第2回乗務員分科学習会 中野委員長が講演

1966

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国鉄「分割 ·民営化」阻止!三里塚二期着工粉砕!
陶いなくして安全なし
「反合·運転保安前争の歴史と教訓」

2回乗務員分科学習会で中野委員長が講演
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K
N
1>
使務員分科学習
(1)
..
次長期計画の最中、
自らの体験をもまじ
えて、国鉄労働運動の
歴史·教訓を語る中野
委員長。
組合の強い
わめたが、
は熾烈をき
マル生攻撃
修新体制、
士廃止、検
生した。 助
見事故が発
三河島 · 鶴
は赤字におちいり、近代化、合理化攻撃の中で、
一九六四 年より国鉄財政
ライキが出来ない時代が続いた。第一次~第三
その後、 一九六一年頃までは、国鉄はスト
の三大レームアップ事件が起きた。
の首切りがあり、その過程で下山·三鷹·松川
与えられた。そして、定員法により九万七千人
となり、公労法が施行され、団結権·団交権が·
力な実力順法闘争を闘い抜き、高石運転士の職
トライキ権が剝奪され、一九四九年に公共企業体
したのである。
戦後、政令二〇一号により官公労労働者のス
時に、国鉄労働者に対し過酷な労働条件を強制
日本の資本主義を発展させてきたが、それは同
策として建設、経営され、輸送の大動脈として
どうしても国鉄が必要であるところから国家政
来たものである。当時は富国強兵の時代であり、
が何によってひき起されたかは明白である。
国鉄は明治時代、私鉄を政府が買い上げて出
間の国鉄の歩みを見れば、現在の国鉄財政危機
国鉄の戦後史について
我々の未来は開けない」とし、次のように語った。
の結果、「各自が団結して闘っていかないかぎり、
葉気動車区時代の貴重な闘いの体験を語られ、こ
最初に、青年部当時、自分が身をもって闘った千
史と教訓」をメインテーマに講義は始められた。
れた」と紹介があり、「反合·運転保安闘争の歴
率先して動労千葉の第一人者として指導してこら
安田事務長より「中野委員長は青年部時代より
「反合·運転保安闘争の歴史と教訓」
れた。
可動芳千葉
85.6.17
6
より、千葉運転区講習室において開催する。
らことを決意して終了した。
参加した会員は、反合·運転保安確立にむけて闘
(4) 激化する現下の国鉄情勢と我々の闘い
(5) 何故、反合·運転保安闘争なのか
1
(2)
なお、第三回学習会は六月二十六日(水) 十時
以上、十五時三十分まで意義のある講演をされ、
次回は六月二十六日に開催
は徹底的におびやかされる。
何物でもない。その結果、鉄道輸送業務の安全
動の解体と過酷な労働強化、首切り攻撃以外の
2
1
再建監理委の七月答申の狙いは、国鉄労働運
運転保安確立はありえない。
したがって、合理化反対闘争をぬきにして、
安部門や労働条件の改善を行うものであり、
労働者の闘いがあって、始めて資本家は保
闘いなくして安全なし。
場復帰を実現する偉大な成果をかちとった。
務員への責任転嫁は許さない」を合言葉に、強
る。動労千葉は、船橋事故闘争において、「乗
た。
要求は闘って始めて獲得出来るものであ
以来、運転保安確立を強力に要求して闘ってき
一九六二年三河島事故が起きたが、この事故
反合·運転保安闘争の歴史的教訓について
とはできない。
乗務員分科通信員· 発
るが、第二回学習会は六月十二日に千葉運転区講習室に四〇名が参加し、十時より開催さ
以上のように、第一次長期計画以来二十余年
として、責任転嫁していることは断じて許すこ
る。にもかかわらず、国鉄に働く労働者が悪い
国鉄の借金は政治のツケであることは明白であ
年で累積赤字は二十二兆円に達したのであり、
よる無理な投資を行った。この結果、一九八五
総裁が「借金も財産である」と言って、借金に
を発行し日本列島改造計画を出し、当時の磯崎
れたが、その最中に田中内閣が登場して、国債
その後、国鉄財政再建計画が三度に渡り出さ
全会員が責任を自覚し、職場抵抗闘争の構築にむけ、青年層を主体に学習会を開催してい
乗務員分科会は、国鉄労働運動再生のために闘いぬく動労千葉の中核を担う組織として、
闘争によりマル生攻撃は当局の惨敗に終った。
No. 1966
(鉄電)二九三五~六·(公衆)〇四七二(2)七二〇七
千葉市要町二–八(動力車会館)
国鉄千葉動力車労働組合
全組合員·家族の強固な団結で組織破壊攻撃を粉砕せよ!
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