(6144号からつづく)
「 重心高さ」 の問題
103系
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209系
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E231系
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重心高さ
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1,544㎜
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1,614㎜
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1,556㎜
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では、自ら「軽量化と転覆、浮き上がり防止は矛盾する要素技術」とした問題はどのように「 解決」 しようとしていたのか。「重心高さの管理」によってであった。
重心高さについては、現場では全く明らかにされていないので、はっきりとしたことは分からない。だが、公表されている数値は次のとおりである。
これは「台車を除く完成車体での数値」とされている。
また、車体+台車で、209系先頭車の重心高さが1436㎜という数値が記載されている資料もある。
さらに「台車のバネ装置の変位で重心は見かけ上15~25%高くなる」と言われており、後者の数値ラ 25%増で計算すると、1615㎜となる。これらから見ると、確かに大幅に重心が上がるという設計はされていないと考えられる。しかし、台車の軽量化、と くに重さ1tほどもある床下のボルスタ(枕はり)を取ってしまったことによって、車両の重心は確実に高くなっている。
台車を軽くし、なおかつ重心高さを維持しようとすれば、否応なく車体はもっと軽くしなければならないというベクトルがはたらく。
ここでも車両の安全性を無視した軽量化のいたちごっこが起きているのではないかと考えられる。
しかも、ここには大きな落し穴、ごまかしがある。重心高さが1600㎜とすれば、重心位置は乗客が乗った場合、膝下ぐらいの位置になる。乗客が乗った分 だけ重心位置は上がるということだ。しかも、車体が大幅に軽量化されていることを考えれば、乗客が乗車した場合の重心の上昇率は、従来の車両と比べずっと 大きくなるということだ。しかも人間は頭が重いのである。
これはすべて当たり前の常識に過ぎない。しかし、こうした問題が指摘され、検討された形跡はなく、意図的に無視・封殺したとしか考えられない。実際、 JR西日本は尼崎事故の後、「車両に砂袋を置いてカーブ走行実験をする」というが、重心高さという問題を考えた場合、これは実際の条件とは全く違ったもの になる。「安全上問題なし」というデータを得るという結論だけが先にあり、そのために仕組まれた実験だというしかない。
また、曲線のカント設定─速度設定等は、車両の重心高さ1600㎜を前提として計算されているという。ここでも実態とかけはなれたことが平然と行われている。ラッシュ時等の重心は、明らかに1600㎜を大きく超えているのだ。
「軽量化と転覆、浮き上がり防止は矛盾する要素技術」とされた安全上の問題点の、唯一と言っていい解決策が「重心高さの管理」であったが、それもこのようなものでしかないのである。これでは事故が起きない方が不思議だと言わざるをえない。
技術的破たん点?
さらに、209系以降は、車体幅を2800㎜から2950㎜に広げた「 幅広車両」 が標準化されている。ラッシュ時の混雑緩和のために導入されたものだが、これはいうまでもなく曲線等での車両の安定性を損なうものである。JRの軌間は狭 軌(1067㎜)だから、車体は車輪よりも1m近く左右に張り出していることになる。わずかな拡幅に過ぎず問題はないというかも知れないが、当初から曲線 での安定性が問題視されているボルスタレス台車、そして極端な軽量化という問題が重なったときに、本当に問題無しと言えるのか。
狭軌だから即危険ということではないが、標準軌(1435㎜)と比べて曲線での安定性が大きく落ちることは言うまでもない。例えば、狭軌で限界速度 130㎞/hの曲線は、標準軌なら145㎞/hになる。規定上定められた最大カントは狭軌では105㎜で、このとき左右のレールの傾斜は5・6度。標準軌 では200㎜、傾斜角度7・4度である。
日本で鉄道が敷設された当初、強いられた条件のなかで採用された狭軌。当初は認識されていたであろう限界性が忘れられ、スピードアップ、軽量化、ボルス タレス台車の採用、幅広車両の導入、……といった不安全要素が次々に付加されたときに、いつか技術的な破たん点に行き着くことは避けられない。
とくに民営化以降、営利優先主義のもとで、まともな検証もされず猛烈な速度で進められたこうした車両設計の変更が、まさに破たん点に行き着いたことを示したのが尼崎事故ではなかったのか。
安全無視の技術思想
六本木ヒルズの事故以降、回転ドアの危険性が社会的問題となり、様々な検討が行なわれている(JR東日本もその検討会に参加している)が、その結果、次のような問題点が浮かび上がってきたという。
回転ドアの安全性に関する設計上の基本思想は、回転部分は可能な限り軽くなくてはならないということであった。何かが挟まってセンサーが働いたときに瞬時に止まるため、あるいは挟まってもドアの方が変形して人体の安全を守るためにである。
ところが、ヨーロッパから回転ドアを輸入したメーカーは、豪華さを求めるユーザーの要求に応じて、軽量化のためにアルミでできていたドア枠をステンレス にし、どんどん大型化し、その結果重さで回転部分に歪みが生じるようになったのでさらに骨材を組み込み、今度は駆動モーターに負荷がかかり過ぎるように なったため、モーターが何機も付加され、しかもそれを回転部自体に乗せる形で設計し……、結局回転部分だけで数トンにもなるようなドアができ上がるように なったというのである。そして、センサーが働いても直ちに止まらないようなドアとなって子供の頭をおし潰し、生命を奪った。
「 回転部分は軽くなければいけない」 は、ヨーロッパでは設計上の常識だったというが、それは日本では忘れ去られ、継承されず、次々と安全を無視した付加設計が行なわれ、そして回転ドアは殺人マシーンに変貌したのである。
しかも、死亡事故が起きた後、実は同種事故が何百件も起きていたことがはじめて明らかにされている。
JRでも、車両の設計をめぐってこれと同じことが起きているのではないかと考えざるを得ない。しかもJRは、尼崎事故が起きてなお、何ひとつ反省しようとしていないのである。
JR東日本の車両設計者は、一般向けに書かれた車両設計の考え方についての文章を次のように結んでいる。「電車を待っていると……、決まって自分が設計 を担当したところに目が行き、それを目が追いかけている。……しかし、うまくいった設計ばかりではない。……そして胸がズキッと痛む。……(車両設計は) 実にミステリーでワクワクする」と。車両の安全性に関する設計思想の基本がどこに置かれているのか、という提起は全く無い。
列車の利用者は、JR東日本だけでも毎日1600万人に及ぶ。1600万人が、日々ミステリー列車に乗せられ、人体実験にかけられているのではないかという危惧を抱かざるを得ない。
(つづく)