組合員2名が、11月15日付、12月1日付で幕張車両センターに復帰した。長い間ご苦労様でした。
この間、春闘ストや尼崎事故に対する安全運転行動を理由として、復帰がストップさせられるなど、当局からの様々ないやがらせもあり、2年ごしの闘いとなったが、様々な障壁を打ち破って、これで、検修区を希望した仲間たち14名全員が職場復帰を実現した。
勝利!14名全員が職場復帰 組合員2名が、それぞれ11月15日付、12月1日付で幕張車両センターに復帰した。これで、14名全員が職場復帰を実現した。 【写真】現場復帰を果たした14名の動労千葉組合員(幕張車両センターにて) |
この卑劣な攻撃!
Nさんは、元々千葉運転区の運転だったが、1986年3月、車両故障による列車遅延時に、乗継ぎとなる大網駅で、当直助役の承諾を得 た上で食事をとったところ、後になって「遅延を拡大させた」などという言いがかりをもって「停職1ヵ月」の不当処分を発令され、さらにそれを理由に船橋人 活センターに強制配転。その後も久留里線無人駅担当、安房鴨川駅等をたらい回し的にされ続けてきた。実に19年8ヵ月ぶりの運転職場復帰だ。
Tさんは、元々勝浦運転区の運転士だったが、1987年3月、国鉄分割・民営化時にJR移行を前提とした職員配属で不当な差別によって本務を外されて 「御宿セールスセンター」(セールスセンターとは名ばかりで実際は全く業務実態のない隔離収容所)に配属され、その後も安房鴨川駅などをたらい回しされ続 けてきた。運転士を外されてから18年8ヵ月ぶりの運転職場への復帰だ。
われわれの誇り!
この間のことを思うと、改めてはらわたが煮え繰り返るような怒りを新たにする。一人の労働者の人生を奪うような卑劣な差別をやった奴ら=国鉄当局、JR東日本や、東労組革マルに怒りが燃え上がる。
そしてその攻撃に屈せずたち向って、労働者の魂を守りぬいたすばらしい仲間たちを心から誇りに思う。
2人は本来運転士だ。各駅等には、まだ運転士復帰の日を待ち望みながら頑張っている仲間たちがまだ多くいる。さらには、運転士資格を取得しながら卑劣な 差別によって士職に発令を拒否され続けている予科生の仲間たちもいる。だから今回の幕張車両センターへの14名の復帰は、強制配転粉砕-原職復帰に向けた ほんの一歩に過ぎない。
しかしこれは、全組合員の団結力と闘いでこじ開けた大きな一歩だ。
5年間にわたる闘いの成果!
この職場復帰実現は、5年前、業務外注化と抱き合わせにされたシニア協定の締結を拒否するという決断が突破口となってこじ開けられたものだ。
シニア協定は、定年後の再雇用という切実な問題を人質にとって、検修業務等の外注化を呑ませようという卑劣極まりない攻撃であった。われわれはこの攻撃 に断固としてたち向うことを決断し、また検修職場におけるねばり強い非協力闘争、何波にもわたるストライキを貫徹して、それによって検修・構内業務の外注 化を阻止するという画期的な成果をきり開いた。これが、強制配転者の検修職場復帰をこじ開けたのである。
新たな闘いへ!
この間の闘いは、労働組合の原則と団結を守り、闘いの道を貫けば、展望は必ず切り開かれることを示した。尼崎事故に対する反合・運転保安確立の闘いもそうである。
14名の職場復帰は、JR体制に確実に風穴を開けた。それは未だ蟻の一穴かも知れない。しかしわれわれは、この風穴を絶対に押し広げる決意を新たにした。
予科生の士職登用、昇進差別撤廃、安全崩壊の危機にたち向う反合・運転保安確立の闘い、そして何よりも組織拡大に向けた闘いなど、未だわれわれの前には 解決しなければいけない課題が山積している。自信と確信をもって新たな一歩を踏み出そう。新たな闘いに前進しよう。