館山運転区・木更津支区廃止絶対反対闘争勝利の教訓(中)

6473

57回定期委員会に向けて

(6472号よりつづく)
全組合員が「一本書き」

この過程で何度も議論されたのは、年末・年始の過程で始まるであろう廃止を前提とした異動の個別面談(希望調査)に対する対応であった。
千葉支社は「移行準備のため」と称して、廃止当該職場を全く無視し、新設される木更津運輸区の「準備区」に東労組の運転士(後に国労組合員も)を次々と送りはじめていた。その意図が、館山・木更津支部の組合員をバラバラに配転するためであることは明らかであった。
職場では二つのことが議論された。第一に、こうした卑劣なやり方には職場からの徹底的な抗議行動を展開する。現場長が音をあげるまでやらならければ勝負にならないということ、第二に、希望調査の過程で画策される切り崩し攻撃にいかに対抗するのかということである。
当局は、面談で希望職場について第三希望まで書かせようとする。無理やり多くの「希望」を書かせることによって、「本人希望」という形をとった不当配転を行なうためである。また、利益誘導などによる脱退工作や団結の切り崩し攻撃がこの過程で行なわれることも明らかであった。
組合がとった方針は、「一本書き」である。両支部は執行委員会や職場集会、個別オルグで何度も議論し、全員がこの方針で一致した。これは職場廃止という攻撃で団結を揺さぶったにも関わらず、全く団結が揺らいでいないこと、動揺がないことを当局につきつけた。館山・木更津両支部は、支部間交流会なども開催し、ここに各支部の代表も参加して万全の意志統一が図られた。

卑劣な攻撃への非協力闘争

また、館山運転区には13名の他労組の運転士がいたが、希望調査の過程で、現場当局がこの13名に対し、別な職場への異動を希望した者に対してまで、「木更津運輸区希望」と無理やり言わせていたことが発覚した。新しい運輸区から動労千葉の組合員を排除するためにこんなことまでやったのである。これは逆に現場長への抗議行動に火をつけることになった。
年明けからは、館山支部が休日勤務拒否の非協力闘争に突入。これは、職場廃止攻撃への抗議闘争であると同時に、ギリギリの要員配置のなかで休勤によってしか業務が回らない現実に対する抗議の闘いでもあった。当局はこれに対し、旅行を予定していた組合員の年休を時期変更するという嫌がらせを行なうなど、団結破壊に躍起となったが、こうした攻撃にも、支部は当事者や全体で繰り返し話し合いを行い、現場当局への抗議行動を展開し、断固として原則的な立場を貫いた。
また、1月16日には、全支部の組合員が総結集して千葉支社への抗議行動を展開し、職場における両支部の奮闘を全体の闘いとしていった。

DCキャンペーンへの抗議行動

1月27~28日に開催された全支部活動者研修会では、両支部三役と関係支部長を含めた対策会議が行われた。ここでは2月1日からの「ちばディスティネーションキャンペーン」に対する抗議行動を展開することを確認した。これは、県をあげた観光客誘致の大キャンペーンで、とくに内房線に蒸気機関車を走らせることが全体の目玉商品であった。JR千葉支社長は、このキャンペーンの副代表をしていながら、その最中に内房線の列車切り捨てを目的とした館山運転区を廃止しようとしていたのである。
2月1日には、堂本知事が千葉駅前で出発式のテープカットしようとしたまさにそのときに、「館山運転区廃止は内房線切り捨てだ!」というマイクの声が響きわたった。JRの課員が血相を変えて飛んでくるなかで断固抗議行動を貫徹し、4日には館山駅前で、蒸気機関車が到着する時刻、観光客や地元の人たちでごった返す状況のなか、80名の結集で大宣伝を行なった。
事前に市内全域にチラシを新聞折り込みしたこともあり、「署名運動もやってほしい」「ビラに書いてあるとおりJRは本当にひどい」「地元のことなど何も考えていない」と、ここでも反響は予想を超えるものであった。
また駅頭宣伝の後、館山運転区前に移動して区長に対する抗議行動・抗議集会を全体で展開。さらに16日には木更津駅での駅頭宣伝と2回目の両支部の交流会を開催し、決戦段階の闘いに向け、磐石の団結を固めた。

異動をめぐる攻防非協力闘争の拡大

2月の闘いの焦点は、基地廃止に伴う人事であった。3・18ダイ改に向け、千葉支社は、誰をどこに異動するのか人事を最終的に決定しようとしていた。
人事をめぐっても、いくつか攻防の焦点があった。ひとつは、「DL業務」をめぐる問題である。レールや砕石の輸送をDL機関車で行なう工事用臨時列車の担当は千葉運転区が行なっていたが、電車とディーゼル機関車の免許を両方持っている者の数は少なく、要員が逼迫していた。しかも千葉支社は、新たに養成した東労組の組合員は、木更津運輸区から動労千葉の組合員を排除するために、全て木更津に投入してしまったのである。一方、館山運転区には、両方の免許を持っている組合員が8名居た。当局は、この8名を片道2時間以上もかかる千葉運転区に無理やり配転しようとしていたのである。
もうひとつは、内勤担当とか事務係など、基地統廃合によって、そのポストそのものがなくなってしまうか、大幅に縮小し宙に浮いてしまう組合員の異動問題であった。
2月18日に開かれた定期委員会方針に基づいて、職場では非協力闘争の拡大方針が討議された。具体的には「所定以外の業務は一切行なわない」ことを争議として通知するという方針だ。運転士の場合、列車が正常に運行していれば問題はないが、運行が乱れた場合、所定以外のスジへの乗務や、入換、入出区、分割・併合、動力看視等、所定以外の業務が発生することになる。その場合、それを拒否してその場から個々に指名ストに突入するという方針である。
いつどのような状況が起きて指名スト突入するかはあらかじめ想定できず、しかもスト突入の場面では運転士ひとりの判断になる。組合員全員の万全の意志統一ができなければ貫徹できない方針である。様々な場面を想定して個別オルグが行なわれた。「この方針でやれるか?」

「ここまできたらやるしかあんめえ」

団体交渉は2月27日に設定され、前日、この方針は当局に通告された。「明日の団体交渉での回答如何によって、2月28日から所定以外の業務については一切拒否する非協力闘争に突入する」。
団体交渉には、50名の組合員がつめかけた。千葉支社の回答は、それまでとはうって変わって「希望については最大限尊重する」というものであった。JR発足以来20年間、このような回答は聞いたことがなかったものだった。両支部を先頭とした気迫の前に、当局をここまで追い込んだのである。

春闘ストライキへ!

翌日にも異動の事前通知が行なわれようという状況のなか、3月4日には、400名の結集で春闘総決起集会・千葉支社抗議デモを開催。ここでは、闘いが大きな成果を切り開きつつあることを確認した上で、次のことが意志統一された。「われわれはこの間の闘いによって、異動の希望という点では、当局に要求を押し込みつつある。しかしもう一度基本に返ろう。この闘いは不当配転を阻止するための闘いだったわけではない。館山運転区、木更津支区というわれわれの闘いの拠点を潰す攻撃との闘いだ。基地廃止は絶対に認めない。これがわれわれの基本的な立場だ。もう一度基本に返り、最後の日まで絶対反対の闘いを貫いて、3月17日~19日のストライキに立ち上がろう」。
3月5日から行なわれた異動の事前通知は、ほぼ百%、組合員の希望どおりのものであった。われわれは、総力をあげた9ヵ月の闘いによってかちとったこの成果を確認しつつ、ストライキの体制を確立していったのである。
ストライキの直前には、改めて地域へのあいさつにも回った。「残念ながら、力及ばずして廃止を止めることは出来ない状況になった。われわれはストを実施します」という報告に対し、市も観光協会も商工会議所も、びっくりするほどの友好的な対応であった。「JRは全くとりあってくれないから」と、動労千葉に対し、今後の要望が次々に寄せてくるという対応である。闘いの当初はおずおずとしていた組合員の対応も自信に満ちて胸を張ったものになっていた。

新たな闘争体制を確立

ストライキの最中の3月18日には、館山支部の解散大会が開催され、続いて両支部の全組合員が合流して木更津支部の臨時大会が開催され、直ちに新たな闘争体制が確立されたのである。
館山支部解散大会では、次のとおり確認された。「伝統ある動労千葉館山支部は、残念ながら今日をもって一旦幕を降ろすことになりました。館山運転区は、安房北条機関区(1919年5月開業)と呼ばれた時代から88年間の歴史を閉じます。機関車労組結成から57年、動労千葉結成から28年、先輩たちが営々と守りぬいてきた職場を失うのは本当に悔しいことです。
支部組合員は、本日をもって木更津、鴨川、幕張に分かれることになりますが、館山支部はこの9ヵ月間、最高の団結力を発揮して闘いを貫徹しました。労働者こそ職場の主人公・社会の主人公であることを示しぬきました。この闘いの中で、組合員一人ひとりが大きく飛躍しました。そして館山支部・木更津支部と動労千葉の団結破壊を狙った卑劣な攻撃をはね返し、勝利したと高らかに総括することができます。今回の闘いは、原則を守って闘えば必ず展望が開けることを示しました」
また木更津支部の臨時大会では、「今回の攻撃に対する回答は、新生木更津支部を動労千葉の最強支部にすることである」ことを確認し館山から合流した仲間たちも含めた新執行体制が確立された。
(つづく)

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