11・2労働者集会へ②解雇撤回要求なき「政治決着」に反対する・下

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11・2労働者集会へ②
解雇撤回要求なき「政治決着」に反対する・下

闘争終結策動のねらいは?

 1047名問題の和解終結に向けた東京高裁や鉄道運輸機構、政府の動きの裏には、明らかに政治的な意志がある。その本質は、国鉄分割・民営化の「完成」をもって、破産にあえぐ新自由主義政策へのさらなる突進を狙う重大な攻撃だ。
 この間、政府・自民党は、「日教組、自治労は国民の敵だ、壊滅させる」と公言し、大々的な反動キャンペーンをはっている。国鉄分割・民営化のときの「国鉄労働者=国賊」キャンペーンと全く同じやり方だ。その意図は、労組破壊攻撃をもって、民営化・新自由主義路線を全社会に貫徹することにある。具体的には、400万公務員労働者の半分にあたる200万人を対象とした民営化-首切り攻撃である。
 危機に揺らぐ自・公反動政権は、それがいかに絶望的な道であろうと、それ以外に延命の道がない。背後では、金融恐慌が泥沼的に拡大し、ワーキングプア等の現実に突き落とされた労働者の怒りが爆発しようとしている。こうした現実の中で、今も国鉄分割・民営化攻撃に決着がついていない現実をこれ以上放置しておくことができなくなったのである。4者4団体の現状を見すかした上で、ここでピリオドを打たなければならないと判断したということだ。

金融大恐慌情勢の到来

 ついに金融大恐慌が始まった。資本主義の最後の延命策であった新自由主義は、何の実態もないバブルとその崩壊を繰り返すマネーゲームを生み出し、サブプライムローンという詐欺にまで行き着き、その破綻をきっかけとして金融危機が泥沼的に拡大して世界の資本家どもを恐怖のどん底に突き落としている。
 米政府は7千億ドル(75兆円)もの公的資金の投入を決定し、米欧日の中央銀行が莫大な資金供給を行なっているが、株価暴落は止まらず、米欧での銀行や証券会社破綻が続出している。今起きている事態は資本主義体制の壊滅的破綻であり、最後の姿である。その規模の巨大さ、もはやバブルをつくりだすことなど不可能なこと、公的資金を使って買い取ろうとしている不良債権の実態が証券化商品なる紙屑でしかないこと、雇用や賃金を破壊して企業や銀行の利益を叩き出すという手段ももはや限界に達していること等、解決など絶対に不可能だ。
 経済の急速な収縮が始まっている。戦後初めて経験する事態だ。一体これが社会に何をもたらし、労働者に何をもたらすのか。すべてが初めて経験することである。何よりも注目すべきことは、新自由主義攻撃に対する怒りの声が、全世界で「生きさせろ!」という叫びとともに、ストライキや暴動闘争となって嵐のように燃え広がっており、その闘いが帝国主義の危機をさらに促進させていることだ。アメリカでの金融安定化法案も「金持ちを救済するな、監獄にぶち込め!」という激しい怒りに圧倒され、一旦は下院で否決されるという事態となった。
 麻生政権は国会を解散することもできず右往左往している。もはや議会を通した政治支配そのものが破産・崩壊している。極右国家主義者の麻生は、「景気対策」を打ち上げることで総選挙をのりきり、その後は労働者への全面的な階級戦争に訴えようとしている。
 時代は変わり、後退を強いられてきた労働運動がいよいよい荒々しく復権しようとしている。団結した労働者の力が歴史の最前線に登場しなければいけない時代がやってきたのだ。しかし、1047名闘争が、激動する時代の動きと全く無関係に、しかも築きあげてきた地平のすべてを投げ捨てるのが唯一の道であるかのように語られている。一体この現実は何なのか!

1047名闘争の位置

 こうした新たな情勢の中で、あらためて原点に帰り、1047名闘争がもつ意味をはっきりさせなければならない。
 幾度となく確認してきたように、国鉄分割・民営化は、戦後最大の労働運動解体攻撃であった。それはまた、新自由主義政策を社会全体に貫徹する決定的な突破口をなす攻撃であった。実際、第二臨調の発足から民営化までのわずか6年の間に、20万人の国鉄労働者が職場を追われ、200人が自殺に追い込まれ、総評・社会党が解体されて階級的力関係が歴史的な転換を強いられたのだ。動労は総評を脱退して民営化の手先になり、国労も闘いの方針を何ひとつ打ち出すことができないまま20万の組織が4万人に切り崩されていった。それまでのような体制内的な運動のあり方が通用しない時代が到来したことがつきつけられたのである。
 しかし、国鉄労働者はこの攻撃に屈したわけではなかった。1047名闘争という形をとって闘いを継続したのだ。1047名もの被解雇者が20年をこす闘いを継続し、「百万勢力」ともいわれる全国の労働者が今もその闘いに自らの未来を託して支援し続けてくれていること自体が日本の労働運動史上画期的な地平である。闘いを支え続けてくれた人たちの多くは連合傘下の労働者であり、組合指導部の屈服や後退にも係わらず、この闘いだけは負けさせてはならないという思いで支援し続けてくれたのだ。
 つまり1047名闘争は、労働運動の否定的現実に抗して、長い闘いの中で培われてきた国鉄労働者の力、日本のすべての労働者の力、戦後の日本労働運動の全蓄積がここに凝縮して生み出した闘いである。

新自由主義への決定的な対抗力としての1047名闘争 

 一方この20年間は、新自由主義攻撃の下で、日本の労働者の雇用や賃金、権利、労働条件が徹底的に破壊され続けた過程であった。とくに派遣法をはじめとした労働法制の抜本的改悪によって、全雇用労働者の三分の一にあたる2000万人もの労働者が非正規職-ワーキングプアに突き落とされたのである。
 1047名闘争は、こうした事態に対する決定的な対抗力として存在し、闘いぬかれてきた。日本の労働者は後退を強いられながらも、最も核心的なところで踏みとどまり、火花を散らして闘いが続いたのである。つまり1047名闘争だ。それがどれほど大きな意味をもっていたのか。それは労働運動の復権を願う全国の労働者のより所であっただけでなく、「行革でお座敷を綺麗にして立派な憲法を安置する」という中曽根の狙いを許さず、今日まで改憲をおしとどめてきた大きな力でもあった。
 4者4団体による政治解決運動の最大の問題点は、1047名闘争がもつこうした階級的な意味と全く無関係に
進められていること

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