蘇我支部 24年の歴史に幕を閉じる 30名の仲間が蘇我を後に

1898

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「八卦· 民営化」阻止/三里塚二期着工粉砕!
動労千葉蘇我支部解散式
路和00年3月20日
90厂生財力中学出租公
くやしさを怒りとがえてゆりい続ける
32名の仲間がい0-3基地廃止の蘇我もあとは
を決意し、散会した。
葉の組合員として誇りをもってがんばりぬくこと
構内での記念撮影の後、懇親会を行い、動労千
し、団結ガンバローをもって幕を閉じた。
大会は、全員でスクラムを組み、組合歌を合唱
認された。
「経過報告」「決算報告」が提起され、直ちに確
全支部の代表から激励のあいさつを受けた後、
全員で組合歌を合唱し幕を閉じる
·24五割動員を実現しよう」と訴えた。
を怒りに変えて新たな職場で闘いぬくために、3
勢について報告し、最後に「基地廃止のくやしさ
部組合員の労苦をねぎらうとともに、とりまく情
つづいて本部を代表して布施書記長がたち、支
て支部長として最後のあいさつとする」と述べた。
––大塚支部長が最後のあいさつ–
団結して3·2
24に結集しょう
なった。
場で闘いぬく決意をあらたにしている。
い。全員が希望通りの転勤をかちとり、新たな職
しかし、精一杯闘いぬいた組合員に敗北感はな
なくされ、24
24年間の歴史にピリオドをうつことと
わらず、「60 ·3」をもって「派出所」化を余儀
支部を先頭とした廃止絶対反対の闘いにもかか
一〇一基地廃止の一つとして廃止が提案された。
人減らし攻撃の激化の中で、昨年8月、全国
ところが、国鉄「赤字」を理由とする合理化!
くの役員を輩出してきた。
であると同時に、組合運動も活発に展開され、多
するSLの基地として、管内乗務員のせん望の的
て結成された。SL全盛時代、内、外房線を疾走
廃止に伴い、新たに開設された蘇我機関区におい
味からも3·24三里塚に結集することをお願いし
者が団結をなくしたら力はゼロに等しい。その意
理化攻撃の中で果敢な闘いを展開してきた。労働
とを報告する。国鉄情勢は厳しいものがあり、合
24年の歴史をもつ蘇我支部がその使命を終えるこ
合活動をしてきた。残念ながら、3·14をもって
行部は一年間、団結をもって困難をのりこえて組
冒頭、あいさつにたった大塚支部長は「私達執
長に宇佐美氏を選出してすすめられた。
言、茅野書記長から資格審査結果が発表され、議
小幡氏の司会により、菰田副支部長が開会を宣
の代表者が出席し、構内検査詰所で開催された。
大会は、支部組合員はもとより、本部、全支部
蘇我支部は61年2月1日、当時の千葉機関区の
全員が新たな職場で闘いぬく
した。
本当にごくろうさまでした。
(右より)大塚支部長、田副支部長、茅野書記長、に
熱い拍手が送られた。(左端は、司会の小幡氏)
全支部からも代表が激励にかけつけた。
全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ!
は、くやしさを怒りに変え、新たな職場で闘いぬく決意を胸に、永年住みなれた職場をあとに
た蘇我機関支区において、蘇我支部の旗おろし大会が開催された。他区転勤となる組合員32名
丸動为千葉
85. 3. 25
10
2
3月20日、当局の合理化ー人減らし政策の強行により、「60·3」をもって派出所化となっ
万感胸に、3月20日「旗おろし」大会
蘇我支部、4年の歴史に幕んじる
No. 1898
国鉄千葉動力車労働組合
(鉄電)二九三五~六·(公衆)〇四七二(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
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