原発いらない! 3・11福島県民大集会(郡山市)
2011年3・11は決して忘れてはならない日となった。
大震災と共に起こった大津波により2万人に近い人々の命が失われた。そして福島第一原発事故がもたらした放射能の大量飛散という人災が、今なお続いている。
あれから1年が経つというのに、未だに県外に15万人もの人々が避難せざるを得ない状況にあり、汚染地域から避難した人々は、何度も狭い仮設住宅に移動させられ不安な日々を送っている。なかでも2万人近い子供たちが県外に転出し、いつ戻れるのかも分からないのが現実だ。また農地等の除染の見通しはたたず、漁業も未だに操業の自粛が続いている。
野田首相は何をもって原発事故「収束宣言」をしたのか。福島県民の苦悩をよそに、原発ムラの東京電力や経済界に向け、原発を再稼働させたいが為の発言だったと言わなければならない。
開成山野球場で行われた集会には球場を満杯にする1万6千名が結集し、組合旗などが林立した。動労千葉からも23名が参加した。
県民の怒りが噴出
集会では、大地震がおきた14時46分に参加者全員が黙祷、発言にたった6名の県民からは、おさまらない怒りが噴き出した。
子供の被爆を避けるために県外に避難している母親の心情や、汚染地域から避難している女性は、仮設住宅で生活が落ち着かず「まるで戦時中のよう。国策のために犠牲にされるのはいつも国民」、また「人の命も守れないのに電力だとか経済だとか言っている場合ではないはず」という高校生、そして無農薬野菜をこれまで一生懸命育ててきたが、農地の除染が進まず、今は作っても売れない農家の苦悩、「『頑張ろう日本』ではなく、『変えよう日本』だ、今日をその出発点に」という発言、今でも魚の放射能の数値が下がらず自粛している漁業者など、原発事故とそれがもたらした被害は、何も変わっていないことが明らかになった。
福島県内では過去最大のデモとなり、郡山市の市街地をデモ行進の隊列が長く続き、原発廃止を訴えた。
原発をめぐる事態はきわめて深刻だ。廃炉にするにも未だに原発の内部の状態が分からない状況であり、核が人間の力ではとうてい制御出来ない現実と、共存出来ないことを多くの人が判った。全国のすべての原発をもっと早く停止することはもとより、廃炉にすることが求められている。
福島県から発した「原発はいらない!」の声を全国へ、全世界に、全労働者へ呼びかけて、原発を廃炉に追い込もう!