清水匠さん 追悼の言葉
千葉機関区支部 支部長 斎藤 隆男
2月26日夜、清水匠さんの訃報を聞き、あまりにも突然だったので、しばらくの間信じられませんでした。
その日は、動労千葉定期委員会があり、清水さんは体調不良で欠席されました。風邪でも引いたのかなと思っていたのですが、とても残念でなりません。清水さん、あなたは亡くなるにはあまりにも若すぎます。
私が新小岩機関区に入社した1978年、清水さんは支部青年部書記長として活躍されており、まだ労働運動を知らず組合活動や動員などに非協力だった私に粘り強くオルグをしてくれ、労働者としての生き方やものの考え方を教えていただきました。
その後、清水さんは支部青年部長になられ、国鉄「分割・民営化」反対の闘いや、津田沼寮での支部青年部学習会等で指導していただいたことが昨日のことのように思い出されます。
私が去年、千葉機関区に転勤して、再び同じ職場となり、仕事のこと、組合活動のことなどを相談すると、屈託のない笑顔で、親切・丁寧に教えていただきました。清水さんの笑顔が忘れられません。
清水さんは、優しさの中に困難な時でもスジを曲げずに強い信念を持ち、責任感の強さから多くの組合員より慕われていました。
千葉機関区支部にとって、清水さんを失ったことは大変な試練ですが、この悲しみを乗り越え、さらなる飛躍と団結を打ち固め、清水さんの遺志を引き継ぎ、闘いに邁進する決意であります。
最後に、清水匠さんに哀悼の意を表し、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
職場を守り、
清水さんとスクラムを組み続ける
貨物協議会議長 佐藤 正和
清水さんは、自分が一九七九年に国鉄に就職し新小岩機関区に配属となって以来、労働組合運動についての薫陶を受けてきた大先輩です。
一九七九年は、動労千葉が動労「本部」から分離・独立した年です。その後、三里塚・ジェット闘争、国鉄分割・民営化との闘いと、佐倉と新小岩と職場を別れたことはありましたが、いつも指導と励ましを受けてきました。
昨年、新小岩派出が廃止となり、新小岩支部は千葉機関区支部に合流し、二〇数年ぶりに清水さんと同じ職場で働くことになりました。
支部役員の仲間が清水さんに、組合機関や財政の運営についてアドバイスを受けている姿を度々見かけるようになりました。
みんなにとっては、頼れる兄貴的存在だったのでしょう。一から丁寧に、粘り強く話す姿を見て、「こうあるべきだ」と自分を反省しました。
また、団交でも貨物交渉団の団長的存在で、堂々と当局と渡り合う姿を見て「俺も性根を据えて勉強しよう」「これからもたくさん教えてもらおう」と、思っていた矢先のことでした。
青年部の時、寮で酒盛りをして、酒を飲みつくしてしまい、夜遅く清水さんの部屋を訪ねて「後で返しますから」と、お酒の飲めない清水さんが大事にしていたと思います、「サントリーオールド」の新品、未だに返してない事、覚えていますか? 約束は必ず守ります。ちょっと、待っていて下さい。
自分たちは、いつまでも清水さんとスクラムを組み、職場を守り、未来に向かって、笑顔で前進し続けます。