被曝66周年!ヒロシマ-ナガサキ、フクシマをくりかえすな!
8・6ヒロシマ大行動を闘いぬく!
「反戦の母」シンディー・シーハンさんが参加!
反戦・反核ー反原発へヒロシマアピール
8月6日、66回目の原爆記念日を迎える中で、ヒロシマ大行動が闘いぬかれた。
今年のヒロシマ大行動には、全国から1685名が結集し、会場となった広島県立総合体育館小アリーナは、12時30分の開会時には参加者で一杯となった。動労千葉からは各支部の代表派遣を含めて14名が参加してともに闘いぬいた。
核も原発も一緒ー全ての原発の即時停止・廃炉へ闘おう!
今年のヒロシマ大行動は、3月11日の東日本大震災、さらにその後の福島原発事故という情勢が一変する中での闘いとなった。とくに、福島原発事故は、発生から5ヶ月を迎える中で収束のメドすらつかず、大量の放射性物質が大気や土地、海などに大量に放出され続け、福島の子供たちや労働者・市民、さらに原発で働く労働者への被曝が日々強制され続けている状況の中での闘いとなった。
労働者・市民を被曝させ続けるという点では核も原発も一体のものだ。しかも、日本の原発は、原爆の材料であるプルトニウムを作ることが目的とされている。戦後、「核の平和利用」という名目で核兵器と原発は別物のように扱われてきたが、現実は、核も原発も一緒なのだ。
こうした中で開催されたヒロシマ大行動は、既成の原水禁運動が反原発の闘いを放棄する中で、反戦・反核・反原発を真正面から掲げて闘う唯一の闘いとして開催された。
11月集会を、全世界一千万人行動として闘いぬこう!
さらに今年のヒロシマ大行動は、イラク戦争で04年に息子さん(当時24歳)を亡くし、その後、アメリカ政府の戦争責任を追及してホワイトハウス前での座り込みを闘い続けたアメリカの「反戦の母」であるシンディー・シーハンさんも参加する中で開催された。(発言別掲)
また、動労千葉からは田中委員長があいさつし、社会を変えるチャンスがきていることを熱烈に訴えるとともに、今年の11月集会(11月6日)には1万人の結集を実現しようと訴えた。
そして、15時からは、ヒロシマ原爆資料館に向けて全体がデモ行進に出発した。
闘いを止めなければ、敗北はない! 原発と戦争を止めるには革命が必要だ。全ては階級闘争だ。戦争で設ける連中は、何も傷を負わない。人生を豊かにするのはモノではなく、人間関係だ。今日は、地球的な人間関係を作る日だ。闘いを止めない限り、敗北はない。新自由主義と闘う仲間が1人でも残れば、勝利できる。 |
原発廃絶へ「な全」を結成(8/5) 8月5日、18時から、広島市東区民センターで、「全ての原発いますぐなくそう!全国会議」(な全)の結成集会が、700名の参加でかちとられた。シンディー・シーハンさんや福島現地からかけつけた仲間たちが次々に発言し、当面、原発即時停止に向けて全国で署名運動を行うこと、全世界1000万人行動として11月6日の労働者集会を闘うことが呼びかけられた。 原爆ドーム前で「ヒロシマ宣言集会」 8月6日、7時からは、ヒロシマ大行動に先立ち、450人名が結集して菅首相記念式典出席弾劾のデモが闘いぬかれた。そして、デモ隊が原爆ドームに到着後、9時から「全ての原発を今すぐなくそう!8・6ヒロシマ宣言集会」が、1000名の参加で開催された。集会では、「フクシマとヒロシマの怒りをひとつにして、全ての原発を廃絶する」との宣言が全世界に向けて発信された。 組織拡大へ青年部(準)が決意 8月7日、10時から、「全国青年労働者交流集会」が開催され、動労千葉からも青年部(準)2名が参加し、外注化阻止、ライフサイクル粉砕へ、全国の青年とともに闘うことを決意表明した |