「岸田は帰れ」とヤジ
4月27日の連合メーデー。2年続けて岸田が来賓としてあいさつ。「岸田は帰れ」「ひっこめ」「能登へ行け」と抗議の声が上がった。メーデー後、連合・芳野会長は「招待した来賓にヤジを飛ばすのは申し訳ない」と謝罪する。「労働者の祭典」に労働者の生活を破壊してきた岸田を呼んで「帰れ」とヤジられたのは当たり前な話だ。さらにメーデーに参加するのにはカバンを開けての荷物検査、金属探知まで行われたという。
24春闘は、岸田も財界も「賃上げ」を叫ぶという異様な状況での闘いとなった。その攻撃の本質は「国家のための賃上げ」「戦争のための春闘」だ。連合は、資本とともに「生産性の向上」を掲げ、「賃上げ」のためなら労働者の権利を売り渡し、労働者を戦争に動員していく存在になろうとしている。今こそ、闘うメーデーを復権しなければならない。
24反戦春闘を闘う
JRが鉄道の歴史を覆すような攻撃をしかけ、政府・財界と連合が一体となって春闘から労働者の闘いをなきものにしようとし、岸田政権が戦争国家化に突き進むという情勢の中、動労千葉は誇り高く、3月15日から16日のストライキを「反戦春闘」として貫徹した。
戦争反対の闘いの先頭に立って闘うこと―労働組合の最も本質的な課題である。これこそが世界戦争を経験してきた労働者階級の闘いの原点だ。
4月の岸田訪米―日米首脳会談は、「60年安保改訂以来の大転換」と言われる歴史的な戦争会談となった。日米の両軍が指揮・統制機能を実質的に一体化させ、対中国侵略戦争体制が確立された。国会では大軍拡予算、地方自治法改悪などの国家総動員体制を構築するための反動法成立が狙われている。
労働運動を再生させよう
ウクライナ戦争は長期化・泥沼化し、ガザでは大虐殺が今なお続けられている。資本主義・帝国主義が成長の余地を失い、戦後体制の基軸であるアメリカ帝国主義の歴史的な没落と支配体制の破綻の中で、再び世界戦争の危機が迫っている。これに対して、世界中で時代を揺るがす闘いが開始されている。
労働者に国境はない、労働者階級は一つだ。日本でも大きな闘いのうねりを巻き起こそう。関西生コン支部弾圧、港合同・昌一金属支部への攻撃を打ち破り、組織拡大でJRにおける「労組なき社会」化攻撃を粉砕しよう。
5・1メーデーを新たな起点に、闘う労働運動再生へ、11月集会の更なる成功・飛躍をかちとろう。
あらためて「メーデー」とは
5月1日は、「労働者の闘いの日」=メーデーです。
本来「メーデー」とは、ヨーロッパの各地で夏の訪れを祝う、「五月(MAY)祭り」を意味しました。労働者の日としてのメーデーは、1886年5月1日にアメリカでシカゴを中心に8時間労働制(8時間は労働に、8時間は休息に、8時間は自分の好きなことに)を要求して統一ストライキを闘ったことが始まりです。
日本でも、今の連合などの「官製メーデー」とは大違いで、1946年の「食糧メーデー」、1952年の「血のメーデー」と終戦直後の厳しい食糧事情、劣悪な労働環境に対し「生きさせろ」と命をかけた激しい闘いがありました。