故 中野洋 前委員長 追悼集会・偲ぶ会

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故 中野洋 前委員長 追悼集会・偲ぶ会
4月10日(土曜)午後1時より、 労働者福祉センターで、中野前委員長との想いを語ろう

 中野洋前委員長のお通夜告別式には各支部組合員の皆様よりご会葬、献花をいただきありがとうございました。皆様の御力により本当にすばらしい式となりました。
 今年初頭より「検修業務全面外注化阻止・強制配転阻止」、「館山派出廃止絶対反対」、「貨物賃下げ攻撃粉砕」のストライキの闘いが勝ち取られてきました。この我々の闘いはあの動労革マルとの分離独立や国鉄分割民営化反対の2波にわたるストライキ等、中野前委員長指揮の下団結し労働者として原則を曲げず闘ってきたからこそ今の勝利があるのだと思います。
 大恐慌時代に突入する中で、中野洋前委員長が生涯をかけて闘い抜いた階級的労働運動の復権を向けて、その遺志を引き継ぎ、我々動労千葉組合員は一丸となってさらに闘いを前進させなければなりません。この団結で4月10日、13時より千葉県労働者福祉センターに全力で集まろう。

中野兄を悼む
水野正美 前動労総連合委員長 勝浦市議会議員

 3月4日10時、市議会本会議が始まってまもなく、マナーモードの携帯電話が揺れた。休憩時間となって11時過ぎ動労千葉本部へ電話を入れて、中野顧問の訃報を知った。いつかは覚悟していたとはいえ大きな衝撃を覚えた。4月7日、彼の通夜に出席して、その存在の大きさを改めって知らされた想いである。彼こそ私たちの時代が生んだ、労働運動のまれに見る指導者だった。彼の労働運動に残した功績について改めて述べるまでもない。周知のことである。ただ少年時代からの彼を知る者の一人として、少し触れてみたい。彼は中学校の頃から母方の実家を手伝いながら県下一の進学校である千葉一高を卒業し、国鉄労働者となった。聡明で人なっこく、人の心を大切にし、先輩からも可愛がられた、そんな存在だった。動労千葉地本青年部長から、当時東洋一と言われた千葉機動車区の多数派組合であった動労千葉気動車区支部執行委員長に就任し、31才の若さで動労千葉地本本部書記長に就任した。その後の彼は多くの人の知るとおりである。
 彼は本当に組合員を信頼し、組合員の心を大切にした。彼は口癖のように「組合員に受け入れられないような方針は正しい方針とは言えない」と言っていた。といって大衆迎合するわけではない。彼は方針を上から押しつけるのではなく、情勢が煮詰まるまで辛抱強く待つことが出来たし、実践を通して組合員の意識が結集していくための粘り強い努力を惜しまなかった。一つ一つの運動を大事にし、きちっと総括して組合員に返していった。私見であるが、動労千葉には大きな分岐点が二つあったと思っている。一つは動労革マルとの激しい組織攻防戦、路線論争の中で分離独立を圧倒的勝利の中で勝ち取ったこと。もう一つは国鉄分割民営化反対闘争である。ここに彼の優れた能力が遺憾なく発揮された。そして組合員教育には人一倍熱心であった。彼に育てられて組合員が、田中委員長を先頭に今動労千葉を背負って闘っている。動労千葉が今日あるのはすべて彼の功績である。
 彼を失った今、私の胸に去来するものは、彼の若々し英姿とともに、つらい仕事はすべて彼に押しつけてしまった申し訳ない想いである。今はただ「本当に長い間お疲れ様でした。どうか安らかにお眠り下さい」と申し上げるしかないのが残念である。中野君有難う御座いました。

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