検査切れ車両が本線を走る!
これがJRの車両検査体制の現実
外注化などしたら第2の尼崎事故だ!
昨年12月16日、久留里線で、検査回帰キロをオーバーし、検査切れになった車両を走らせていたことが発覚した。 エンジンの使用限度(50万㎞)を約300㎞超えていたのである。いわば、車検切れの車両を使って営業運転していたことになる。絶対にあってはならないこと、あり得ないことだ。
列車は臨時入区して木更津支区に沈められ、年が明けてから、機関車に牽引されて工場に入場した。その問、ちょうど別の車両の工場入場とも重なったため、久留里線は編成両数を減らして運行せざるを得なくなった。
なぜこんなことが
なぜこんなことが起きたのか。背景にあるのは、たび重なる検査周期の延伸である。気動車の検査周期はJRになってから三度も延伸ざれている。1991年11月に交番検査・全般検査の周期が延伸され、2001年3月には仕業検査周期を延伸、同年11月には要部検査と、再度全般検査の周期が延伸されている。国土交通省令の規制緩和・改悪によってそれが可能となったのである。
とくに、01年11月の検査周期延伸は次のようなものであった。
要検→3年又は25万㎞→4年又は50万㎞(但し旧型エンジン搭載車両は期間のみ延伸)
全検=6年→8年
走行距離の少ない久留里線の車両の工場入場は通常日数タイプが適用になり、一方問題になった当該車両のエンジンは新型のためキロタイプを適用できるという条件であった。 |
ここでどんなことが起きたかというと、前回入場時(06年3月)に、エンジン以外の部分の検査・修繕を行なった上で、エンジンは、土崎工場にあった走行距離がまだ残っている別なものに積み替えられたのである。要するに、コスト削減のためには、オーバーホールせずに限界ギリギリまで使うという発想だったと考えられる。
しかも気動車の工場検査は、以前は大宮工場で行なわれていたが、検修体制の再編合理化によって、車体は郡山工場、エンジンは秋田の土崎工場と分かれ、車体を上げた後、エンジン部を土崎に送るということが行なわれる中でこうしたことが起きたのである。
「技管」廃止が原因
より直接的な原因は、木更津支区の「技管」廃止と、07年3月の基地統廃合による「支区」から「派出」への格下げによって、現場の車両管理体制が崩壊してしまったことにある。
以前は、専門職の技管が車両の検査周期等を管理していた。しかし千葉支社はコスト削減のためにそれを廃止したのだ。その後も木更津では、力関係で技管担当を残してきたが、それも07年1月の定年退職をもっていなくなっていた。しかも、その直後の支区廃止攻撃によって、支区長という責任を持つべき者も居なくなったのである。
技管廃止時の千葉支社の言い方は、「木更津の枝管の業務量は0.3人工程度であり、その業務は管理者が責任をもってやるから必要ない」というものだった。だが、木更津派出検修担当の2名の管理者は、一人は気動車の検修経験など全く無く、もう一人は4~5年経験したことはあるものの車両管理は素人である。今回起きた事態についても、現場管理者は一体何が問題だったのかすら把握できず、気動車がどうやって管理されているのかすら知らない状態だ。全ては現場が支えていたにも係わらず、「管理者が責任をもつ」などという口先だけで技管を廃止した結果がこのあり様だ。
知らなくていい!
JR東日本の車両検修体制は、現状ですらこんな状態だ。合理化に継ぐ合理化が検修体制を崩壊させてしまったのである。それを丸投げ外注化などしたら一体どうなるのか。
しかもJR東日本本社は、外注化をめぐる団交で、業務を管理し、指揮し、技術指導することになる、委託会社の「作業責任者」について、「必ずしも業務知識が必要だとは限らない。作業管理ができればいいわけで、知らないよりは知っている方がいいというレベルで良いと思っている」「作業責任者は支社単位で確保するが、各現場全てに配置するわけではない」と言って平然としているのだ。検修業務とはそんな軽々しいものなのか! コスト削減のためなら何をしてもいいと思っているのか。要するに検修外注化とは検修業務の切り捨てだ。こんなことをしていたら間違いなく第二第三の尼崎事故が起きる。絶対に阻止しよう。
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