10年間の任をおえて 関川前委員長の退任の挨拶

1462

読み込みエラー:

PDF をダウンロード

臨 調·行革粉砕! 三 里塚ジェット 闘争勝利!
中野委員長体制を1300全員で支え
血と汗で築いた動労千葉を守りぬいてほしい
戦後政治の総決算」とかかり戦
るんだとはいえない苦しい立場で、しかし内心は
何といわれても、俺はお前たち革マルとケンカす
十年のうち五年間は動労「本部」と一緒でした。
思い起こせばいろんなことがありました。
た。
印象に残る
分離独立·2·3闘争·三里塚闘争
家族の皆さんの団結の力で支えられた委員長でし
ました。つらいこともありました。しかし組合員
き受けたんです。
そしてそれから十年、非常に苦しいこともあり
ケっ渕で大会を継続し、急拠私が執行委員長を引
切れで流会かどうかという時、会場の鳴海荘のガ
思い起こせばちょうど十年前、勝浦大会が時間
辞めさせていただくことになりました。
年の三月に満五八才をむかえますので、今大会で
うことは、本当に心苦しいものがありますが、来
今、この重要な時期に委員長の職を辞めるとい
す。
て執行委員長を務めさせていただきました関川で
員を代表してあいさつします。五期十年にわたっ
そして家庭におしかけ家族まで巻きこむなかで、
第八回定期大会の最後にあたりまして、退任役
支えられた委員長だった
組合員、家族の皆さんに
爭への道を突き進む反動中曽根体
どうもありがとうございました。
にさせていただきます。
させていただくことをお願いして退任のあいさつ
支え、支部の団結をしっかり守りぬいて強化発展
築きあげた動労千葉の組織を、新しい中野体制を
業、十年、二十年記念を、私達が本当に血と汗で
らイバラの道は続くでしょうが、五年後の記念事
に飛躍していく運動方針を決定しました。これか
皆さん方は、いろいろ厳しい情勢の中で、さら
ます。一人の脱落もなく今日まできました。
しかし、その動労千葉が来年結成五周年を迎え
見して「苦労をかけたなあ」と思います。
私はいまここに立って、みなさん方のお顔を拝
団結し組織の強化·発展を闘いとれ
ださった。
争を闘いぬいてきたのです。
そして、あの81·3闘争を闘い、三里塚現地闘
一三〇〇名の方々が私達の動労千葉に結集してく
大方の予想を裏切って一四〇〇名の組合員中
と思います。支部へのあの暴力的なオルグを受け
独立してからの組合員の皆さんの方が大変だった
ながら動労「本部」へ行きました。しかし、分離
「こいつら今に見てろ」と思いながら血圧を上げ
決し、国鉄 ·三里塚
労働運動:全国约卡
ません。
関川前委員長の退任のあいさつを紹介します。
「日刊動労千葉」編集委員会は、大会における
永遠の同志として健康と変らぬ御指導を望んでやみ
組合員は、関川委員長の功績をたたえるとともに、
今大会をもって退任となりました。動労千葉一三〇〇
た関川 宰前委員長が来年五八才の定年をひかえ、
五年)、常に闘いの先頭にたって指導してくださっ
動労千葉の委員長として五年間(千葉地本委員長を
立し、新生「動労千葉丸」として船出すると同時に
全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ!
体軸飾
小動芳千葉
00
1

CO
熱い拍手がおしみなく送られました。(十月六日)
岡特別執行委員。本当にごくろうさまでした。満場の
長と永らく交渉部の任務を果し出身支部に帰任する鶴
五期十年の任務を終え退任の挨拶にたつ関川前委員
=
1
大会は、中野委員長を先頭とする新執行体制を確
針を決定し、大成功をかちとりました。
た三里塚·国鉄決戦の爆発で打ち破ろうとの運動方
する中曽根内閣の反動攻撃を、動労千葉を先頭とし
催し、戦後政治の総決算をかけて戦争への道を直進
動労千葉は十月五日~六日、第八回定期大会を開
関川前委員長の退任あいさつ=
十年間の任をあえて
No.
1462
(鉄電)二九三五~六·(公衆)〇四七二(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合
タイトルとURLをコピーしました