仲間を信じ団結した動労千葉の闘い
仲間を信頼し仲間を裏切らない
山口敏雄さん 元副委員長
4月8日で87歳になります。結成40周年の時、45周年はないだろうと思っていましたが、今日話ができることになりました。
79年3月30日結成の時に当時の関川委員長と中野書記長と一緒に、私も執行委員になりました。40周年の時にいた当時の執行委員の仲間も亡くなり、現在は私一人になりました。
当時、私は交渉部長で、国鉄が民営化になってストライキをやるにはどうするのか、私鉄の労組に、労働省や労働委員会への通知やスト権確立手続きなどを教わりました。
国鉄時代は記者会見を開き、「ストライキをやる」と勝手にやってきましたが、民営化以降はストをどうやるのか苦労したことが思い出にあります。
労働組合とは何か? 「仲間を信頼し仲間を裏切らない」が基本だと思います。動労千葉は全国の闘う仲間と共に今後も歩み続けて行ってほしいと思います。
三浦久吉さん
久留里線と地域を守る会代表
45周年、もうそんなになったか、という気持ちです。
79年の結成前後、動労本部革マルが組織の切り崩しのために全支部オルグに来ました。組合一丸となって阻止行動を行い、内房、外房、総武本線の駅や電車の中でもみ合いになったりしながら、切り崩しを全部阻止しました。
会社の攻撃に率先して協力してきた今の革マルのみすぼらしい姿を見た時、私たちの闘いが正しかったと確信を深めていることです。久留里線の闘いも、それを引き継ぐものとして進めていきます。
久留里線はじめ全国各地で、公共交通の国鉄を民営化した国が、廃線にするかどうかを沿線住民と話を進めることなど絶対に許せません。地方を切り捨て、戦争に向かって国の予算を全部そこにつぎ込むそうです。踏ん張らないと戦争になるのではと危機感をもって、闘いをやっていきたいと思います。
桜沢明美さん
45年間は、動労千葉の組織破壊攻撃との闘いでした。勝浦、館山、成田と拠点職場が全部廃止され、動労千葉をつぶすという1点で攻撃がかけられてきました。久留里線廃止も動労千葉つぶしが目的です。「動労千葉は異常なほどしつこい」と言われてきました。しつこく久留里線廃止攻撃を粉砕するまで闘うつもりです。
綾部光男さん
勝利の核心は、動労千葉・総連合を軸にOB会、家族会、共に闘う仲間があったからです。労働運動の低迷状況に立ち向かった45年間だったと思います。今回の動労千葉48時間スト、水戸や高崎、西日本での決起は大きな闘いの渦を作り出しました。仲間を信じ団結したからできたと思います。
永田雅章OB会会長
動労千葉は明るく闘ってきました。「顔で笑って腹で泣く」。これが45年の組合人生でした。今年7月で80歳になります。頑張りますのでよろしく。
高石正博さん
72年船橋事故の時、当時若かったので辞めるか闘うか踏ん切りがつかなかったが、中野顧問に「我々が生き抜くためにはこの闘いが必要なんだ。苦しいほうに向かっていけ。楽な方に行くな」と言われました。僕を応援してくれた人たちが動労千葉の執行部になり、この人たちに助けられて頑張ってきました。1047闘争が決着するまで頑張ります。
高橋邦彦さん
今日の動労千葉があるのはジェット燃料輸送阻止支援共闘があったからです。革マルとの闘いでもいつも先頭で闘ってくれました。館山支部からの急報を受けて、動労本部オルグ団が向かっていることに対する抗議行動で列車が止まるような大騒ぎになったこともありました。この時も支援共闘が一緒に闘ってくれました。私は支援共闘なしに今日を迎えられなかったと一言申し上げてお礼にかえたい。
椿 勇さん
ここに呼ばれるのはそれなりの理由があるからだと思います。ありがとうございます。まだまだ頑張ります。動労千葉頑張れ!