国労本部はJR不採用問題に関する与党声明を受けて、5月27日に臨時全国大会を開催することを決定した。国労本部は裁判の取り下げや、闘う闘争団の統制処分などの不当極まりない要求を臨大で丸呑みしようとしている。こんなことは断じて許せない。
自民党に命令された臨大 甘利自民党副幹事長は記者会見で「5月30日までに臨時大会を開催せよ。純粋かつ物理的に無理だという理由がない限り延期は認められない」と国労に命令した。臨時大会の指令がだされたのは5月16日、大会までわずか10日だ。こんな召集の仕方自体異例としか言いようがないが、国労は自民党に言われるがままにこの大会を召集したのである。召集はもとより日程、審議・決定すべき内容に至るまで自民党に命令されされて開催される大会しは一体何なのか。 国労本部は与党声明がだされて以降、社民党を通じて「何か担保を示してほしい」と嘆願を続けた。しかし剣もほろろに相手にされず、何もない状況のなかで、大会日程だけが設定されたのである。 これが労働組合の大会と呼べるのか。労働組合として、絶対に譲ることのできない誇り・自主性・尊厳は、ここには微塵もない。このようなかたちで大会を開くとしたら、それは労働組合の自殺行為だ。こんなことをしたら1047名の仲間たちの切り捨てのみならず、国労そのものが自壊・崩壊することになる。
全面降伏の最後通牒 与党声明とは、ひとことで言えば丸裸になって降伏しろという国労への最後通牒だ。国労と国鉄1047名闘争の息の根を最後的に止めようという攻撃だ。 政権政党がこれほど露骨に労働組合に支配介入し、ごう慢極まりない態度で居丈高に命令を下したことがかつてあっただろうか。国会では有事立法が審議されているが、これは有事=戦時体制下での労働組合弾圧であると言うしかない。 ▽「国労執行部は言行不一致を未だ解消せず、政府を非難してその責任を転嫁している」 ▽「組合員に対しては与党・政府から解決案がでるかの如く喧伝して彼らの期待感を煽っている」 ▽「このような対応は単に自らの延命策を図るもの」 ▽「進展の遅れは、ひとえに国労執行部が矛盾解消の責任を果たしていないことに帰せられる」 ▽「目に見えた結果をだせ」 なぜ自民党に「言行不一致だ、責任を転嫁している、組合員にウソをついている、自らの延命を図っている…」などと罵倒されなければならないのか。これを呑むということは、まさしく国労が国労でなくなることを意味する。闘いは重大な正念場にたった。今とるべき道はひとつである。与党声明に満腔の怒りの声を叩きつけよう。4党合意受け入れ以降の混迷をきっぱりと断ち切り、国労の闘う路線と団結を回復しよう。
自らの手で国労を潰すのか 国労という伝統ある労働組合をここまでおとしめてしまった執行部の責任は重大だ。本部は「4党合意を受け入れれば解決案がだされる」と言い続けたが、それも全く何の根拠もないウソだったことが暴露された。いわく、「組合員に対して与党・政府から解決案が出るが如く喧伝して彼らの期待感を煽っている」…「解決案」など何もなかったのだ。 結局、もたらされたのは国労の路線的な変質と、団結の惨たんたる崩壊だけであった。また当然の帰結として、この過程で時期を同じくして開始された、第二の分割・民営化攻撃というべき、これまでの質を遥かにこえた大合理化攻撃との闘いも一切放棄され、すべてを受け入れるという対応が繰り返された。 国労本部は、かけがえのない組織と闘う団結を自らアリ地獄に突き落としてしまったのだ。だが、少しでも冷静に考えれば、4党合意の本質が何であり、こんなものを受け入れればどのような結果を招くのかは、当初から誰の目にも明らかなことであった。
とるべき道はひとつ 今なによりも必要なことは、この2年あまりの経過を深刻に総括し、自己批判して、闘いの原則にたち帰ることである。4党合意受け入れの破棄を決定し、与党声明を徹底弾劾して、そのもとに全組合員の団結を図ることだ。 しかし国労本部は、さらに転落への道を歩もうとしている。4月25日には、5月以降、闘う闘争団の仲間たちへの生活援助資金の支払いを凍結し、物資販売からも排除するということまで決定したのだ。労働組合の名をもって、不当にも解雇され、闘いの継続を必死で訴える組合員を兵糧攻めにし、屈服させようというのだ。一体何ということか。これは解雇された仲間たちの切り捨てにとどまらず、国労そのものを敵に売り渡してしまうに等しいことだ。国労本部は、最後の一線をふみこえてしまおうとしていると言わざるを得ない。
攻撃の本質を見すえよう! 自民党は現在の情勢のなかで、国労という労働組合、そして国鉄1047名闘争のもつ戦略的な位置を、支配階級なりに真正面から見すえている。 資本と国家が生き残るために労働者が虫けらのように犠牲にされ、有事立法までが制定されようという情勢のなかで、国鉄分割・民営化攻撃と対決し15年間にわたる闘いを継続する国鉄闘争は、労働運動再生への結集軸になる位置にある。自民党はそれを恐れている。だからこそここまで執拗に国労と国鉄闘争への攻撃をつづけるのだ。 一方、自らのもつ位置への自覚が一番欠如しているのが国労本部執行部である。例えば、陸・海・空・港湾20労組が ナショナルセンターの枠をこえた有事立法反対の画期的な闘いを創りあげているが、国労がその中軸を担いきって、怒りの声を組織する先頭にたてば、この闘いが爆発的に発展することは間違いない。しかし国労は「20労組」の一員に名前を連ねていても、実質的には何ひとつ積極的な係わりをしていない。1047名の解雇撤回はこうした闘いの高揚のなかでこそ、実現されるものだ。 なぜ未だ全国のぼう大な労働者・労働組合が、連合などの制動と闘いながら、国鉄闘争を支援しつづけているのか。そのことのもつ重要な意味、その仲間たちの思いを理解しようともしないところに労働運動は成立しようがない。 また、国労の組合員は分割・民営化攻撃の嵐のような攻撃をのりこえ、その後の徹底した差別・不当労働行為にも屈せず頑張りつづけた労働者だ。その力を信頼せず、逆におし潰してひたすら自民党への嘆願にしがみつくような者に組合役員の資格はない。
JRにおける労働運動の再編が始まる 3党声明−5・27臨大を契機として、国労、国鉄−JR労働運動は間違いなく大きな分岐・再編過程に入ることになるであろう。JR総連・革マルも、東労組東京地本委員長の辞任に示されるように、かつてない組織的危機を深めている。今になって、7年も前の「大宮会議」(東労組内の旧鉄労・社員労グループが開催した反革マル会議)を蒸し返して、組織破壊策動の責任をとらせるという異常なやり方から見えてくるのは、JR東日本と東労組の間に重大なあつ轢、確執が起きているということである。 今春闘で示されたように、資本の側はその構えを根本から変えた。いわんや有事立法の制定という情勢は、社会のあり方を土台から覆すものである。いくら資本に忠誠を尽くし、すべての合理化を丸呑みしようと、もはやJR総連・革マル的なあり方も認めないという事態が始まっている。国労が自民党に嘆願すれば何とかなるなどという情勢ではない。
国労の仲間に訴える 原点にたち帰り、組合員の団結に依拠してこの情勢と真正面からたち向かわなければならない。 国労のすべての仲間たちに訴える。闘争団の仲間たちとともに、闘う国労の旗を守りぬいて起ちあがるのか、全面降伏の道を走る本部の側にたって自らの手で国労を潰すのか。今や問題はこのようにたてられている。その選択があいまいさなく問われているのだ。ともに起ちあがろう。唾棄すべき現状を打破しよう。1047名の解雇撤回をかちとろう。
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