三里塚·ジェット闘争貫徹!「国鉄35万人体制」粉砕!
青年部は、10月総決起の先 頭に立つぞ!
YOU
ME. 乐葉
勤劳千葉
10、11いざ三里塚へ!
青年部30名で千葉駅街置にあ
9月21日、夕刻、宣伝カー、横断幕、ゼッケン、ハチマキ
で、署名·カンパ·ビラまきを貫徹。「二期阻止」を訴えた
青年部はその先頭を担ってほしい」
すことはできない。弾劾決議案を提
青年部長
破口に反戦·反合、総反撃の闘いを。
る時代に入った。三里塚の勝利を突
長は「動労千葉独立の真価を発揮す
来賓として挨拶に立った関川委員
を述べた。
一の勝利の道がある」と決意と方針
闘いをぶちぬいていこう。そこに唯
三里塚から軍事大国化阻止=反戦の
期攻撃を今秋総決起でむかえうち、
総力を傾注してかけてきた三里塚二
機を日に日に強めている。支配者が
情勢はもっと急テンポに戦争への危
展望がさし示されている。 しかし
中に日本労働運動の進むべき方向と
との死闘を通した前進、このことの
トの勝利と、密集した反動·反革命
間であった。労農連帯の三月決戦ス
価を発揮したすばらしい闘いの一年
「過ぐる一年間はわが動労千葉の真
れた。田中青年部長が挨拶にたち、
藤(幕張)両代議員が議長に選出さ
会で開始され、新井(千葉転)·伊
じられる。9時30分、新藤常任の司
ンに、青年部の気迫がビンビンと感
10 · 1総決起を確認
活発な討論通し、
と連帯の挨拶を行った。
実行委の長谷川杉並区議が各々激励
長小高氏、支援共闘を代表して東京
組合を代表して全遞千葉地区青年部
利しょう(新小岩)」等のほか、新
国鉄労働運動の存亡かけた闘いに勝
物大合理化などすさまじい攻撃だ。
よう」と決意表明。千葉県下各労働
体制の提案を見ても、検修民託·貨
日本の労働運動を今こそつくりかえ
でぶちぬこう(津田沼)」「35万人
らかけつけ「本山ー動労千葉を軸に
とが労働運動の中心課題だ。三里塚
·本山労組から中野書記長が仙台か
守して、不屈の長期争議を闘う全金
激しく訴えた。労働運動の原則を死
ルを全ゆる戦線から一掃しょう」と
い。公団の手先、全人民の敵=革マ
をあげている革マルは断じて許せな
正面にかかげられたこのスローガ:と激励。三里塚芝山連合空港反対同
悪らつなデマ宣伝で同盟破壊に血道
盟北原事務局長は「二期決戦を前に
F
えた活発な討論に移 った。
「この戦争へ
!(成田 ) 」
員参加しょう
更をしても全
年休 · 交番変
は青年部員は
だ。10·11 に
の総決起の砦
くだく全人民
動政治をうち
こそ戦争や反
)」「三里塚
案する(勝浦
尽きない。たとえ無罪で終っても許
「革マルによる告訴に対して怒りは
間の豊富な闘いの成果·体験をふま
報告、情勢·方針等をうけて、一年
常任委員会よりの総括提起、会計
2
会計監査
=
”
記
任
長
常 書 副
常
”
了新常任体制
唱レレ時成功裡に終了した。
中青年部長の音頭でガンバローを三
手で確認、新常任体制を確認し、田
後に10·11総決起を全員の圧倒的拍
にわたって熱心な発言がなされ、最
止反対、転勤· 結婚· 産休問題等々
援基金運動、全国オルグ、木原線廃
マル生攻擊、労戦「統一」問題、支
の動きといかに対決するか、このこ
ーメインスローガンー
三里塚二期決戦の爆発で、労働運動の未来をきり拓け!
密集せる反動と反革命を打ち砕け!
せまりくる戦争と反動の嵐を突き破れ!
青年部の総決起に更に一段の拍車がかかったのである。
熱気あふれる討議をもって委員会は圧倒的成功を勝ちとった。
10·1三里塚へ! 10月総決起の先頭へ!–––職場で、街頭で、
一支部より代議員·常任委員·傍聴者約一〇〇名が結集し、終日
年部定期委員会が開かれた。初参加の銚子支部青年部を含め全十
九月二十六日、労働者福祉センターに於て、第四回動労千葉青
中動字葉 青年部定期去員会圧倒的成功
かちとる
動労千葉·
定期委
第4円
青年部人大
じまりくる素争とぶり。 生类さかれ !!
ア集せる反動
くだけ!
笹島伊三美
国東
孝
山
田
内田
阿津
永島
笠井
岡安
新藤
井
上
繁
沢
田
長田
中
浩幸
哲郎
敬一
敬 敏
正
雄
1
護 検 修 · 24
晃 構 運 · 12
務 清
之
構 運 · 2
検修· 24
構 運 · 21
電運士 · 2
機関士 ·23
電運士·24
検修·24
電運士 · 24
電運士 · 24
新小岩
幕張
木更津
成 田
新小岩
津田沼
勝
康宏 検 修 · 25 才津田沼
佐 倉
館 山
幕 張
千葉転
機関士 · 23 蘇 我
全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ!
Usn!
印動劳千葉
動
11
11
81.9.30
No.857
(鉄電)二九三五~六·(公衆)日四さ二(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合
青年部は、10月総決起の先 頭に立つぞ!
YOU
ME. 乐葉
勤劳千葉
10、11いざ三里塚へ!
青年部30名で千葉駅街置にあ
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で、署名·カンパ·ビラまきを貫徹。「二期阻止」を訴えた
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青年部長
破口に反戦·反合、総反撃の闘いを。
る時代に入った。三里塚の勝利を突
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来賓として挨拶に立った関川委員
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一の勝利の道がある」と決意と方針
闘いをぶちぬいていこう。そこに唯
三里塚から軍事大国化阻止=反戦の
期攻撃を今秋総決起でむかえうち、
総力を傾注してかけてきた三里塚二
機を日に日に強めている。支配者が
情勢はもっと急テンポに戦争への危
展望がさし示されている。 しかし
中に日本労働運動の進むべき方向と
との死闘を通した前進、このことの
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間であった。労農連帯の三月決戦ス
価を発揮したすばらしい闘いの一年
「過ぐる一年間はわが動労千葉の真
れた。田中青年部長が挨拶にたち、
藤(幕張)両代議員が議長に選出さ
会で開始され、新井(千葉転)·伊
じられる。9時30分、新藤常任の司
ンに、青年部の気迫がビンビンと感
10 · 1総決起を確認
活発な討論通し、
と連帯の挨拶を行った。
実行委の長谷川杉並区議が各々激励
長小高氏、支援共闘を代表して東京
組合を代表して全遞千葉地区青年部
利しょう(新小岩)」等のほか、新
国鉄労働運動の存亡かけた闘いに勝
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よう」と決意表明。千葉県下各労働
体制の提案を見ても、検修民託·貨
日本の労働運動を今こそつくりかえ
でぶちぬこう(津田沼)」「35万人
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とが労働運動の中心課題だ。三里塚
·本山労組から中野書記長が仙台か
守して、不屈の長期争議を闘う全金
激しく訴えた。労働運動の原則を死
ルを全ゆる戦線から一掃しょう」と
い。公団の手先、全人民の敵=革マ
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正面にかかげられたこのスローガ:と激励。三里塚芝山連合空港反対同
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盟北原事務局長は「二期決戦を前に
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員参加しょう
更をしても全
年休 · 交番変
は青年部員は
だ。10·11 に
の総決起の砦
くだく全人民
動政治をうち
こそ戦争や反
)」「三里塚
案する(勝浦
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間の豊富な闘いの成果·体験をふま
報告、情勢·方針等をうけて、一年
常任委員会よりの総括提起、会計
2
会計監査
=
”
記
任
長
常 書 副
常
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了新常任体制
唱レレ時成功裡に終了した。
中青年部長の音頭でガンバローを三
手で確認、新常任体制を確認し、田
後に10·11総決起を全員の圧倒的拍
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援基金運動、全国オルグ、木原線廃
マル生攻擊、労戦「統一」問題、支
の動きといかに対決するか、このこ
ーメインスローガンー
三里塚二期決戦の爆発で、労働運動の未来をきり拓け!
密集せる反動と反革命を打ち砕け!
せまりくる戦争と反動の嵐を突き破れ!
青年部の総決起に更に一段の拍車がかかったのである。
熱気あふれる討議をもって委員会は圧倒的成功を勝ちとった。
10·1三里塚へ! 10月総決起の先頭へ!–––職場で、街頭で、
一支部より代議員·常任委員·傍聴者約一〇〇名が結集し、終日
年部定期委員会が開かれた。初参加の銚子支部青年部を含め全十
九月二十六日、労働者福祉センターに於て、第四回動労千葉青
中動字葉 青年部定期去員会圧倒的成功
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動労千葉·
定期委
第4円
青年部人大
じまりくる素争とぶり。 生类さかれ !!
ア集せる反動
くだけ!
笹島伊三美
国東
孝
山
田
内田
阿津
永島
笠井
岡安
新藤
井
上
繁
沢
田
長田
中
浩幸
哲郎
敬一
敬 敏
正
雄
1
護 検 修 · 24
晃 構 運 · 12
務 清
之
構 運 · 2
検修· 24
構 運 · 21
電運士 · 2
機関士 ·23
電運士·24
検修·24
電運士 · 24
電運士 · 24
新小岩
幕張
木更津
成 田
新小岩
津田沼
勝
康宏 検 修 · 25 才津田沼
佐 倉
館 山
幕 張
千葉転
機関士 · 23 蘇 我
全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ!
Usn!
印動劳千葉
動
11
11
81.9.30
No.857
(鉄電)二九三五~六·(公衆)日四さ二(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合