた。
全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ!
青年部の決意を全体のものとしょうではないか。
今秋ストライキ体制の先頭で闘おうとしている
突入を意志統一する集会をしめくくった。
最後に団結ガンバローを三唱し、九月闘争への
貫き、動労千葉破壊の攻撃を粉砕していこう」と
決していくという姿勢で奮闘してほしい。団結を
部があらゆる問題に責任をもってひとつひとつ解
は、「青年部が動労千葉を動かしているし、青年
また、本部からの問題提起として、田中組織部長
撃に屈していない」等々が述べられた。
合員の事故をかくそうとしている」「乗務停止攻
うちをやっている。ところが、他方で鉄道労連組
日
知動芳千葉
1988.8.25
No2879
(鉄電)二九三五~六·(公衆)〇四七二(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合