8.6,8.9広島長崎反戦闘争に参加して

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国鉄「分割 ·民営化」反対!三里塚二期工事阻止!
ヒロシマッナガサキの怒りを行動へ
帰路についた。
か。反戦·反核の誓いを新たにして私は
いくことが問われているのではないだろう
ロシマ」 「ヒロシマの怒りを行動へ」組織して
けないということが強く感じられた。「怒りのとき
三世の姿を見て、「祈りのヒロシマ」にしてはい
加を訴えてきた。
のだろうか。不屈に生きつづける被爆者、二世、
原爆で殺された。彼らは「安らかに眠って」いる
兵器廃絶、原発廃止を強く感じました。
開催された。
ヒロシマで約二〇万人もの人々がたった一発の
れた。私も動労千葉の決意と九·一一集会への参
登壇し、「動労西日本のように闘おう」と訴えら
連帯のあいさつで、動労西日本の井面委員長が
民で満杯になった大ホールで広島反戦全国集会が
のちに、中·四国·関西から結集した労働者·人
労働会館までデモ。約二〇分の準備時間をとった
ちとられる。再びデモで、原水禁本部のある広島
弾圧をうち破り、全人民反戦宣言集会が実力でか
に決起。平和公園において、権力·広島市当局の
報告を行なった。午後から平和公園にむけたデモ
広島大学で階層別集会に参加し、約四〇分の特別
八月六日、広島反戦全国闘争に合流。午前中、
崎青年部長といっしょになる。
うち「青年階層別交流」に参加、動労西日本の岡
八月五日、「討論と交流のひろば」十三分科の
やめてくれるんですか」という訴えが胸をうつ。
生たちの「いくつヒロシマをつくれば(核実験を)
集していた。集会最後に登壇した約五〇名の中学
は全国から反核·平和を願う人々八〇〇〇名が結
八月四日、被爆四三周年原水爆禁止世界大会に
六広島反戦全国闘争に合流してきた。
県労連の一員として原水禁大会に参加し、八·
八·六ヒロシマ闘争に決起した。
青年部
A君
九四五年八月六日、同九日米軍機から投下され
た新型爆弾は一瞬にして広島、長崎を壊滅におい
下!
こんだ。爆発と同時に摂氏数百万度、数十万気圧
という高温·高圧の巨大な火の玉が発生、強烈な
熱線と放射線および爆風が襲った。地上のあらゆ
WATSICAL
るものを破壊しつくし、焼きつくし、高度一万メ
ートルに達する不気味なキノコ雲は、やがて放射
能を大量に含んだ
”となって降りそそ
晴天を真っ暗闇の空へと変えた。原爆の犠牲者は、
すでに二十万人をこえ、いまもなお四十万人近く
の人々が後遺症に苦しんでいる。また、当時日本
に強制連行されてきていた朝鮮·中国人被爆者(
数万人といわれる)の存在を忘れてはいけない。
の参拝、国際体育館での閉会総会への参加で、核
に県労連動員者として花束をささげ、平和公園へ
九日は、朝八時浦上駅前の国鉄反戦被爆者の碑
さを感じたものです。
被爆者であり、政府·自民党に対する怒りのすご
のです。
特に、実行委員会の代表である伊東鉄東さんは
加者が多くいたことです。
した。感じたことは、最近高まる反原発闘争の参
代表してお礼とあいさつをしました。
の闘い」を訴えたことが印象的でした。
八日の夕方、長崎反戦集会があり、動労千葉を
質問の中で、ある広島の教師の人が、「三里塚
七〇〇人入る会場にほぼ満席に近い数が集まりま
軍縮を–講演と討論」に参加しました。会場は一
いて「いま生活の場から反核を、日本こそ非核·
八月八日、朝九時より長崎市公会堂の会場にお
さえ言われる核を廃絶しようと集会が開催された
数万発あるとされ、全地球を数千回破壊できると
ないものであります。そうした核爆弾が全世界に
の影響が残るという、まされ人類と核は共存しえ
がいまなお病気に苦しみ、二世、三世にも放射能
命を一瞬のうちに奪い、その数倍を上まわる人々
一発の原子爆弾が二〇万人、三〇万人の人々の
「核とは何か」を考えました。
八八年長崎原水禁大会に参加して、自分なりに
佐倉支部 Bさん
全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ!
反戦闘争に参加して
8.618·9広島ー長崎
冰動芳千葉
1988.8.18
No.2875
(鉄電)二九三五~六·(公衆)〇四七二(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合
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