西武池袋本店で8月31日、そごう西武労働組合のストライキが決行された。百貨店「そごう・西武」を運営する持株会社(セブン&アイHD)による米投資ファンドへの売却方針をめぐり、労働組合が事業継続や雇用を守ることを求めて実施されたものだ。
始業から終日のストに対し会社は前日に全館休業を決めた。ストに入った組合員約900人のうち300人がチラシ配布などの宣伝活動を行い、午前11時からデモ行進も行われた。高島屋や三越伊勢丹など他の百貨店労組も支援行動やデモに参加した。デモ中にセブン&アイが売却を決議との報道が流れた。
今回のストは社会的注目が大きかった。テレビや新聞が朝から晩まで報道し、各社が社説やコラムも。ニュース番組やワイドショーに憲法学者が呼ばれ「ストライキは労働者の権利」「憲法28条に規定された労働基本権」と丁寧に解説した。「違法ではないのか」との意見に対して、スト権投票などスト実施の手続きや合法性についても詳しく解説された。
再編問題に端を発し古田会長が率いる選手会が実施した04年のプロ野球スト以来の社会現象となった。30歳代以下の世代には初めての〝ストライキの経験〟だったのではないか。
当初の売却計画は今年2月だったが労働組合や地元自治体の反対で度々延期された。セブン&アイは実質的に経営や雇用を支配しながら「自分たちは持株会社で直接の雇用関係がない」と団体交渉に出席せず、まともな説明も行わなかった。
そごう西武労組によると、7月下旬にスト権を確立し、ようやく事業計画などの説明を受けた。ストの結果、売却先の米投資会社も当面の雇用確保を明言せざるを得なくなった。
そごう・西武の企業価値は2200億円とされ、約3千億円の負債などを勘案し、実際の売却額は8500万円。投資会社は池袋本店の土地などをヨドバシに売却する。「モノ言う株主」とうそぶく投資ファンドは、総合スーパーを運営するイトーヨーカドーも切り離し、高収益を上げるコンビニ事業への特化を要求している。
●三越ストが流行語に
実に61年ぶりとなった百貨店ストライキだが、最初の百貨店ストは1951年で三越労組による。賃上げ闘争で6人が解雇され労使が対立。会社はスト破りを雇って歳末セールを強行しようとしたが、組合がピケで従業員も客も入店させなかった。当時、「三越にはストもございます」が流行語となった。
百貨店での組合組織化は他の産業と比べると遅かった。長い歴史を持つ百貨店ほど古い慣習に縛られ、当時は衣料品をはじめ生活必需品の大半が統制による配給制で、百貨店での商売は見通しが立たない状況だった。
それでも1946年3月に老舗百貨店の松屋で組合が結成され、白木屋(東急)や松坂屋、三越や大丸で労組結成が続いた。私鉄系の百貨店でも労働組合が作られていった。49年に全日本百貨店労働組合連合会(全百連)が47組合、約2万人で結成された。全百連の最初の大争議が51年の三越ストだった。
その後、朝鮮特需以降の経済成長で百貨店も売上高・従業員数は急速に拡大していった。
三越争議以来、経営側も巻き返しを図り、組合の抱き込みや第二組合の結成など分断工作を進めた。大手労組と中小労組の対立などもあり全百連は解散に追い込まれた(62年)。
同盟・国際自由労連の働き掛けもあり7年後、商業労連が結成された。他方、百貨店とは別にスーパーや量販店チェーンが急成長し、これを組織化したのが全繊同盟で、ジャスコや長崎屋、イトーヨーカドーなどで労働組合を結成していった。
百貨店やスーパーなど流通サービス産業で働く労働者は他産業と比較して低賃金や長時間労働が目立つ。1980年代以降、大店法の規制緩和で大型店の営業拡大が進み、95年にダイエーが午後9時営業を打ち出して夜間営業が拡大した。やがて24時間営業や元旦営業など過酷な働き方が広がった。
01年に商業労連12万人とチェーンストア労働組合協議会3万人などが組織統合し「日本サービス・流通、労働組合連合」が結成され、さらに12年にUIゼンセンと統合した(現在のUAゼンセン)。
*大手百貨店のストは61年ぶりとみられる。それほど珍しい百貨店のストだが、果たして61年前のストとは一体どのようなものだったのか。 そのストは、1962(昭和37)年5月12日に大阪・梅田の阪神百貨店(現・阪急阪神百貨店)であった。阪急阪神百貨店労働組合本部によると、ベースアップを求めるために実施され、組合員全員がストに参加したとする記録が残っているという。同日午後3時前には執行部内部で議論がまとまったとの記録はあるが、ストの終了時刻は不明という。【毎日新聞8・31】
●残された手段
西武労組については、かつての経営者だった堤清二の影響も無視できない。清二は、父親の堤康次郎(不動産事業を起点とする西武グループの創始者、政治家で衆院議長も経験、福島第一原発も西武所有の土地に建てられた)との確執もあり、東京大学入学後に日本共産党に入党し、1950年の所感派と国際派の分裂の中で国際派の東大細胞に属し、党中央から除名された経歴を持つ。
康次郎の死後は、異母弟の堤義明が鉄道事業を継承し、清二が流通部門を引き継いだ。セゾングループは、渋谷カルチャーの代名詞的存在であるパルコや西武百貨店の渋谷進出などを通して80年代に売上日本一に成長した。その堤清二が西武百貨店に入社して取締役店長となった時に進めたのが大卒者採用と労働組合結成の奨励だったと言われている。西武鉄道など社内で労働組合を作らせなかった康次郎とは対照的だった。
2000年に経営破綻したそごうを救済するが、今度は西武百貨店側の不良債権問題が浮上。05年に電撃的にセブン&アイが買収し、大手流通グループの再編として話題を集めた。
しかし、セブン&アイも百貨店事業の不振で投資ファンドから売却を迫られる。セブン&アイは8月1日、そごう西武の林社長を解任し、セブン側から3人の取締役を送り込み、役員の過半数を握った。こういう状況で残された手段はストしかなかった。その意味では労使のアベック闘争としてスト決行となった面は確かにある。
●予想を超える展開に
そごう西武労組はUAゼンセンの傘下。「ストは口先だけ。やるやる詐欺だ」との冷めた見方もあった。しかし、様々な要因や思惑があったとはいえ、結果的にストは実行に移された。このことの持つ意味は大きい。
ストライキは予想を超えて進んでいった。「実際に起きるとは」「ストを初めて見た」。近年の日本社会において誰もが知っている大企業で労働者がストライキを実施し、職場を封鎖し、集団的に行動した意義は決して小さくない。「こういう闘いを待っていた」という気分は確かに存在している。
労組側の「迷惑をかけてすみません」は気になったが、迷惑論を超えて支持が拡大した。「ストは憲法で保障された労働者の権利である。迷惑をかけるなどと思わず、不当な扱いを受けたら交渉手段として堂々と行使すれば良いのだ。私たちには、ストもございます」(天声人語)は世間の空気の変化を示す。
人びとは今回が単発、一過性で終わらないと予感している。「欧米ではストが頻発している……低賃金のエッセンシャルワーカーでも〝売り手優位〟が強まっている。米財務省は8月、労組の存在が賃金を10~15%押し上げるとの見通しを示した」(日経新聞)
連合の芳野会長は「憲法で認められた権利だ。戦術は各労組の判断で連合はそれを見届けていく」とのコメントしかできなかった。他の百貨店労組も支援に駆けつけたが「明日は我が身」が合言葉だった。スト当日は、様々な組合活動家や経験者が応援や見物に行った。地方から駆けつけた人もいる。
労働組合が社会や経済を動かす存在(プレイヤー)として労働者のみならず資本の側からも認知され始めている。これを労働組合の再生、復権の始まりにしなければならない。
●闘う以外に道がない
もはや日本資本主義は労働者を食わせられなくなった。ローカル線や病院、学校など社会インフラを切り捨て、家電メーカーなど歴史ある大企業が倒産・身売りに陥り、労働者を解雇する。それ以外に日本資本主義が生き残る道がない。他方、労働者の側も闘う以外に道は残されていない。その象徴が今回のストではないのか。
日本では30数年、ストがまともに闘われていない。昨年(22年)1年間のスト件数は66件。この状況を打破しなければならない。労働組合の存在感を取り戻さなければならない。これが一つの社会の課題として人びとの意識に上っている。
他方で、ストを抑制してきた連合自身が存続の危機にある。同様の争議がどの産業で起きてもおかしくない。闘われなければ全員解雇の時代、労働者が団結して闘う以外に新自由主義に立ち向かう力はない。
売却決議後の報道では「百貨店は斜陽産業」「時代の流れ」の論調にもなった。そんなことは労働者には関係ない。労働者・労働組合ごと企業も切り捨てるような攻撃に立ち向かわなければならない。
非正規問題も焦点になった。ストに入った組合員は900人。テナントも含めた全館の労働者は約1万人。多くは非正規労働者だ。ロックアウトで賃金が出ないシフトカットとなった労働者も多い。現場では、管理職や正社員である組合員から翌日の全館休業を告げられ、生鮮食品の売り切りなどの強労働が強いられ、翌日はシフトカットに。「非正規労働者を巻き込んだ1万人のストが必要」の声もあったが実現は容易ではない。
だが〈労働者は闘いに立ち上がる〉の感覚を現場でつかむことは重要だ。今回のストで情勢の主体化が起きた可能性はある。「自分でもストを」「労働組合を作ってみよう」の「機運が若い人の中に確実に広がった。
「国鉄闘争全国運動会報」160号9月16日