10.31狭山中央闘争へ

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三里塚·ジエット闘争貫徹!「国鉄35万人体制」粉砕!
ました。おどかしたり、すかしたり、一たん保釈して、
の犯人として扱い、ウソ発見機などをつかって責め立て
しかし、警察ははじめから石川さんを、善枝さん殺し
雄さん(23才)を別件逮捕しました。
部落を見込み捜査し、五月二十三日、部落の青年石川一
げ、逮捕するというやりかたです。警察は狭山の二つの
警察がよく使うのは無実の部落民を「犯人」にデッチ上
せん。しかし、手がかりがありません。このような場合、
警察は、面目にかけても犯人をさがし出さねばなりま
発生していたからです。
年三月に東京で吉展ちゃん事件という同じような事件が
敗を非難する世論が強まります。それというのも、この
害者は殺されてしまった。マスコミをはじめ、警察の失
察は犯人を目の前にしながら逮捕することができず、被
その後、善枝さんは死体となって発見されました。警
とを追いましたが、ついに取り逃がしてしまったのです。
た。呼子を吹きならしたり、懐中電灯をふりまわしてあ
現れましたが、警官の張り込みに気付いて逃げ出しまし
官を張り込ませました。犯人は二日十二時をすぎたころ
された佐野屋というよろず屋の近くに四十人をこえる路
家に届けられます。埼玉県警特捜本部は、脅迫状に指定
八)五月一日のことでした。犯人によって脅迫状が中田
学校を出たまま行方不明となりました。六三年(昭和三
埼玉県狭山市で中田善枝さんという川越高校一年生が
狭 山差別裁判の
部落解放同盟 奖行)
のパンフレットより
転載しました。

あらまし
たのです。
すめています。
消し、無実の石川青年即時釈放の大衆的なたたかいをす
が部落差別であることを明らかにして、狭山差別裁判取
部落解放同盟は、この事件と裁判の底をつらぬくもの
れ以後、ようやく東京高裁において事実調べがはじまっ
は善枝ちゃん殺しをやっていない」とさけびました。こ
ました。石川さんはニセの「自白」をひるがえし、「俺
同年九月十一日、東京高等裁判所で控訴審がはじまり
ないで死刑の判決をくだしたのです。
き判決をくだしました。内田裁判長は証拠もろくに調べ
わずか半年後の翌六四年三月十一日、死刑という恐るべ
べての証人と証拠調べを却下してスピード審理をすすめ、
ます。内田武文裁判長は、弁護団の申請するほとんどす
者として起訴しました。
裁判は、この年九月四日、浦和地方裁判所ではじまり
して検察庁は七月九日、石川さんを善枝さん殺しの容疑
合わなくなると石川さんの単独犯行にあらためます。そ
はじめ、将察は三人共犯説をとりますが、つじつまが
六月二十四日、ニセの「自白」をさせられてしまいました。
て石川さんは一ヵ月近く否認しつづけましたが、ついに
に善枝さん殺しを認めさせようとします。これにたいし
すぐ再逮捕するなど、あらゆる方法をつかって石川さん
戦争に根こそぎ動員しようとする策動
撃を強めるなかで、労働者人民を侵略
ように、一挙に軍事大国化へ向けた攻
議のきわめて挑発的な展開に見られる
反動鈴木內閣は靖国法攻撃や改憲論
却下攻撃にふみきろうとしている。
では何とも言えない」と拒否し、早期
即事事実調べ開始の要求を「今の段階
いたっている。東京高裁は、弁護団の
微か、却下かのきわめて重大な局面に
をもって、異議申し立て勝利=再審費
にあたる異議審申し立て補充書の提出
狭山闘争をめぐる情勢は、最終弁論
争を闘いぬいている。
最後の一滴まで闘う」と不屈の獄中闘
たっ
に対し、無実の石川一雄氏は、「血の
暗黒の二·七再審棄却決定=獄死攻撃
獄中一七年、差別と予断に貫かれた
むべき寺尾差別判決から六年目を迎え
一〇月三一日、われわれは、あの憎
ずくペテン的「論理」をもって差別主
うみなる革マルの謀略デマ運動にもと
同じく権力の謀略だから同じ視点で闘
ている。” 「狭山」も「小谷事件」も
賛運動を一〇·三一にもちこもうとし
谷襲撃弾劾·動労防衛」なる革マル翼
の水本デマ運動と全く同じ手口で「小
「本部」革マル反動分子は、かって
獄中一七年、無実の石川さんの叫びに応え、再審貫徹かちとろう!
しているのである。
われわれは、部落民であるというた
た状況のなかで一挙に強められようと
差別ー人民分断支配の攻撃も、こうし
狭山闘争解体攻撃を頂点とした部落
なテコとしてはたらきはじめている。
権威主義の攻撃は、そのための決定的
を開始している。排外主義·差別主義
「本部」革マル反動分子の狭山闘争破壊介入
HI
〇·三一狭山中央闘争に決起しょう!
大きな成果のうえに、全力をあげて一
らいた一〇·一九~一〇·二一闘争の
八一 ·三決戦への全力決起をきりひ
破壊策動を断じて許してはならない。
入を策動している。このような介入 !!
用主義もあらわに狭山闘争の破壊·介
の闘いを冒とくし、セクト的=政治利
義的に狭山闘争を利用し、部落差別と
=「小谷謀略デマ運動」もちこみを許すな!
ことを確信し、全力で決起しょう。
のなかに狭山闘争の歴史的勝利もある
れは、三里塚八〇年決戦との固い結合
ての人民の闘いの拠点である。われわ
狭山闘争は、三里塚闘争とならぶ全
いかなければならない。
かりとうけとめ、この重大局面を聞い
怒り、再審貫徹·勝利への確信をしっ
らわれている石川一雄氏のくやしさと

『全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ!
だそれだけの理由で、千葉刑務所にと
108石川一雄氏奪還
異議審闯争勝利
狭山中央除争人

可動芳千葉
80.10.30
No. 570
(鉄電)二二二二五八~九·(公衆) 日々さ二(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合
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