1年間をふりかえって 支部長に聞く

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三里塚·ジェット闘争貫徹!「国鉄35万人体制」粉砕!
年間をふりかえってきが長
V
来た。
組合員数は少いが、今までも全力で闘ってきた。
って結成大会が出来たことは、うれしかった。
破壊策動が加えられる中で、一〇〇%署名をも
蘇我 · 宇佐美支部長
闘いえた組合員は、一様に自信をもってきてい
中軸としての闘いを進めていきたい。
胆な職場討議を行う中で、克服し、名実ともに、
意識の面でもあるようにみうけられる。今後大
るが、多少足並みの点で問題があったと思う。
のゆるぎない団結=組織強化をかちとることが出
この闘いの中で、自らの飛躍をかちとり、支部
里塚·ジェット等々の闘いの連続であった。
とそれをようごする国労内一部分子との闘い、三
のために、組織·仲間を裏切った者への徹底追及
自負している。
先陣を切って闘い抜いた二波のストについては、
衛に終ると思った。
しかし、それをつきやぶり、成田が動労千葉の
この一年間、「本部」反動集団の破壊オルグ防
一年間、「本部」反動分子との闘い、自らのエゴ
千葉運転区· 永田支部長
この尊い経験を80年代に生かしてゆきたい。
を行なってきている。
「労働組合とは何か」というところまで話し合い
組織問題では、支部組合員との意見交換も含め
いべんで行なった大会議長として責任を痛感する。
動労「本部」からの分離と新生動労千葉誕生をい
今年は、5·6年分を一年で過した気がする。
たいと思う。
幕張 · 白井支部長
あっても80年代の闘いを担い切ってゆきたい。
化という中にあって、それがどんなに困難な道で
堅持したといえる。日本労働運動が右翼化·産報
対しても全組合員の総力をもって真の動労運動を
反合放棄路線をきっぱり拒否し、組織破壊攻撃に
ろ·30をもって「本部」反動集団の三里塚敵対、
津田沼 · 片岡支部長
今後、残る二名についても粘り強く説得したい。
さんも悪夢からめざめわれわれの戦列に復帰した。
られることによって解消された。その結果、竜崎
員にとっての不安が、ひとつひとつ着実にかちと
は対照的に、公労委認知、団交権獲得など、組合
し、崩すことが出来なかった「本部」反動集団と
支部結成に対し、六〇〇名にも及ぶ部隊を投入
新小岩 · 松崎支部長
意も含めて日刊編集委員会はきいてみた。
闘いたいい
成田 · 日暮支部長
るということだ。さらに80年代に向けてガンバリ
この中で得たものは、少数でも団結すればかて
になり、信念をつらぬいて闘い抜いた。
組織破壊に抗して、一四八名の組合員がひとつ
われわれにとって今年ほど苦闘した年はなかった。
激動の80年と言うーそれももっともだ。でも、
勝浦 · 窪田支部長
なしの気持だ。
組みをしてきた。
からつくり出してゆきたい。闘いなくして、勝利
これからは、国鉄5万人体制粉砕の闘いを職場
夢中になってゃっているうちに一年すぎた。
やりがいがある反面、不安もあった。とにかく
三里塚現地集会をはじめ弱少ながら最大限の取
木更津 · 斉藤支部長
反処分闘争を突破口に80年代を闘い抜く。
第3回定期大会も連続傍聴者の体制をとった。
一年間をふりかえって思うこと、さらにいままさに激動の80年代に向かって闘いに決起する決
この一年有余の闘いの中で、文字通り各支部の最先頭を担い、闘い抜いてきた、各支部長に、
激動の80年代人飛躍する。
8ヶ月の激闘の先陣を担いきり
て、佐倉·銚子の仲間との団結をはかり、一緒に
た。今後の課題として、同じ千葉県の労働者とし
とが出来た。この歳で勉強させられた一年であっ
方針のもと、組合員の協力で今日まで闘い抜くこ
初めて館山支部をあずかった。以来動労千葉の
館山 · 佐久間支部長
=
全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ !!
E
動芳千葉
79.12.27
No. 310
(鉄電)二九三五~六·(公衆)品限(2)七二〇七
千葉市要町二·八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合
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