2.7狭山中央集会

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臨調 · 行革粉砕!
れる状況でした。
化が進められるうちに暮れる」と云わ
にむけて「六二年は警備公安警察の強
日韓条約制定(韓国への本格的侵略)
保をめぐって岸内閣が倒され、六五年
判にさらされました。時は、六〇年安
人質を死に追いやり、世論の厳しい批
れた犯人を包囲しながらもとり逃し、
警察権力は、身代金引渡し現場に現わ
で起った女子高校生誘かい殺人事件で、
一九六三年五月一日、埼玉県狭山市
上げた恐るべき暗黒の差別裁判です。
狭山差別裁判は、国家権力のデッチ
裁判とは…
:
狭山差別
三 里塚 ジェット 闘争勝利!
商, 特別抗告樂却發動を許打
動判決を下したのです。
.
カ月の審理で「死刑」のデタラメな反
守るためのみせしめとして、わずか六
一審浦和地裁は、司法権力の権威を
「物証」をデッチあげたのです。
る手段をつかって、うその「自白」·
ごう問·強制·脅迫·誘導と、あらゆ
か行っていない石川さんにつけこんで
·抹殺し「被差別部落=悪の温床」と
部落差別からの貧乏ゆえに小学校にし
一雄さんを別件逮捕し、以後一ヵ月、
きました。五月二三日、部落青年石川
被差別部落に見込み捜査を集中してい
は弁護士さんにもまだ話していない」
と偏見に基づいて、狭山市内の二つの
復を迫られた警察権力は、全くの予断
こうしたなかで、何としても威信回
=
国家権力の部落差別に基づくデッチ上げによる暗黒裁判
とりもどさなければなりません。
暗黒差別裁判をうち破り、石川さんを
してきているのです。一日も早くこの
その怒りと口借しさを鉄格子でおし殺
もの長い間、石川さんの青春を奪い、
判決、八〇年に再審棄却、と二一年間
する差別判決で、七四年に高裁「無期」
も石川さんや弁護団の主張を一切無視
真実の暴露を恐れる権力はそれ以降
と初めて真実の叫びをあげました。
善枝ちゃんを殺していない。このこと
一回公判において、石川さんは「俺は
東京高裁で、控訴審がはじまった第


=
衣の
3.25三野家へ
隊が、残念ながらも会場に到着できないというア
集会は、大雪のために西日本の解放同盟の大部
「石川さん奪還!」大雪の悪天候をつき、青年部を中心に決起
(2月7日、中央総決起集会、明治公園)

貫徹しました。
がものとして、全力でたちあがらなければなりま
われは、今こそ無実の石川さんの怒りと闘魂をわ
リギリのせめぎあいが現在闘われています。われ
を挫折せしめてきたのです。狭山圧殺攻撃とのギ
全人民の決起が、日帝最高裁をして早期棄却策動
んと、狭山弁護団の闘い、そして、それを支える
は極めて異例の長期間と言えます。獄中の石川さ
来、現在まで二年十カ月を経過しています。これ
八一年三月三〇日の「特別抗告審申したて」以
葉県連と共に参加、力いっぱい新宿までのデモを
帯し、青年部各支部代表三〇名が部落解放同盟千
をうつものでした。動労千葉からも石川さんに連
の決意がこめられたアピールは、参加者全員の胸
「最後の血の一てきまでも闘いぬく」との不退転
け、獄中二一回目の新年を迎えた石川一雄さんの
にうめて、定刻十三時に開会されました。とりわ
クシデントにもかかわらず、明治公園をいっぱい
員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ !=
石川さんの闘魂をわがものとしよう
利 中央総決起集会」が開催されました。
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7
よる特別抗告棄却策動の切迫のなかで、「2·7狭山再審棄却四ヵ年糾弾·特別抗告審闘争勝
八〇年二月七日東京高裁による再審棄却から四年、狭山特別抗告審闘争をめぐって、最高裁に
狭山中央総決起集会ひらかる
動芳千葉
4
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84. 2. 15
2
No.
1564
(鉄電)二九三五~六·(公衆)〇四七二二(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合
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